164.カッタカ竹が実を結び自己を破壊するように

ダンマパダ 第12 自己の章 164

ナモー タッサ バガワトー アラハトー サンマーサンブダッサ
Namo  tassa   bhagavato  arahato   sammāsambuddhassa
阿羅漢であり正自覚者であり福運に満ちた世尊に敬礼致します


法に生きる阿羅漢にして
聖なる者の教法を
悪しき見に基づいて
智慧なき者は非難する
カッタカ竹が実を結び
自己を破壊するように


(片山一良先生 訳)


○超訳の試み

真理に従って生きている
阿羅漢たちの教えを
悪い見解によって
愚かにも非難するならば
カッタカ草のように
実が熟すと己が滅びてしまう


○子供のためのダンマパダ

お釈迦さまの教えを
知ろうとしないで非難すると
竹の花は何年も咲かないが
花が咲くと竹は枯れる
そのように、不幸の花が咲き
自分自身が不幸になるよ





○一言メモ

 お釈迦さまは、人々が苦しみから抜け出して、幸福になる方法を人々に教えました。苦しみの原因は、人々の貪りと怒りと愚かさなどの心の汚れだから、それらの汚れをとるように教えました。しかし、多くの人々は大いに貪り、怒りたいときは怒り、自分たちが愚かだとは思いたくないので、その教えにを聞こうとはしません。

 だた、お釈迦さまの教えを聞こうとしない人は、自分が不幸から脱出できないだけですが、その教えを非難するとなれば、他の人々が幸福になる道まで妨害することになるのです。そのような行為は良いはずはありません。悪い結果になるのです。

 これだけでは説得力はありませんが、お釈迦さまの教えは偉大な真理であることを理解する必要があるのです。お釈迦さまが生まれる以前のどんな人間も神々も発見できなかった真理を、認識の限界を超越して発見した、そのような真理であることを理解すれば、その教えを非難することがどんなことか分かると思います。どう譬えればいいでしょうか。お釈迦さんの教えを非難することは、大海原へコップ一杯の非難の水を注ぐようなものとでもいうのでしょうか。無駄なことです。止めた方がいいのです。スマナサーラ長老の説法をお読み下さい。また、前回の「この詩から学ぶこと」を参考にして下さい。


○スマナサーラ長老のこの詩に関する説法

「本物と勘違い」 ~真実の道は地道に歩むもの~
http://www.j-theravada.net/howa/howa79.html


○前回の「この詩から学ぶこと」

阿羅漢の教えを非難する人は結果が熟すと己が滅びる
http://76263383.at.webry.info/200904/article_27.html


○パーリ後原文

164.
ヨー サーサナン アラハタン
Yo   sāsanaṃ    arahataṃ,
その 教えを     阿羅漢の
アリヤーナン ダンマジーウィナン
ariyānaṃ    dhammajīvinaṃ;
聖者の    法に従って生きる
パティッコーサティ ドゥンメード
Paṭikkosati      dummedho,
非難する      智慧ない者の
ディッティン ニッサーヤ パーピカン
diṭṭhiṃ     nissāya    pāpikaṃ;
見解に    基づいて   悪い
パラーニ カッタカッセーワ
Phalāni   kaṭṭhakasseva,
結果が  カッタカ草 ように
アッタガンニャーヤ  パッラティ
attaghaññāya       phallati.
自己を滅ぼすために 結実する


○詩のパーリ語原文の訳について。100番からは正田大観先生を中心に行われました関西のダンマパダ輪読会の時の御自分のノートを参考にして、木岡治美様がわざわざ書き下ろしたものを私に送って下さいました。それを参考にさせて頂いております。

〇慈悲の瞑想

~私は幸せでありますように~
~私の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の願いごとが叶えられますように~
~私に悟りの光が現れますように~
~私は幸せでありますように(三回)~

~私の親しい人々が幸せでありますように~
~私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の親しい人々の願いごとが叶えられますように~
~私の親しい人々にも悟りの光が現れますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように(三回)~

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~

~私の嫌いな人々も幸せでありますように~
~私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の嫌いな人々の願いごとが叶えられますように~
~私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように~

~私を嫌っている人々も幸せでありますように~
~私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私を嫌っている人々の願いごとが叶えられますように~
~私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように~

~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~


(この慈悲の瞑想を唱える人には必ず幸せが訪れます。)

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この記事へのコメント

2010年03月06日 22:46
ダンマパダ不思議なものです

順番にこうして読ましていただいていると、ときどき思うことがあります

前の章で、自分の悪いところに気付き、次の日に、その気付いた事柄を念を押すよう、そうだ。と言われているようで

まるで、こころのなかを見られているように、ぐるぐる、回転していきます

ダンマパダをずーっと読みとおしていくと、どこかでぱっと飛び出して、全てが見えるような、そんな気がします

生きとし生けるものが幸せでありますように
2010年03月07日 05:29
ワンギーサさん、おはございます。

幸い、現在アクセス可能です。

仏陀の教えには、不可思議なパワーがあるように思えてなりません。どういうことかというと、同意、同調させる方向で無理矢理考えると少しマシな性格なりつつあることが実感できるからです。ダンマパダしかりです。

「この教え裏付けるには?」「きっと自分の知らない何かがあるはずだ」というふうに捉えたほうが、よくわからない教えに遭遇した時いい。

極端な表現をすれば、仏陀の教えは鵜呑みして実践したほうが、変に反論を企てるより遥かにいいと思ってます。

この詩にしても、そういう方向で同調させるように考えると、よい結果があると期待してます。

有難うございました
傀儡になっていたとしても・・・
2010年03月07日 19:10
邪鬼の傀儡のごとくなってしまうのは、自他ともに辛いものです。転ばぬ差先の杖として、賢人の声に耳を貸すように仏法を少し学んで、1年に1度ぐらいはダマされたと思って自分なりに実践することを心掛けたいところです。
こころざし
2015年08月24日 07:37
御釈迦様の教えを実践すると、心が安定し明るくなり、幸福になると実感しています。そしてそれが自分の身近な方や周囲に伝播するのも感じます。
真摯に御釈迦様の教えを学ばせて頂きたいです。
たか坊
2017年02月02日 02:27
今回も明るく楽しく学べたコトを嬉しく思います♪

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