197.~199.怨みのある人々の中で怨みのない人間として生活しよう

ダンマパダ 第15 安楽の章 197.~199.

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◎お知らせ
すべての生命の幸せを願い、教えを説かれたお釈迦様の祝祭記念日
ウェーサーカ祭に興味のある方は下のアドレス(日本テーラワーダ仏教教会HP)
を是非クックして下さい。http://www.j-theravada.net/

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ナモー タッサ バガワトー アラハトー サンマーサンブダッサ
Namo  tassa   bhagavato  arahato   sammāsambuddhassa
阿羅漢であり正自覚者であり福運に満ちた世尊に敬礼致します


怨みを懐く者らの中に
怨みを懐かず安楽に生きよう
怨みを懐く人々の中に
怨みを懐かず安楽に住もう

苦しみ悩む者らの中に
苦しみ悩まず安楽に生きよう
苦しみ悩む人々の中に
苦しみ悩まず安楽に住もう

貪り求める者らの中に
貪り求めず安楽に生きよう
貪り求める人々の中に
貪り求めず安楽に住もう


(片山一良先生 訳)


○日常語訳

こころから気楽に生きてみよう
怨みのある世の中で怨みなく
怨みのある人々の中で
怨みのない人間として生活しよう

こころから気楽に生きてみよう
悩みのある世の中で悩みなく
悩みのある人々の中で
悩みのない人間として生活しよう

こころから気楽に生きてみよう
求め過ぎの世の中で求めずに
求め過ぎの人々の中で
求めない人間として生活しよう


○子供のためのダンマパダ

子供のように生きてみよう
戦火の下で屈託なく笑い
いがみ合う人々の足元で
うらみなく元気に遊ぼう

子供のように生きてみよう
失業者の群れの中で悩みなく
青ざめた人々の足元で
悩みなく元気に遊ぼう

子供のように生きてみよう
欲張りたちがいる中で欲はなく
目の血走った人々の足元で
欲張らずに元気に遊ぼう





○一口メモ

 今回の三つの詩に述べられる通りに「こころから気楽に生きてみよう」あるいは「悩みのある人々の中で、悩みのない人間として生活しよう」、「悩みのある人々の中で、悩みのない人間として生活しよう」、「求め過ぎの人々の中で、求めない人間として生活しよう」と言われれば、その通りです。しかし、そう言われても、それがなかなかできないと多くの方が思われているのではないでしょうか。
どうしたら、こころから気楽に生きられるのでしょうか?

 先ず、気楽に生きられないのはなぜでしょうか?この詩を参考に考えれば、①怨みを持つからです。②悩みがあるからです。③欲張るからです。ですから、①怨みをなくせば気楽に生きられます。②悩みをなくせば気楽に生きられます。③欲ばらなければ気楽に生きられます。

 ①怨みを持つかどうかは自分の問題ですから、自分で決めればよいのです。気楽に生きたいのであれば、怨みを捨てればいいのです。怨みを捨てられないのであれば、気楽に生きることを諦めなくてはなりません。自分の選択です。お釈迦様は、気楽に生きることを勧められています。

 ②悩みはどうでしょうか。悩みも自分の問題で、悩みを持つかどうかは自分で決まられるとは、悩みを持っている方は思えないと思います。しかし、悩みも自分の問題なのです。悩むかどうかは自分で決められるのです。例えば、太っていることに悩んでいるAさんがいるとします。しかし、Bさんは同じように太っていても悩んでいません。こういうケースは多くあります。同じように太っていても、悩む人Aさんと悩まない人Bさんがいるということは、悩むかどうかはその人が決めているのです。悩みがあれば気楽に生きられないのですから、気楽に生きたかったら、悩みを捨てればいいのです。悩んでいる人はよく分からないとおもいますが、よく考えてみて下さい。悩みとはそういうものなのです。(私の場合は違うと言う方は、私のメールアドレスに個人的にメール下さい。)

 ③欲張るかどうかは、個人の問題です。欲張ることを人の責任にはできません。気楽に生きたいと思うならば、欲張らなければよいのです。この問題については、なぜ欲張ると気楽に生きられないのかと疑問に持つ方もいるでしょうか。答えは簡単です。欲張るということは、必要以上のものを欲しがることです。その欲には際限がないのです。ですから、いつまでも不要なものを求め続けなければなりません。休み暇がないのです。到底気楽には生きられません。


○スマナサーラ長老のこの詩に関する説法

「戦争は愚か者の見せ場です」~戦争には正当な理由は成り立ちません~
  War is the haven of idiots.
http://www.j-theravada.net/howa/howa107.html

○前回までのこの詩に関するブログ記事

怨みある人々の中で怨みなく真に気楽に生きていこうよ
http://76263383.at.webry.info/200905/article_23.html

真に気楽に生きてみよう
http://76263383.at.webry.info/200807/article_10.html



○パーリ語原文

197.
ススカン ワタ ジーワーマ、ウェーリネース アウェーリノー 
Susukhaṃ   vata  jīvāma,  verinesu        averino;
真に安楽に 実に 生きよう 怨みある者の中で 怨みのない者として
ウェーリネース マヌッセース ウィハラーマ アウェーリノー
Verinesu  manussesu,  viharāma  averino.
怨みある 人々の中で 住もう   怨みなく

198.
ススカン ワタ ジーワーマ アートゥレース アナートゥラー
Susukhaṃ   vata  jīvāma,  āturesu         anāturā;
真に安楽に 実に 生きよう 苦悩する者の中で 苦悩なく
アートゥレース マヌッセース ウィハラーマ アナートゥラー
Āturesu   manussesu,  viharāma  anāturā.
苦悩する 人々の中で 住もう   苦悩なく
199.
ススカン ワタ ジーワーマ ウッスケース アヌッスカー
Susukhaṃ   vata  jīvāma,  ussukesu      anussukā;
真に安楽に 実に 生きよう 貪欲な者の中で 貪欲でなく
ウッスケース マナッセース ウィハラーマ アヌッスカー
Ussukesu  manassesu,  viharāma  anussukā.
貪欲な   人々の中で 住もう   貪欲でなく


〇詩のパーリ語原文の訳について。100番からは正田大観先生を中心に行われました関西のダンマパダ輪読会の時の御自分のノートを参考にして、木岡治美様がわざわざ書き下ろしたものを私に送って下さいました。それを参考にさせて頂いております。


〇慈悲の瞑想

~私は幸せでありますように~
~私の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の願いごとが叶えられますように~
~私に悟りの光が現れますように~
~私は幸せでありますように(三回)~

~私の親しい人々が幸せでありますように~
~私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の親しい人々の願いごとが叶えられますように~
~私の親しい人々にも悟りの光が現れますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように(三回)~

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~

~私の嫌いな人々も幸せでありますように~
~私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の嫌いな人々の願いごとが叶えられますように~
~私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように~

~私を嫌っている人々も幸せでありますように~
~私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私を嫌っている人々の願いごとが叶えられますように~
~私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように~

~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~


(この慈悲の瞑想を唱える人には必ず幸せが訪れます。)

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この記事へのコメント

2010年04月02日 03:54
ワンギーサさん、おはようございます。

そういえば、個人的な悩み事をワンギーサさんにメールしたことありませんんね(笑)。

一度、何かの時メールしようと思って問題点や論点をまとめていたら、自然と問題が解決してメールできませんでした。というより、問題が消滅してしまいました。内容も忘れました(笑)。整理整頓は大切でしょう。

そんな感じで、スマナサーラ長老に相談することもなくなってしまいました。

お金がなければ働けばすみます。病気を治したいなら医者にかかればよい。出来ない場合は諦めて、それなりに生きればいい。選択は限られてます。

ところで、イスラム教やキリスト教など、信仰宗教を「別に信仰したっていいじゃないか。それはそれで構わないではないか。そんなに悪かったら、皆ごろ生きてられないではないか。」と考えるとかなり楽になりました。イスラム寺院に、慈教の英訳とお布施の品を持参し、礼拝堂で慈悲の瞑想を唱えたことがあります。楽しかったです。

現実的に、世界はこの二大宗教を信仰する人が大半です。だから敢えて、ムキになって否定しても、多くの敵をつくるだけで、疲れるだけです。

仏教の世界では、「世直しより自分直し」です。というより、まずは自分直しからだと思います。それに成功した人でないとまともな世直しも出来ないでしょう。

それを毎日、頭の隅において置いて置くだけも、かなり気楽になりました!

自分直しこそは仏教の管轄ですから、仏教を学び、実践することが、真に気楽に生きるための秘訣のように思います。

有難うございました。
2010年04月02日 03:59
慈経でした。
あっきん
2010年04月02日 11:39
おはようございます。
プログを見て怨み・悩み・欲の共通点がありました。
どれも自分の問題です。私にとってたいした事でなくても、神経質な人だと怒る人とかいるし心の反応。
捏造していると、卵のように殻がおおわれて個々の世界で生きていると今の私は理解しております。 物事いくらでも解釈できる訳で、自己中心的な考えを無くすと障害がなく気楽に生きれるのでないかと、私的な感想でした。生きとし生けるものは幸せでありますように。
高橋優太
2010年04月02日 12:25
ワンギーサ先生、皆様、こんにちは。
今日もありがとうございました。3年前は悩んだり怨んだり欲張ったり全然気楽じゃなかったですが、最近はけっこう楽しく生活できてます。お釈迦様の教えをもっと頑張ればより幸福になると思うので、怠けず頑張ります。これからもご指導お願いします。
おんがえし
2010年04月02日 17:12
 昨日、六処の一つである「色」について、それは生命共通のデータであること、恐ろしい速さで変化している無常なものであることを書きました。
 この点につきましては、宝泉寺WEB内にありますhttp://www.geocities.jp/hoosenji/bukkyou/bukkyou-index_2.htmlのスマナサーラ長老の説法「無明と無知の違い」をお読みいただければ幸いに思います。
 
 たとえば、仏教において、「色」「見ている」という意味内容は、論者によって、内容がまちまちであると思います。
 「色」といっても、単純に「花の色」のような意味で用いていることもあると思いますし、哲学におけるセンスデータのような意味で用いていることもあると思います。
 同じように「見ている」といっても『何を』見ているのか論者によってまちまちであると思います。
 それが瞑想指導にも直結すると思います。
 しかし、真理のレベルにおいては一つしか正解はないと思います。
 最終的には、自分で真理を確かめるしかないのですが、瞑想指導者の選択には、以上の点にも十分に注意して頂きたいと思います。六処が何を意味しているのか、「見ている」「聞いている」などが何を意味しているのか、十分に注意して頂きたい思います。
もく魚
2010年04月02日 20:27
これはもく魚が以前住んでいた村だったらこうなる?であろうと言うシュミレーションです・・・・。昨日の雨でぬかるむ砂利道を急ぎ足で歩くもく魚。村で唯一、一軒だけある雑貨屋に入っていく。ガラガラ・・・

もく「おばちゃん、頼んでおいた本来てる?」いくぶん興奮気味。
おば「来てるよ。昨日役場のごっちゃんが(後藤さんのこと)町に下りたついでに買って持ってきてくれたよ」
もく「ありがとう」

本を受け取り店を出る。お互い顔見知りだから代金はいつでもOKなのである。ところが急いでいたためガツンと石につまずくと受け取ったばかりの「サンガジャパン」を水溜りに落としてしまう。ジャポン!

サンガジャパンがサンガジャポンになってしまった。

あせった原因の心が本を水溜りに落っことしてしまうと言う結果を出してしまったのだ。

あわてて拾い上げる。見るとちょっぴり表紙が破けてしまった。顔を上げると周りの山々は雪融けを終え春の訪れを告げている。

表紙破れて、サンガあり。

とりあえずワンギーサ先生の記事を読まなければと、水溜りを飛びこえ帰るもく魚なのである。
サンガジャパンは本当に買いました(^^;;
トム
2010年04月02日 21:16
人に求めすぎの自分を強く感じている今日この頃です(笑)
ワンギーサ
2010年04月02日 22:59
新さん、あっきんさん、高橋優太さん、おんがえしさん、もく魚さん、トムさん、コメントありがとうございます。
皆さんの熱心なコメントに丁寧に返事できませんですみません。しかし、今後もコメントよろしくお願いいたします。
もく魚
2010年04月03日 18:31
ワンギーサ様こんばんは。いつももく魚の駄文を載せて頂き有難う御座います(^^;;
もく魚は調子に乗って羽目を外すときがありますので、その時は遠慮なく没にしていただいて結構です。

ワンギーサ様の解説を読みながらダンマパダの深い意味を繰り返し学んで行きたいと思います。もく魚はホント勉強嫌いで困ります;;;

以前からコメントされている方々の名前を見ると、「みんな頑張っている。もく魚もさぼらず実践しなきゃ」と励みのひとつにしています。

またツヨシさんのコメントを読みたいですね。

よろしくお願いします。
こころざし
2015年09月01日 07:53
私事の記載をすみません、同居の義母に言われた事を真に受けて、そして自分の意見として言い返し→嫌がられる状態が続いています。「私が言った事にイチイチ反応しなくていい、受け流せば良いじゃないか」と言われ、イヤイヤそれでは片方は何を言ってもOK・こちらは何も言えないでは不公平では?・・みたいな思考が回転していました。
本文を拝見し、反省致しました。自分の到らなさを感じます。過程で実践出来ないのであれば→僕の修行は全く頂けていないという事になるかと思います。
もう一度義母や生きとしいけるものに対する接し方を振り返り、そして戒めて参りたいです。
たか坊
2017年04月02日 14:15
今回も明るく楽しく学べたコトを嬉しく思います♪

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