162.破戒の人は自分の敵が求めるように自分自身を不幸にする

ダンマパダ 第12 自己の章 162

ナモー タッサ バガワトー アラハトー サンマーサンブダッサ
Namo  tassa   bhagavato  arahato   sammāsambuddhassa
阿羅漢であり正自覚者であり福運に満ちた世尊に敬礼致します


あまりに悪しき性の者は
敵がかれに求めるように
自己にも同じことをなす
葛(かずら)がサーラ樹を覆う如くに


(片山一良先生 訳)

○超訳の試み

極端な破戒を行う人は
まるで自分の敵が求めるように
自分自身を不幸にする
つる草がサラの木にまとい付くように


○子供のためのダンマパダ

自分かってでわがままな子は
仲のよい子とけんかして
友達をなくしている
自分がみじめになるだけなのに





○一口メモ

 「あまりに悪しき性の者」とは「極端な破戒を行う人」を言います。この詩の場合は具体的にはデーヴァダッタを指しますが、この詩の因縁物語はスマナサーラ長老の説法の中に書かれてありますので、是非お読み下さい。

 デーヴァダッタは仏教で、極悪罪とされる五逆罪(①母を殺すこと、②父を殺すこと、③阿羅漢を殺すこと、④ブッダを負傷させること、⑤サンガの和を壊し、分離すること)を二つも犯してしまったのです。五逆罪の一つでも犯したら、地獄に落ちることはまぬがれないと言われています。

 では、なぜ人はこのような罪を犯してしまうのでしょうか? 前回の「この詩から学ぶこと」にもこの疑問について書きました。また、次の163番についても同じような疑問がありますので、改めてこの問題を考えてみて下さい。前回の「この詩から学ぶこと」のコメントが参考になると思います。


○スマナサーラ長老のこの詩に関する説法

「仇敵のすみかは自己のこころの中」~知らず知らず自己破壊へ歩む人~
http://www.j-theravada.net/howa/howa77.html


○前回の「この詩から学ぶこと」

極端な破戒行為をする人は自分自身を地獄に落とす
http://76263383.at.webry.info/200904/article_25.html


○パーリ語原文

162.
ヤッサ アッチャンタドゥッシーリャン
Yassa   accantadussīlyaṃ,
彼に   極めつけの悪戒があるなら
ムールワー  サーラミウォッタタン
māluvā      sālamivotthataṃ;
蔓草のように サーラ樹のように 覆われた
コローティ ソー タタッターナン
Karoti    so   tathattānaṃ,
為す   彼は そのように 自分に
ヤター ナン イッチャティ ディソー
yathā   naṃ  icchatī    diso.
ように  彼に 求める   敵が


○詩のパーリ語原文の訳について。100番からは正田大観先生を中心に行われました関西のダンマパダ輪読会の時の御自分のノートを参考にして、木岡治美様がわざわざ書き下ろしたものを私に送って下さいました。それを参考にさせて頂いております。

〇慈悲の瞑想

~私は幸せでありますように~
~私の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の願いごとが叶えられますように~
~私に悟りの光が現れますように~
~私は幸せでありますように(三回)~

~私の親しい人々が幸せでありますように~
~私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の親しい人々の願いごとが叶えられますように~
~私の親しい人々にも悟りの光が現れますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように(三回)~

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~

~私の嫌いな人々も幸せでありますように~
~私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の嫌いな人々の願いごとが叶えられますように~
~私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように~

~私を嫌っている人々も幸せでありますように~
~私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私を嫌っている人々の願いごとが叶えられますように~
~私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように~

~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~


(この慈悲の瞑想を唱える人には必ず幸せが訪れます。)

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この記事へのコメント

2010年03月04日 22:44
私にも、デーヴァダッタのような一面がありますね

サンガの和を壊し、分離すること

生きとし生けるものが幸せでありますように
2010年03月05日 05:14
ワンギーサさん、おはようございます。

前回のコメントを読むとほとんど「正解」だと思います。

それでは芸がないので、視点を変えて考えてみたいと思います。

子供のころからの疑問で「身体によくないものに限ってなぜおいしいのだろうか」というのがあります。野菜よりお菓子のほうが食べたくなります。屋台の焼きそば、アイスクリーム、その他いろいろありますが、これを毎日食べたほうが健康にいいのなら、苦労はないでしょう。

その一因として、より刺激的なものを求める。というのがあると思います。

それは何故かといえば、満たされてないからだと思います。「今」が充実していれば、あえて刺激を求めません。やけ食いが象徴でしょうか。

そんなことで、「今」を充実させるために妄想しないことに頑張ります。

有難うございました。
高橋優太
2010年03月05日 11:03
ワンギーサ先生、皆様、こんにちは。
今悪いことをしないように気をつけます。一切の過ちを懺悔いたします。生きとし生けるものが幸せでありますように。
あっきん
2010年03月05日 12:04
こんにちわ。
近ごろ私的キーワードーは”理解能力”です。
前回この詩で学ぶ事で、「何が不幸になることなのか、何が幸福になることなのか分かってない」というのがありました。私自身は、いくら仏教を勉強してもえられるものでないと感じます。理解できるように能力を開発する事が大切だと思いました。
生きとし生けるもは幸せでありますように。
トム
2010年03月05日 15:48
悪い事をしたら、自分に悪果が生じることに気づいていないからだと思います。これをすれば、悪果が自分に生じるということが確信できたら私はけっしてやらないですね。
まさこ
2010年11月12日 19:31

また、母とケンカしてしまいました。自分がみじめです。
たか坊
2017年01月29日 01:30
今回も明るく楽しく学べたコトを嬉しく思います♪

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