185. 他人を非難せず、傷つけない、 食事に関しては量を知る

ダンマパダ 第14 ブッダの章 185

ナモー タッサ バガワトー アラハトー サンマーサンブダッサ
Namo  tassa   bhagavato  arahato   sammāsambuddhassa
阿羅漢であり正自覚者であり福運に満ちた世尊に敬礼致します


罵り害することなく
根本戒(パーティモッカ)をよく守り
食事において量を知り
遠く離れて臥し坐り
また禅定によく励む
これが諸仏の教えなり


(片山一良先生 訳)


○日常語訳

他人を非難せず、傷つけない
戒律に関しては自分を守り
食事に関しては量を知り
静かなところで生活する
心に関して努力する
これが諸仏の教えである


○子供のためのダンマパダ

悪口を言ったり、ぶってはいけません
人の物を取ったり、嘘を言ってはいけません
食事はよく取って、間食はいけません
テレビやラジオを消して、勉強し
時々、「生きとし生けるものが
幸せでありますように」と唱えましょう





○一口メモ

 183番と184番にブッダの教えの要点が述べられていましたが、今回の185番はそれが具体的に述べられています。前回のブログ記事では項目を挙げているだけですので、今回は少し説明を加えます。

1.他人を非難してはいけない。
 これは非常に大切なことです。他人を非難したところで仏教の態度ではありません。非難された人は傷つくのです。次の2項とも関係ありますが、仏教は他人を傷つけないのです。「生きとしいけるものが幸せでありますように」と実践する人が他人を非難していい筈がありません。仏教徒は「自分の嫌いな人も、自分を嫌っている人も幸せでありますように」と実践するのですから、他人を非難してはいけないのです。
 他人を非難することは、自分が正しいと思っているからです。自分が正しいという保障はないのです。私たちは悟らない限り、ありのままに見ることはできないのですから、いつも主観で見ているのです。主観で見た「事実」を正しいとしてはいけないのです。自分は間違っているかも知れないという態度が必要です。そうすると他人を非難することなどできないのです。
 他人を非難しないという態度で「有身見」(私がいるという妄想)を減らせます。自我を減らすことができるのです。逆に他人を非難することは自我を強化することになるのです。悟りを志す人は他人を非難してはいけないのです。
 仏教はある見解に対立する見解ではないのです。ある見解を非難することは、ある見解に対立する見解を主張することですから、その時点でそれは仏教ではありません。仏教は真理ですから、見解を超えたものです。お経を読んで、お釈迦さまの説法を丁寧に辿っていくと、見解の対立ではなく、真理を理解する道筋がよく分かります。

2.他人を傷つけてはいけない。
 1.項でも述べました。仏教は、すべての生命の幸福のためにあるのですから、他人を肉体的にも精神的にも傷つけることは仏教と根本的に反することなのです。

3.戒律(道徳)を守ること。
 在家の方は五戒を守ることです。戒律は拘束されるものではなく、戒律によって自分が守られるということが、実践すれば納得できると思います。五戒を守るだけで、大きな安らぎが得られることが、実感できると思います。例えば、嘘を言わないことを実践したら、いかに心が楽になるか分かります。また、お酒を飲まなければ、多くの事件や事故を防ぐことが出来たでしょうし、健康までも守れるはずです。道徳を守ると、瞑想も苦労なく出来るようになります。道徳を守らずにいくら瞑想しても効果はありません。時間の無駄です。

4.食事については適用を知ること。
 食事に関する注意も重要です。生命は食べ物を食べて生きているのです。この場合の食べ物は固体の食べ物だけではなく情報なども含むのです。ある神々は喜びが食べ物ですし、阿修羅などは怒りが食べ物だと聞いております。ですから、食べ物に対してどのような態度を取るかは、生命が幸福に生きられるかどうかに関することです。結論は、食べ物なしには、生命は生きていけませんが、適量を知って、必要以上のものを取らないことです。
 適量は自分の感覚に注意してなけれ分かりません。八正道の正念が必要です。食べすぎになるのは心が問題なのです。心に不満であるとき、食べすぎます。そのような心をよく知ってそれに対応しなければ、幸福になれません。過食の人は瞑想がうまくできません。修行が進まないということです。食事に関する注意はいろいろありますが、自分の食事に対する態度を観察することで、自分のことがよく分かってくるはずです。

5. 離れた所で臥せ坐ること。
 静かなところで生活するということです。雑音、騒音、喧騒の中では、心は落ち着きません。静かなところいると心も落ち着いてきます。都会に住んでいる方は、そのように生活することは難しいかもしれませんが、自分で騒音を作っている場合があると思います。つまり、テレビやラジオを消せば静かなマンションの中になるのに、自分でうるさくしていないかどうか点検してみてください。また、私自身がそうなのですが、必要以上の大きな声で話していないかどうか自己観察が必要です。お釈迦さまは静寂を好まれておられたようです。何千人の比丘たちがいても物音一つしないというような状況が経典のなかに書かれています。

6. 心に関して努力すること。
 八正道を実践することです。「慈悲の瞑想」を毎日行うこと、ヴィパッサナー瞑想を実践することです。


○スマナサーラ長老のこの詩に関する説法

一言で知る仏教の全て<3>~まさか、宗教も問題児?~
 Who is the culprit of war ?
http://www.j-theravada.net/howa/howa101.html


○前回までのこの詩に関するブログ記事

ののしらず道徳守り適量食べて静かに暮らし心を守る
http://76263383.at.webry.info/200905/article_17.html

他人をののしらず害わず
http://76263383.at.webry.info/200807/article_3.html


○パーリ語原文

185.
アヌーパワード アヌーパガートー
Anūpavādo     anūpaghāto,
非難しない     害さない
パーティモッケー チャ サンワロー
pātimokkhe      ca   saṃvaro;
戒律条において  又   防護
マッタンニュター チャ バッタスミン
Mattaññutā      ca  bhattasmiṃ,
量を知ること    又  食事において
パンタンチャ サヤナーサナン
pantañca     sayanāsanaṃ;
離れた所で   臥せ坐る
アディチッテー   チャ アーヨーゴー
Adhicitte        ca   āyogo,
心の向上において  又  努力
エータン ブッダーナ サーサナン
etaṃ     buddhāna  sāsanaṃ.
これが    諸仏の  教え


〇詩のパーリ語原文の訳について。100番からは正田大観先生を中心に行われました関西のダンマパダ輪読会の時の御自分のノートを参考にして、木岡治美様がわざわざ書き下ろしたものを私に送って下さいました。それを参考にさせて頂いております。


〇慈悲の瞑想

~私は幸せでありますように~
~私の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の願いごとが叶えられますように~
~私に悟りの光が現れますように~
~私は幸せでありますように(三回)~

~私の親しい人々が幸せでありますように~
~私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の親しい人々の願いごとが叶えられますように~
~私の親しい人々にも悟りの光が現れますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように(三回)~

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~

~私の嫌いな人々も幸せでありますように~
~私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の嫌いな人々の願いごとが叶えられますように~
~私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように~

~私を嫌っている人々も幸せでありますように~
~私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私を嫌っている人々の願いごとが叶えられますように~
~私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように~

~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~


(この慈悲の瞑想を唱える人には必ず幸せが訪れます。)

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この記事へのコメント

無臭だ?
2010年03月26日 21:55
例えるならば、怒りの蜜を出す人には、修羅が寄り、さらに怒りの衝動を誘引させたりすることかと思います。際限ない性欲や拝金もそのたぐいかもしれません。徹底して慈悲と智慧を体現する人には何が寄ってくるのでょうかね。
トム
2010年03月26日 22:54
自身の食事に興味を感じていました。食事中、我を忘れていることが多々あります。「もっと食べておこう」という欲の衝動を強く感じています。確信はないのですが、食事を理性的に?気づきを忘れずに?実践してみたら面白いのではと・・・かすかに思うことがあります。今日の一文を読むと、まさにそれだ!という内容です。
やはりそうなんですね。
2010年03月27日 04:35
ワンギーサさん、おはようございます。

とても実践に役立つ解説有難うございました。

最初の項目は、なかなか困難だと実感してます。

初期仏教を学ぶと、その教えの合理性に「私は正しい」と思ってしまうことがあるので、厳重に注意してます。

思えば、いくら正しい教えを学んだからといって、自分が正しいわけではありません。

危険なのは、初期仏教の知識で他人を攻撃することです。それにより、「自分が正しい」が逆に強化されてしまいます。仏教は真理であるがゆえに、論争の武器にはもってこいでしょう。

他宗教の教えは信じなくとも、人を非難しないよう心がけてはいます。

街中で見かけるテーラワーダのお坊様を軽く見ないように注意してはいます。

お布施です。

まだ実行されてませんが、つねに、お布施の品を持参して、お坊様への準備はしてます。

他宗教へのお布施は少し実行してますが、変なプライドや差別意識をなくすにはかなり効果があるとおもいました。

嫌いな人の幸せを願うなら、初期仏教に批判的な人々にお布施すればいいんじゃないか、と考えたわけです。あくまで、個人的なやり方ではあります。

非難しないための工夫は今後も工夫したいと思います。

有難うございました。
あっきん
2010年03月27日 11:07
最近、感じた事があります。
食べ過ぎると眠くなり、感覚がにぶくなります。
瞑想だけでなく仕事もそうなので、食べる量を考えます
 後、よく一般的観念として「将来を考えた方がいい」と聞きます。それならば仏教で心を育てた方が確かという意味がなにげに分かってきました。輪廻があるからです。いや輪廻しない事が、幸せなことなのでしょうね。体験した訳ではないので分かりませんが、私の気持ちが微妙に変化してます。
ありがとうございました。(^・^)
おんがえし
2010年03月27日 12:39
 他人を非難してはいけないとは言っても、サンドバックのように無抵抗でもいけないことがあると思います。
 たとえば、いじめの場合、それは、いじめを助長することにもなり、そのいじめっこに対する慈悲もないと思います。
 智慧で対応することが求められることもあると思います。
 スマナサーラ長老は、このようにおっしゃっておられます。
 抵抗すれば、一方的にいじめることはできませんよ。「これはいじめではないか!」と大声で叫んだだけでも、相手は後ろに下がります。…中略…
 忍耐ある子なら、「殴るなら殴れ。その代わり訴えてやる。」と言えばいい。
 先生が「いじめなんて、ない」と言うなら、職員室で座り込めばいい。…(引用終わり、自殺と「いじめ」の仏教カウンセリング、宝島社新書162頁)。

 ブッダの教えは、無抵抗、泣き寝入りの教えと誤解されてる人もいらっしゃるように思いますが、決してそうはいえないと思います。
 上記、本は「いじめ」「自殺」などに悩んでいる方々に読んでいただきたいと思います。
aya
2010年03月27日 15:13
過食のひとは瞑想がうまくいかないというのも納得です。私がそうです。
ちなみに今ゴーダミー精舎には猫が何匹いるのでしょうか?
猫ちゃんたちやみんなが幸せでありますように
こころざし
2015年08月30日 08:33
本文を拝見し、特に他人の非難をしない事・食事を適量で食べる事で反省致しました。
職場で受け持ち分の仕事が出来ない方の事で上司に非難のような言動をする事があります。また、食事は早食いで量が多く+間食も多いです。
この反省が形だけにならないように、自身を見つめて戒め・改善して参ります。
たか坊
2017年03月16日 19:13
今回も明るく楽しく学べたコトを嬉しく思います♪

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