239.機会ごとにすこしずつ自己の垢を除くべし

ダンマパダ 第18 垢の章 239

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~~~~~お 知 ら せ~~~~~

◎すべての生命の幸せを願い、教えを説かれたお釈迦様の祝祭記念日
ウェーサーカ祭に興味のある方は下のアドレス(日本テーラワーダ仏教教会HP)を是非クックして下さい。
http://www.j-theravada.net/


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ナモー タッサ バガワトー アラハトー サンマーサンブダッサ
Namo  tassa   bhagavato  arahato   sammāsambuddhassa
阿羅漢であり正自覚者であり福運に満ちた世尊に敬礼致します


賢き者は順々に
機会ごとにすこしずつ
自己の垢を除くべし
銀細工師の銀垢の如く

(片山一良先生 訳)


○日常語訳

賢い人は次々に
少しずつ刹那刹那に
銀細工師が錆びを取るように
自分の心の垢を取り除く


○子供のためのダンマパダ

宿題は出された日に
やってしまおう
お母さんが食事のあとに
食器を洗うように





○一口メモ

 つい先日、4月22日のブログの掲載したダンマパダ226番「常に目覚めて昼夜に修行する」で引用したスマナサーラ長老の言葉は「心というのは、絶えず汚れが湧き出るものです。のんびりしている時も、寝て休んでいる時も、心は汚れっぱなしです。汚れた心は苦しみの結果を作る。」というものでした。今回の239番の詩も、そのために、「順々に機会ごとにすこしずつ、自己の垢を除くべし」ということになるのです。

 すべき仕事は、溜めてたら大変です。どんどん溜まって、溜まった仕事は終いには手がつけられないことになるのです。そのような経験はありませんか。その仕事の処理は、嫌なものですし、いい加減なことになり、失敗します。ですから、すべき仕事は、すぐ順々に機会ごとに処理すれは、気持ちよく、問題なく解決できるのです。

 この詩で問題にしていることは、生きるための仕事ではありません。心の汚れを落として、心を清らかにする仕事です。はじめにも述べましたが、心は絶えず、欲や怒りや愚かさという汚物で汚されています。汚れたら落す、汚れたら落とすということが必要なのです。そのうち、心が汚れなくなて、いつも清らかな心で居られるようになると言うことです。その時は、悟りあるいは悟りに近いと言うのだと思います。

 この詩のできた因縁物語についてはスマナサーラ長老の説法に書かれていますが、「機会あるごとに少しずつ」する仕事は、単に同じ仕事を繰り返す以上の意味があることを教えています。一つ一つの仕事が大きくなっていくのです。仕事をする能力が増大するということです。スマナサーラ長老の説法も是非お読み下さい。


○スマナサーラ長老のこの詩に関する説法

*小さな善から始まる ~一日で善人にはなれません~
 Self contradiction of the mind hinders your happiness.
http://www.j-theravada.net/howa/howa137.html

○前回までのこの詩に関する説法

*次々に刹那刹那に少しずつ心の汚れ取り除くべき
http://76263383.at.webry.info/200906/article_20.html

*モグラ叩きのゲームのように怒りの頭打ち落とせ
http://76263383.at.webry.info/200808/article_4.html


○パーリ語原文

239.
アヌプッベーナ メーダーウィー
Anupubbena  medhāvī,
順々に    智慧ある人は
トーカン トーカン カネー カネー
thokaṃ  thokaṃ  khaṇe  khaṇe;
少し   少し   瞬時   瞬時
カンマーロー ラジャタッセーワ
Kammāro  rajatasseva,
鍛冶工   銀の ように
ニッダメー マラマッタノー
niddhame  malamattano.
取り除く  垢を 自己の

〇詩のパーリ語原文の訳について。100番からは正田大観先生を中心に行われました関西のダンマパダ輪読会の時の御自分のノートを参考にして、木岡治美様がわざわざ書き下ろしたものを私に送って下さいました。それを参考にさせて頂いております。


〇慈悲の瞑想

~私は幸せでありますように~
~私の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の願いごとが叶えられますように~
~私に悟りの光が現れますように~
~私は幸せでありますように(三回)~

~私の親しい人々が幸せでありますように~
~私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の親しい人々の願いごとが叶えられますように~
~私の親しい人々にも悟りの光が現れますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように(三回)~

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~

~私の嫌いな人々も幸せでありますように~
~私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の嫌いな人々の願いごとが叶えられますように~
~私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように~

~私を嫌っている人々も幸せでありますように~
~私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私を嫌っている人々の願いごとが叶えられますように~
~私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように~

~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~


(この慈悲の瞑想を唱える人には必ず幸せが訪れます。)


この記事へのコメント

チュラパンタカ
2010年04月26日 21:50
こんばんは、

私は、ちょこちょこっと、スマナサーラ長老の、ご説法をお聞きに、言ったりと、日本テーラワーダ仏教協会さんに御邪魔にならないように、伺います

帰る時には、頭の中の曇りがすっかりなくなったような、感じになります

清らかを感じられます

それは、毎回の事であります

その時初めて、徐々に知らぬ間に、頭の中が、苦持っているのだなーと気づきます。

参加させていただいた後には、何とか、この感じを、持続しようと思いますが、やはり次回に、参加させて頂いた折には、清らかな感じになって、帰りの途に就きます

スマナサーラ長老はもちろんの事、そこに集まった御方との、スマナサーラさんとの関係、全てが、あって、

いつも、有難う御座います。
2010年04月27日 00:13
この「賢者は順々に 機会ごとに少しずつ 自己の垢を除くべし」で思い出しましたのが、南伝大蔵経 増支部経典3P283~(大蔵出版)です。 そこでは在家に対しての法話を集めていて、五戒を守って現世で憂いなく、死後天界へ行く話etcが語られています。
また釈尊が 在家信者のアナータピンディカ長者に「僧団にいろいろお布施するだけで満足してはいけない」と説いて、「如何に互いに在家が喜んで遠離に住むべきか?と学ぶべきである。」という説法を釈尊がされて実に興味深い話が載っています。
また五戒を守らない約500人の在家集団が、次第に五戒を守り、八戒を守り、出家して阿羅漢になるまでの説法があり、阿羅漢になるには、やはり順々に次第次第にやっていくことが説かれています。
ですので何でも焦らず、あきらめず、少しづつ実践していく事が肝要なんですね。 勉強になりました。ありがとうございます。m( )m
2010年04月27日 05:34
ワンギーサさん、おはようございます。

昨日、家の掃除をしましたが、かなりの汚れがたまっていてゲンナリしました。

何事も少しずつですね。でも、こころの汚れをためないよう精進することは人生の大問題だと思います。

肝に銘じて、汚れをためないようにしたいと思います。

有難うございました。
チュラパンタカ
2010年04月27日 19:55
何回もすみません

参考になるかと思い、書いてみます

私は、千三百日ぐらいになると思いますが、毎日、たばこをやめようと思い、たばこを買っては、捨て、千三百日ぐらい続けております

一日に、二、三回,たばこを買っては、止めようと思い捨て、やりましたから、回数にすれば、三、四千回やめようと決意したことになります

今も、たばこをやめようと、決意し、たばこを捨てたところです。御酒も止めようと思い決意してる、私です

今度こそ、止められますように

幸せで、幸せで、幸せでありますように
こころざし
2015年09月10日 07:33
感情的になったり、変な思考が回ったりの状況が日常的にあり→心が曇る印象を感じています。
思考を止めて慈しみで生きようとすると、少し汚れを除けるように思います。
その時々で出来れば心が汚れないように、そして汚れるのが日常ですので少しでも綺麗に出来るように努めたいです。

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