194.サンガが和合することは幸福である

ダンマパダ 第14 ブッダの章 194

ナモー タッサ バガワトー アラハトー サンマーサンブダッサ
Namo  tassa   bhagavato  arahato   sammāsambuddhassa
阿羅漢であり正自覚者であり福運に満ちた世尊に敬礼致します


諸仏の出現は幸いにして
正法の説示は幸いなり
僧団の和合は幸いにして
和合者の修行は幸いなり


(片山一良先生 訳)


○日常語訳

諸仏が出現することをは幸福である
正法を説くことは幸福である
サンガが和合することは幸福である
和合して修行することは幸福である


○子供のためのダンマパダ

ブッダが生まれてよかったな
ブッダの教えが聞けてよかったな
お坊さんたちが仲のいいのはうれしいな
仲良く修行しているのは楽しいな





○一口メモ

 人間は「幸福が何か」は分からないのです。お金がないときはお金ができた幸福だと思いますが、お金ができても幸福になりません。無名の人は有名になったら幸福だろうと思います。しかし有名になっても幸福になりません。有名になり、お金持ちになった人が、自殺している人が結構いるのです。病気の時はこの病気さえ治れば、幸福だと思います。しかし、病気が治って、病院から家に帰っても2、3日は幸福だななどと思うかもしれません。しかし、すぐ病気したことも忘れていろいろ不満が出てくるのです。人間には究極の幸福は発見できないのです。

 しかし、その幸福をブッダが発見したのです。そしてその幸福に至る道筋も示してくれました。ですからブッダが生まれたことは私たちにとって幸せなことなのです。また、そのブッダの教えを聞けることは幸せなことなのです。ここまでは192番、193番の詩でも述べられています。今回の詩の1、2行目の内容です。

 今回の詩の3、4行目はサンガすなわち僧侶の集団についてです。ブッダの教えを守り、人々に教える仕事はサンガの役割です。サンガが言葉で仏教を守り、人々に教えると役割がありますが、それ以上に大切なことは実践なのです。ブッダの教えを実践しなければ意味がありません。自分たちが喧嘩をしておきながら、人々に仲良くしなさいなどとは言えません。なぜ仲良くしなければならないのか、分かってないということであり、それを見ている人々はそのようなサンガは信用しません。

 ダンマパダの一言一言は、非常に重い意味があり、逆に大切なサンガの和合を壊すことは大変重い罪であるとされています。


○スマナサーラ長老のこの詩に関する説法

幸福がこぼれ落ちる理由~凡人は不幸を幸福だと定義する~
 Why happiness lurks in dark?
http://www.j-theravada.net/howa/howa105.html


○前回までのこの詩に関するブログ記事

釈尊が生まれたことは幸せだサンガは仲良く修行をしよう
http://76263383.at.webry.info/200905/article_21.html

サンガの和合
http://76263383.at.webry.info/200807/article_8.html



○パーリ語原文

194.
スコー ブッダーナムッパードー
Sukho  buddhānamuppādo,
幸福   ブッダの出現は
スカー サダンマデーサナー
sukhā   saddhammadesanā;
幸福   正法の説示は
スカー サンガッサ サーマッギー
Sukhā   saṅghassa  sāmaggī,
幸福    僧団の   和合
サマッガーナン タポー スコー
samaggānaṃ    tapo   sukho.
和合した     修行   幸福

〇詩のパーリ語原文の訳について。100番からは正田大観先生を中心に行われました関西のダンマパダ輪読会の時の御自分のノートを参考にして、木岡治美様がわざわざ書き下ろしたものを私に送って下さいました。それを参考にさせて頂いております。


〇慈悲の瞑想

~私は幸せでありますように~
~私の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の願いごとが叶えられますように~
~私に悟りの光が現れますように~
~私は幸せでありますように(三回)~

~私の親しい人々が幸せでありますように~
~私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の親しい人々の願いごとが叶えられますように~
~私の親しい人々にも悟りの光が現れますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように(三回)~

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~

~私の嫌いな人々も幸せでありますように~
~私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の嫌いな人々の願いごとが叶えられますように~
~私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように~

~私を嫌っている人々も幸せでありますように~
~私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私を嫌っている人々の願いごとが叶えられますように~
~私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように~

~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~


(この慈悲の瞑想を唱える人には必ず幸せが訪れます。)

◎お願い:今回の詩に共感された方は、ページ右上の『仏教』をクリックをお願いします。そうすると、仏教ランキングのランクが上がります。ランクが上がると多くの人の目に留まりやすくなり、ダンマパダの認知度が高まるからです。

◎すべての生命の幸せを願い、教えを説かれたお釈迦様の祝祭記念日
ウェーサーカ祭に興味のある方は下のアドレス(日本テーラワーダ仏教教会HP)
をクックして下さい。http://www.j-theravada.net/



この記事へのコメント

2010年03月31日 04:09
ワンギーサさん、おはようございます。

最近、両親が下らないことで喧嘩ばかりしてます。確かに「仲良くしなさい」と言われたとしても、全く説得力がないと思います(苦笑)。

大人になると、わがままが通らない、通すと自分が潰されてしまうので、大半は社会に順応しながら生きるすべを徐々に身につけるように思います。

しかし、私もそうですが、一皮むけば精神的には子供とたいして変わらず、大人社会といえども、なかなかお手本にはなりません。

それ故、真の大人の集団、理想的な組織というのを、サンガに求め、そしてそれをお手本にしたいと思っております。

何度かお坊様方が集う場面を目の当たりにしましたが、それはそれは素晴らしいものでした。

見てるだけで、こころが洗われるのが実感出来ました。

それは、いわゆる俗世間の仲良しとはまるで次元が違います。

清らかな光景に感化され、それを励みに厳しい仏道に意欲をもたれる方もかなり多いんじゃないかと思います。

有難うございました。
おんがえし
2010年03月31日 10:29
 かつて仏教団体は僧兵のようなものを持ち、武装していたと思います。これは、仏教本来の趣旨を逸脱していると思います。
 その武装解除を図ろうとしたのが、信長、秀吉、家康であり、実際に、それが実現したと思います。
 信長は、非常に残酷な面が強調されておりますが、彼が狙っていたのは、武装解除と、宗教が政治に口を出すのを禁止することだったように思います。
 仏教は、この点では世俗権力により本来の形を取り戻したといえると思います。
 ところで、家康は、さらに進んで、仏教を骨抜きにすることを考え、檀家制度というものを設けたのだと思います。
 これは、お布施の本来の趣旨を捻じ曲げるものだと思います。
 そして、明治になると僧侶の妻帯が許可され、僧侶は妻帯するようになったと思います(浄土真宗はそれ以前から妻帯しておりますが)。
 日本人は、何ゆえ、仏教をここまでふにゃふにゃに捻じ曲げるのでしょうか?
 日本的「和」(それは教団内のこともあるし、世俗権力内のこともある)を重視して、『賢者』を上に置かないからではないでしょうか? 
おんがえし
2010年03月31日 19:39
 私は、ブッダ、賢者の意見に一致するというのが、ブッダの教えにいう「和」の意味だと思います。
 自分たちの権益を守るために一致団結して武装したり、世俗権力に迎合してみなが檀家制度に応じたり、仏教界の空気で一斉に妻帯したりするのは決してブッダの教えにいう「和」ではないと思います。
 我々日本人は、長く日本的「和」の概念に馴染んでますので、テーラワーダ仏教徒といえども、十分に注意する必要があると思います。
 なお、私は日本史の専門家ではないので、上記歴史について細かい点に間違いがあるかもしれませんが、大意をとっていただければ幸いに思います。
こころざし
2015年09月01日 07:38
私事を恐縮です、同居の義母と昨日より、庭の古くなったベンチの捨て方でもめるような状況を作ってしまいました。仲良く家庭で過ごして生きたいと思いながら結構な争いをしてしまったのは、自分のエゴが原因と思います。
相手が感情的になってもそれに同調しないように、自分のエゴを走らせないように、本文から学んで反省し、今後に生かして参りたいです。
たか坊
2017年03月28日 00:34
今回も明るく楽しく学べたコトを嬉しく思います♪

この記事へのトラックバック