195.196.認識の捏造を克服し、憂い悲しみを乗り越え

ダンマパダ 第14 ブッダの章 195、196

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◎すべての生命の幸せを願い、教えを説かれたお釈迦様の祝祭記念日
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ナモー タッサ バガワトー アラハトー サンマーサンブダッサ
Namo  tassa   bhagavato  arahato   sammāsambuddhassa
阿羅漢であり正自覚者であり福運に満ちた世尊に敬礼致します

妄想すべてを超越し
憂いと非泣を乗り越えた
供養に適する諸仏、また
諸弟子を供養する者の

かかる静寂、恐れなき
かれらを供養する者の
功徳は計りえず
これこれなり、というように


(片山一良先生 訳)


○日常語訳

認識の捏造を克服し
憂い悲しみを乗り越え
涅槃に達して、恐れるものない
供養に値する

諸仏あるいは弟子たちを
供養するならば
その功徳の量は
何によっても計れない


○子供のためのダンマパダ

ありのままに見ることは
信じられないくらいに難しいことです
それができないから
世の中は問題が多いのです

ありのままに見る人は
すべての問題を解決します
そのような人を尊敬するならば
数えられないほど良いことがあります





○一口メモ

 今回の詩はブッダとその弟子たちに供養をすることには、計りしれない功徳があるということが、趣旨です。その理由については、前々回のブログ記事「仏陀と弟子たちを供養する功徳」で述べましたので、そちらを参照してください。

 今回は、ブッダとその弟子を「妄想すべてを超越し」あるいは「 認識の捏造を克服し」という言葉、パーリ語ではpapañcasamatikkante(パパンチャサマティッカンテー)という言葉で表現しているのです。特に、パパンチャということについて調べて見たいと思います。

 スマナサーラ長老の「原訳『スッタ・ニパータ』」(佼成出版社)という本のp160~164を引用します。

(引用はじめ)

 現象(Papañca)の仕組み

 パパンチャとは、仏教の真理をすべてひと言で表現する単語です。仏教においては、とても大事なキーワードです。「世界はパパンチャであって、解脱・涅槃はニッパパンチャ(nippapañca)である」と説かれているから、どれほど大事な用語かが理解できると思います。この言葉の意味は、ブッダの時代では誰でも簡単に理解していたようです。ですから、経典の中で詳しい解釈・説明はありません。ブッダは自分が使用する用語に明確な定義と解説をなさるのです。注釈書では、さらに詳しく解説されています。しかし、注釈書が作られた時代になると、パパンチャの本来の意味は、よくわからなくなったようです。ちゃんとした注釈はありますが、それを読んでも注釈の意味がよく通じないのです。

 それで、ブッダ教えに忠実に、新たな、また現代人に理解しやすい注釈をすることにいたしました。現象という意味に達する前にまず、パパンチャ=捏造(ねつぞう)だと、まず覚えておきましょう。では捏造の定義をします。捏造は妄想ではありません。妄想なら、なんでも妄想することはできますが、捏造は違います。捏造には、それなりのデータが必要です。しかし、データが不十分です。自分で自分の仮説を立証するためには、不十分なデータではまずいのです。それで、そのデータを捏造するのです。その場合は、あるデータの一部分だけを抜き出したり、都合の悪いデータを無視したりします。そうしなければ、自分の仮説は成り立たなくなるからです。

(中略)

 このようにすべての生命は自分の眼耳鼻舌身意に入る色声香味触法のデータをありのままに認識しないで捏造して認識するのです。生命は実際の世界を知らないのです。私たちはありのままの世界ではなく、「あって欲しい世界」を捏造するのです。わざと組み合わせて合成する知識なので、「現象」という単語が使えるのです。それで認識そのものが、捏造した結果になるのです。認識は知ることですが、正知ではなく、誤知(ごち)になっているのです。仏道とは、この誤知を正知に改良するプロセスなのです。

(以上引用終わり)

 引用が長くなりましたが、説明はもっと長く、具体例が書かれていますから、もとの文章を是非お読み下さい。心にはパパンチャという認識データを捏造する作用があるため、事実をありのままに認識できないということです。ですから、この心の捏造作用を止める、あるいは乗り越えて、事実をありのままに認識する必要があるのです。解脱した人は、それができた人であり、ヴィパッサナー瞑想の修行は、そのためのものなのです。パパンチャ(捏造)についての理解は、瞑想修行に必要なことなので調べてみました。パパンチャという言葉は、ダンマパダの254番にも出てきます。

195.196.の詩で「第14 ブッダの章」を終わります。


○スマナサーラ長老のこの詩に関する説法

手に届かぬ自由~学ぶなら、完全な人から学ぶ~
 Virtuous dependence
http://www.j-theravada.net/howa/howa106.html


○前回までのこの詩に関する説法

パパンチャを乗り越えた聖者たち供養するなら功徳は大きい
http://76263383.at.webry.info/200905/article_22.html

仏陀と弟子たちを供養する功徳
http://76263383.at.webry.info/200807/article_9.html


○パーリ語原文

195.
プージャーラヘー プージャヤトー
Pūjārahe        pūjayato,
供養にふさわしい 供養する者は    
ブッデー ヤディ ワ サーワケー
buddhe   yadi   va  sāvake;
ブッダ ならば  或は 弟子に
パパンチャサマティッカンテー
Papañcasamatikkante,
捏造を乗り越えた者を
ティンナソーカパリッダウェー
tiṇṇasokapariddave.
憂いと悲しみを超えた者を

196.
テー ターディセー プージャヤトー
Te   tādise       pūjayato,
彼ら そのような   供養をする者の
ニッブテー   アクトーバイェー
nibbute      akutobhaye;
涅槃に達した 何も恐れのない
ナ  サッカー プンニャン サンカートゥン
Na   sakkā   puññaṃ    saṅkhātuṃ,
 できない    功徳を    数えることが
イメッタマピ  ケーナチ
imettamapi   kenaci.
この 今また いかなる誰も

〇詩のパーリ語原文の訳について。100番からは正田大観先生を中心に行われました関西のダンマパダ輪読会の時の御自分のノートを参考にして、木岡治美様がわざわざ書き下ろしたものを私に送って下さいました。それを参考にさせて頂いております。


〇慈悲の瞑想

~私は幸せでありますように~
~私の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の願いごとが叶えられますように~
~私に悟りの光が現れますように~
~私は幸せでありますように(三回)~

~私の親しい人々が幸せでありますように~
~私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の親しい人々の願いごとが叶えられますように~
~私の親しい人々にも悟りの光が現れますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように(三回)~

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~

~私の嫌いな人々も幸せでありますように~
~私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の嫌いな人々の願いごとが叶えられますように~
~私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように~

~私を嫌っている人々も幸せでありますように~
~私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私を嫌っている人々の願いごとが叶えられますように~
~私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように~

~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~


(この慈悲の瞑想を唱える人には必ず幸せが訪れます。)


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この記事へのコメント

鉄人
2010年04月01日 00:55
ワンギーサ様 今晩は。

「認識の捏造」ですか。「妄想」の方にばかり眼が行っていましたが、こちらの「認識の捏造」の方が手強いような気も致します。

小生にとりましても「妄想」は、良いことではないなあという意識が働き注意しますが、「認識」に対してはその意識が薄いようです。

やはり自分の考えは「正しい」と思いたいんですね。で、データ不足を補う為に「捏造」して自分の仮説を立証するという訳ですか。その通りだと思います。小生は恥ずかしながら、年がら年中これをやっているようです。

それをヴィパッサナー瞑想を実践することで、「認識の捏造」を停止するいわゆる訓練をするという訳ですね。納得です。

半信半疑で始めたヴィパッサナー瞑想ですが、このように論理的に瞑想の必要性を教えていただけますと、懐疑的な気持が確信に変わります。

またひとつ「知る」ことが出来ました。ワンギーサ様にはこころから感謝致します。

生きとし生けるものがしあわせでありますように。



2010年04月01日 04:59
ワンギーサさん、おはようございます。

「原訳「スッタニパータ」」読んでみました。

何故、パパンチャが悪いのか?という問い掛けがとても大切だと思いました。

悟り云々もちろんですが、この本に書かれいるように、捏造により「我こそ正しい」というスタンスで生きてしまい、世の中にある全ての問題、苦しみ、対立などを引き起こしてしまう。戦争まで引き起こしてしまう。そうであるならば、捏造は諸悪の根源と言っても差し支えないと思います。

パパンチャを乗り越えたいです。

有難うございました。
あっきん
2010年04月01日 10:17
仏陀を善友にします。
まだ理解できない論理がありますが、私が変わり理解できるレベルになりたいものです。人間の欠点は認識の間違いだそうで、完全たる人の指摘となる訳ですね。
無知(捏造している)の人の指摘は、あまりあてにならないのかもしれません。
生きとし生けるものは幸せでありますように。
おんがえし
2010年04月01日 10:43
 上記ワンギーサさまの解説にありました色声香味触法のデータ、つまり、「六処」は、あらゆる生命に共通のデータだと思います。
 例えば、蝶のすべてではないかもしれませんが、蝶は紫外線も見ることができると見聞きした記憶があります。人間には人間のままでは紫外線は見ることができません。
 ですから、同じ場所で、同じ「花」を見ても人間が見る花と、蝶が見る花は違うと思います。
 六処の一つである「色」というデータは、こうした生命という枠を超えた生命共通のデータだと思います。
 そして、この生命共通のデータが、実体として存在するものではなく、恐ろしい速さで変化する無常なものなのだと思います。
 生命共通なのですから、客観的呼ぶに値する「真理」だと思います。
 以前に「『花』という実感が生じることさえ思考なんです。」というスマナサーラ長老の説法を引用させて頂きました。
 『花』という実感は各生命に個別のものにすぎないと思います。
 ブッダの教えは、uttari manussa dhammaであるということが重要なことだと思います。人間を超える教えだと思います。
こころざし
2015年09月01日 07:45
私事ですが、昨日同居の義母との良い争いから色々思考・妄想してしまい、その後の用事で出かけた時に道を間違えてしまいました。今・ここの観察が疎かになっていると反省しました。ありのままにみられるように努めて参りたいです。
たか坊
2017年03月28日 23:11
今回も明るく楽しく学べたコトを嬉しく思います♪

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