167.世間の汚れを増やすな

ダンマパダ 第13 世間の章 167

ナモー タッサ バガワトー アラハトー サンマーサンブダッサ
Namo  tassa   bhagavato  arahato   sammāsambuddhassa
阿羅漢であり正自覚者であり福運に満ちた世尊に敬礼致します


下劣な法に従うなかれ
怠惰によって住むなかれ
邪な見に従うなかれ
世の増大者となるなかれ


(片山一良先生 訳)


○超訳の試み

世間の悪習に従うな
自覚のない生活をするな
悪い見解に従うな
世間の汚れを増やすな


○子供のダンマパダ

皆がするから
よいとはかぎらないよ
よく考えて
よくないことはしないこと





○一口メモ

 お釈迦さまは、人生の悩み苦しみの原因は人間の欲と怒りと愚かさに基づく生き方にあると教えています。ですから、欲と怒りと愚かさを捨てて、欲のない、怒りのない、愚かさのない生き方ができるように、八正道という修行法を私たちに示されました。しかし、私たちは欲のない、怒りのない、愚かさのない生活は経験がないのです。それは想像さえできないのです。ですから、多くの人々は人間は欲がなければ進歩しない、悪をなくすには怒りが必要だ、また自分の愚かさに気づくことなく、人間は考えることができるのだと自分を反省しようとはしません。これが世間のあり方です。昔も今も変わりがありません。

 地球上には六十数億人の人間が生きていますが、その中の少数の人々は、お釈迦さまの教えを守り、その教えを実践しようとしています。今は少数でも、その教えを知った幸運な人々は先ず自分たちが実践すべきです。大多数の世間の悪習に流されることなく、下劣な法(欲と怒りと愚かさ)の生き方には従わないように、怠惰にならないように、欲、怒り、愚かさを増大するような見解には従わないように、生きることが大切です。

 そして、そのような生き方が、人間には想像することもできない欲のない、怒りのない、愚かさのない生き方、すなわち真に幸福な生き方なのです。それは仏教では涅槃への道と言うのです。


○スマナサーラ長老のこの詩に関する説法

「どう生きればいいの?」 ~曖昧に生きることを避けるための4原則~
http://www.j-theravada.net/howa/howa82.html


○前回の「この詩から学ぶこと」

卑しくて気付のない生活と悪見持つな雑事増やすな
http://76263383.at.webry.info/200904/article_30.html


○パーリ語原文

167.
ヒーナン ダンマン  ナ セーウェッヤ
Hīnaṃ   dhammaṃ  na  seveyya,
劣った   法を    ない 親しま(ない)ように
パマーデーナ ナ サンワセー
pamādena    na   saṃvase;
放逸と     ない 共に住ま(ない)ように
ミッチャーディッティン ナ セーウェッヤ
Micchādiṭṭhiṃ      na   seveyya,
邪見に         ない  親しま(ない)ように
ナ  スィヤー  ローカワッダノー
na   siyā     lokavaḍḍhano.
ない ように   世俗の増大が

○詩のパーリ語原文の訳について。100番からは正田大観先生を中心に行われました関西のダンマパダ輪読会の時の御自分のノートを参考にして、木岡治美様がわざわざ書き下ろしたものを私に送って下さいました。それを参考にさせて頂いております。

〇慈悲の瞑想

~私は幸せでありますように~
~私の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の願いごとが叶えられますように~
~私に悟りの光が現れますように~
~私は幸せでありますように(三回)~

~私の親しい人々が幸せでありますように~
~私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の親しい人々の願いごとが叶えられますように~
~私の親しい人々にも悟りの光が現れますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように(三回)~

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~

~私の嫌いな人々も幸せでありますように~
~私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の嫌いな人々の願いごとが叶えられますように~
~私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように~

~私を嫌っている人々も幸せでありますように~
~私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私を嫌っている人々の願いごとが叶えられますように~
~私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように~

~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~


(この慈悲の瞑想を唱える人には必ず幸せが訪れます。)

◎お願い:今回の詩に共感された方は、ページ右上の『仏教』をクリックをお願いします。そうすると、仏教ランキングのランクが上がります。ランクが上がると多くの人の目に留まりやすくなり、ダンマパダの認知度が高まるからです。

この記事へのコメント

名古屋人
2010年03月09日 21:47
片山先生の著書では、「下劣な法」を「眼・耳・鼻・舌・身の五欲」(に親しむこと)とされておられます。
自らの欲を追求しすぎないことが肝要かと思います。
1951男
2010年03月09日 23:16
実生活を反省するのに役立つコンパクトな教えですね。
1番目から3番目は日常読誦などで反省できる機会が多いのですが、
4番目の「世の中のゴミを増やすなかれ」
na siyā loka vaḍḍhano
「Don't busy yourself with the world.」
と言う表現が新鮮でした。loka vaddhano なんてシンプルな表現でしょうか。
神々と我々人間の大先生であるお釈迦様にお礼申し上げます。
学びの場を与えていただいたワンギーサさまにお礼を申し上げます。
日本にテーラワーダ仏教を伝えてくれたA.S.長老にお礼申し上げます。
2010年03月10日 03:52
ワンギーサさん、おはようございます。

「仏教と脳科学」読ませて頂きました。やはり通して読まないと伝わらない面がかなりあると感じました。

世の中には、仕事もなにもしないで遊んでいる人がいないと逆に困る人もいるからです。それで稼いだりしてます。だから道徳は前提になるかと思いました。

世の中には、受験戦争に勝ち抜いて、結果的に重要なポストにつくケースがあります。欲や怒りの衝動でしょう。

ところで、何年か前のパテイパダに「無駄」についてのスマナサーラ長老のお話があったかと記憶してます。以下記憶を頼りに要点を書いてみます。何年何月号か知ってる方がいらっしゃったら、内容の訂正を含めて教えて頂くと助かります。

以下~無駄という場合大きく三つの立場がある。まず、俗世間での無駄。この場合例えば、オシャレすることも無駄とは一概に言えない。それはケースバイケースできまる。次に精神的レベルでの無駄。「欲、怒り、無知」に基づく行為は全て無駄で罪になる。善因善果、悪因悪因。最後は輪廻を脱出するレベルでの無駄。このレベルでは勉強することも無駄になる。君らが仏教を論じる場合、この三つの立場を混同するから混乱する。例えば、役立つ仕事をしようとしてる人に、解脱云々というと議論にならない。~以上。

前回、前々回の内容と比較する上で参考になるかと思いました。

有難うございました。
あっきん
2010年03月10日 10:29
塵(ちり)も積もれば山となる。ゴミを集めても意味がありません。環境破壊までつながるかもしれません。昨日片付けをしましたが、少しは整理できました。また善行為をしたほうが世間の為になりキレイになると私は思います。
修行すると心が整理されると聞いた事があります。
使いやすいように整理すると心がスキッリしますね。
生きとし生けるものが幸せでありますように。
ぱん
2010年03月10日 11:17
こんにちは。ワンギーサさん、質問があります。テストに集中して取り組むために、明日の午前中の授業を、欠席し、放課後に決行されるテストに備えたいと思うのですが、それは社会人としてふさわしい態度でしょうか。

もしも、午前中の授業に出席し、午後も出席し、とすると、集中力が保てません。午前中、午後と、まじめに出れば、放課後に決行されるテストに集中できるどうかわからない。職業訓練は、社会の皆様の税金のおかげで無料で受けさせていただいているので、社会の方に意見を聞いてみたいと考えたときに、社会を代表して、テーラワーダの坊さん、に聞いてみることにいたしました。
ワンギーサ
2010年03月10日 12:59
ぱんさんへ。
明日の授業は欠席せずに、出席してください。
明日の授業の内容がテストに出る場合がありますよ。
授業はテストのことを考えずに、リラックスして
聞いてください。緊張しないように、妄想しないようにすれば、あまりつかれませんから。
考えるのではなく、観察するようにしてください。リラックスできますから。
ぱん
2010年03月10日 17:20
ワンギーサさん、質問に答えていただき感謝いたします。テストの日には、小細工をしようとしていたので、修行不足を痛感いたしました。明日は、観察するようにいたします。ありがとうございました。
こころざし
2015年08月25日 07:45
皆さんがしているから・・と流されるのは日常である光景だと思います。そこに群れて同様にしていくのか、それとも自立して何が大事かを見極めていくかは自分しだいと思います。
よく観察し考えて、よくない事はやらず・良い事をして参りたいです。
たか坊
2017年02月11日 12:37
今回も明るく楽しく学べたコトを嬉しく思います♪

この記事へのトラックバック