184.耐え忍ぶは最上の修行、涅槃は最上、と諸仏は説く

ダンマパダ 第14 ブッダの章 184

ナモー タッサ バガワトー アラハトー サンマーサンブダッサ
Namo  tassa   bhagavato  arahato   sammāsambuddhassa
阿羅漢であり正自覚者であり福運に満ちた世尊に敬礼致します


耐え忍ぶは最上の修行
涅槃は最上、と諸仏は説く
他を害するは出家にあらず
他を悩ますは沙門にあらず


(片山一良先生 訳)


○日常語訳

忍耐、堪忍は最高の修行である
涅槃は最高のものであると諸仏は説く
他人を害する人は出家者ではない
他人を困らせる人は修行者ではない


○子供のためのダンマパダ

怒らないこと、欲張らないこと
よく勉強すること
これらをつらくともがんばると
立派な大人になれますよ





○一口メモ

 忍耐も堪忍もほぼ同じ意味だと思いますが、同じような言葉を使って強調しているのだと思います。忍耐、堪忍は最高の修行だと述べられています。それは涅槃に達するための最高の修行だということです。涅槃に達する道は八正道ですが、その過程で忍耐、堪忍が必要なのです。具体的には、欲や怒りがでればそれを抑える忍耐、堪忍が必要だからです。また自分の愚かさをなくすにも、一度ではなくすことはできないのが普通ですから、忍耐強く、繰り返し改善する努力が必要なのです。

 繰り返しますが、忍耐や堪忍が最高の修行であるのは、涅槃が最高だからです。最高を目指す修行だから最高の修行なのです。仏教のすべての教えの最終、最高目標は涅槃なのです。ですから、もろもろのブッダは涅槃は最高だと説いておられるのです。仏教の価値の基準は涅槃です。涅槃の達成に役立つものは価値があり、涅槃の達成に最高に役にたつものならば、最高に価値があるのです。忍耐、堪忍はその意味で最高の修行だと言われるのです。

 以上、大上段に構えて書きすぎましたが、日常生活で、他人に迷惑をかけないように、他人を困らせないように、一つ一つの行為を注意して行うことが大切です。それが涅槃への道なのです。このことは誰にでも大切なことですが、出家者や修行者はもちろん、人一倍そのことに精進しなけばならないのです。


○スマナサーラ長老のこの詩に関する説法
一言で知る仏教の全て<2>~平等主義とは忍耐のことです~
 Tolerance is the master of good.
http://www.j-theravada.net/howa/howa100.html


○前回までのこの詩に関するブログ記事

忍耐は最高修行 修行者は他を害しない困らせない
http://76263383.at.webry.info/200905/article_16.html

忍耐、堪忍は最高の修行である
http://76263383.at.webry.info/200807/article_2.html


○パーリ語原文

184.
カンティー パラマン タポー ティティッカー
Khantī    paramaṃ  tapo   titikkhā,
忍耐は   最高の  修行   忍耐
ニッバーナン パラマン  ワダンティ ブッダー
nibbānaṃ    paramaṃ   vadanti   buddhā;
涅槃は     最高     説く    ブッダは
ナ  ヒ   パッバジトー パルーパガーティ
Na   hi   pabbajito    parūpaghātī,
ない 実に 出家で    他を害する物は
サマノー ホーティ パラン ウィヘータヤントー
samaṇo   hoti    paraṃ  viheṭhayanto.
沙門    ある    他を  悩ます者は


〇詩のパーリ語原文の訳について。100番からは正田大観先生を中心に行われました関西のダンマパダ輪読会の時の御自分のノートを参考にして、木岡治美様がわざわざ書き下ろしたものを私に送って下さいました。それを参考にさせて頂いております。


〇慈悲の瞑想

~私は幸せでありますように~
~私の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の願いごとが叶えられますように~
~私に悟りの光が現れますように~
~私は幸せでありますように(三回)~

~私の親しい人々が幸せでありますように~
~私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の親しい人々の願いごとが叶えられますように~
~私の親しい人々にも悟りの光が現れますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように(三回)~

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~

~私の嫌いな人々も幸せでありますように~
~私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の嫌いな人々の願いごとが叶えられますように~
~私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように~

~私を嫌っている人々も幸せでありますように~
~私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私を嫌っている人々の願いごとが叶えられますように~
~私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように~

~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~


(この慈悲の瞑想を唱える人には必ず幸せが訪れます。)

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この記事へのコメント

2010年03月26日 04:07
ワンギーサさん、おはようございます。

この詩に関する、スマナサーラ長老の説法をよく読んでみました。

「私が幸福になる。故に皆も幸福になる」。この理解が深まると同時に、何故涅槃が最高の目的なのかという理解が深まりました。

やる気を失ったり、自信喪失してる時、一発奮起するには、よくよく吟味して納得することなのかもしれません。

有難うございました。
トム
2010年03月26日 05:24
昨日、心が浮ついている状態が続いていました。言葉も行動も少し浮ついているようでした。それに気づきながら、それに反応せずに観察し続けるにはやはり忍耐が必要ですね。まだまだ、放逸が多すぎます。
ku
2010年03月26日 07:38
”忍耐も堪忍もほぼ同じ意味だと思います”
確かにそうですが、忍耐は忍び耐えること、堪忍はそれに加えて”許す行為”が含まれてます。
忍耐だけなら、怒りを忍耐するだけになると思います。
堪忍なら、忍耐した後、論理的に考えて許す方向を探るのだろうと思いました。
nqaz
2010年03月26日 12:41
いつもすみません。

アビダンマの視点から見ると、たとえヴィパッサナー瞑想のみで預流果になった場合でも、預流果になる直前に初禅を経験するという説明があったと思います。

しかし、経典を読むとサマタ瞑想もヴィパッサナー瞑想も行わずに、説法(知識・論理)のみで預流果になった場合もございます。この場合は預流果になる直前に初禅を経験するのでしょうか?
ワンギーサ
2010年03月26日 17:14
nqazさんへ。
あなたの質問に、私の理解から申し上げます。
特別な瞑想をしてなくとも、ブッダの説法を聞いて預流果に悟った方は、すべての悪心所がなく、尋伺(思考)一境性(集中)と喜と楽がある状態だと思います。これは実質、初禅を経験しているのだと思います。
 ところで、nqazさんには、中部経典の「第63 小マールキヤ経」をお読みになることをお勧めいたします。
今日の私の一口メモにも関係があることです。
nqaz
2010年03月26日 22:12
どうもありがとうございます。
これからご紹介頂いた経典を読んでみたいと思います。
こころざし
2015年08月30日 08:20
私事ですが、冥想をしようとする前に何かしら「他にやる事はないか」と、逃げようとする自分がいます。また家事を積極的にする事に努めている中で→他の家族は何もやらない等の悪思考が出てしまいます。どちらも怠けから出ているものと感じています。戒めて参りたいです。
たか坊
2017年03月14日 17:01
今回も明るく楽しく学べたコトを嬉しく思います♪

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