193.賢者が生まれたその家は安楽を得る

ダンマパダ 第14 ブッダの章 193

ナモー タッサ バガワトー アラハトー サンマーサンブダッサ
Namo  tassa   bhagavato  arahato   sammāsambuddhassa
阿羅漢であり正自覚者であり福運に満ちた世尊に敬礼致します


駿馬(しゅんめ)のような人は得がたい
かれは一切処には生まれず
その賢者が生まれる家は
安楽にして栄えあり


(片山一良先生 訳)


○日常語訳

高貴な人は得難い
どこにでも生まれるわけではない
賢者が生まれた
その家は安楽を得る


○子供のためのダンマパダ

人間の幸せを教えてくれるお釈迦さまは
どこにでも生まれるわけじゃないよ
お釈迦さまの教えを知って
学べる人々は幸せになれますよ





○一口メモ

 この詩の片山先生の訳のはじめは「駿馬(しゅんめ)のような人」になっていますが、日常語訳は「高貴な人」になっています。この違いは purisājaññoという単語が両方の意味があるからです。どちらがいいかは個人の趣味の問題だと思います。パーリ語を日本語に訳すときは必ずこのような問題が付きまといますので、最終的にはパーリ語で覚える方がいいのでしょう。

 さて、スマナサーラ長老のこの詩に関する説法の冒頭は次の通りです。

「人間という生きものは、何一つ、自分ひとりの力だけですることはできません。たったひとりの努力だけで何かをやり遂げようではないかと、余計な見栄を張っ て踏んばらなくてもよいのです。何か一つをやり遂げるという稀少なケースもあるかもしれませんが、何をするにしても他人の協力が必要だという事実を素直に 認めるべきなのです。 」(以上引用終わり)

 私は中学生の頃、親の言うことは聞きたくなく、自分の決めた通りに実行したいと思っていました。しかし、自分は親の世話になっているので、親の言うことを聞く義務もあるとも思っていました。そのためこの矛盾に悩んでいました。しかし、他人の協力なしに何一つできないのだという事実をみとめて、自分の希望のためにいかに他人の協力を求めるかという発想を持てれば、悩み少なく、もう少しましな中学生でいられたかもしれません。(悩み多いわがままな中学生でした。)

 この例をあげましたのは、ある矛盾に悩んでいる人間にとって小さな発想の転回ですら、教えられなければ、できないということを言いたいのです。

 大問題の人間が幸せになれるための道筋は、お釈迦さまが発見した真理です。これは人間には考えられないことなのです。人間が幸福になろうとする努力は、人間を不幸にしているのです。しかし、ほとんどの人間はそうではないと思っています。ですから、仏教徒は超少数派であり、仏教徒と言ってもお釈迦さまの教えを歪曲して信じているということがあります。

 今回の詩の「駿馬(しゅんめ)のような人」あるいは「高貴な人」とはお釈迦さまのことです。人間には発見できない真理を発見したブッダはどこでも生まれるわけではないのです。すべては無常ですから、宇宙も無常です。宇宙も生まれて、変化して、消えていくのです。その一つの宇宙にお釈迦さまは一人だけ生まれると言われています。お釈迦さまが生まれたということは、その教えを知り、学べることであり、本当の幸せの道が開かれているということですから、この幸運に遭遇した人はこのことを喜ばざるをえません。


○スマナサーラ長老のこの詩に関する説法

自由という幻覚~人生の行方は外からの影響で決められる~
 Nobody is born free.
http://www.j-theravada.net/howa/howa104.html


○前回までのこの詩に関するブログ記事

正覚者どこでも生まれるわけはない彼が生まれた世界は幸福
http://76263383.at.webry.info/200905/article_20.html

高貴な人は得難い
http://76263383.at.webry.info/200807/article_7.html


○パーリ語原文

193.
ドゥッラボー プリサージャンニョー
Dullabho    purisājañño,
得がたい   高貴な人は
ナ  ソー サッバッタ ジャーヤティ
na   so   sabbattha  jāyati;
ない 彼は どこでも  生まれ
ヤッタ ソー ジャーヤティ ディーロー
Yattha  so   jāyati      dhīro,
場所は 彼  生まれる   賢者が
タン クラン スカメーダティ
taṃ  kulaṃ  sukhamedhati.
その 家は  安楽に栄える


〇詩のパーリ語原文の訳について。100番からは正田大観先生を中心に行われました関西のダンマパダ輪読会の時の御自分のノートを参考にして、木岡治美様がわざわざ書き下ろしたものを私に送って下さいました。それを参考にさせて頂いております。


〇慈悲の瞑想

~私は幸せでありますように~
~私の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の願いごとが叶えられますように~
~私に悟りの光が現れますように~
~私は幸せでありますように(三回)~

~私の親しい人々が幸せでありますように~
~私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の親しい人々の願いごとが叶えられますように~
~私の親しい人々にも悟りの光が現れますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように(三回)~

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~

~私の嫌いな人々も幸せでありますように~
~私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の嫌いな人々の願いごとが叶えられますように~
~私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように~

~私を嫌っている人々も幸せでありますように~
~私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私を嫌っている人々の願いごとが叶えられますように~
~私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように~

~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~

(この慈悲の瞑想を唱える人には必ず幸せが訪れます。)

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この記事へのコメント

一ブログ読者
2010年03月29日 23:14
今、ラジオのアクセス・バトルトークを聞いていたら、
15歳の中学生が、人は支えられなけれ生きていけないと思うと言っていた。15才ですごいと思いました。
2010年03月30日 04:03
ワンギーサさん、おはようございます。

もし、中学生の時の自分がこの説法を読んでいたら、一体どう反応していたか?と思いました。

かなり高慢で「この中学には芸術のわかる人間は誰もいない」という京都の友人の手紙に、「こちらも頭の悪い人間ばかりだ」という内容の返事を出したのを覚えてます。図書館で得た知識で、教師に勉強や教育論を教えようとして、私にはまるで謙虚さというものがありませんでした。

彼とは同じ小学校でしたが、中学の時、東京から京都に住まいを移したのです。

一年生の最初の学期の頃から、手紙のやりとりが始まりました。先の内容は最初のものです。

今となっては愚痴になりますが、「道徳」をしっかり教えてくれる教師が誰もいませんでした。学力偏重の歪みは「一人で生きていける」という誤った人生観を植え付けるように思います。

随分反抗的でしたが、もし初期仏教に出会っていたならば、論理の鋭さに負けて「一人じゃ生きていけないんだな~」と思ったかもしれません。「テストでいい点数をとるより、道徳的な人間が立派だ」と納得してたかもしれません。

色々な意味で、今後初期仏教の教えが浸透してくれたらと思います。

こう思えるのも、スマナサーラ長老の類い稀な貢献と実績によるということは、言うまでもありません。

有難うございました。
ぱん
2010年03月30日 17:59
新さんの書き込み、共感いたしました。私の場合は、中学ではなく、高校時代、頭でっかちで、「道徳を教えてくれる人がいない」と思ってました。スマナサーラ長老のおかげで少々謙虚になれたという点についても、全く同感です。今日の記事で、ワンギーサさんはウェーサーカ祭の宣伝をなさってますが、このお祭りを機会に、テーラワーダ仏教に導かれる人が、いますようにと祈ります。
こころざし
2015年08月31日 08:28
お釈迦様が生まれて下さった事を心より至福に思います。そしてそのお釈迦様の教えを正しく教えて頂けるお坊様とご縁を頂けている事も心より幸いに思います。
多くの方がお釈迦様と、そしてその教えを正しくおしえて下さるお坊様とご縁が持てたら良いなと願います。
たか坊
2017年03月26日 23:43
今回も明るく楽しく学べたコトを嬉しく思います♪

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