277.すべての現象は無常である

ダンマパダ 第20 道の章 277

ナモー タッサ バガワトー アラハトー サンマーサンブダッサ
Namo   tassa   bhagavato   arahato    sammāsambuddhassa
阿羅漢であり正自覚者であり福運に満ちた世尊に敬礼致します

あらゆる行は無常なり、と
智慧を持って観るときに
かれは苦を厭(いと)い離れる
これ清浄にいたる道なり


(片山一良先生 訳)


○日常語訳

すべての現象は無常であると
智慧によって見る時
苦から厭い離れる
これは清浄への道である


○子供のためのダンマパダ

どんなに好きなものでも
生まれたものは
必ず死にますよ
それは覚悟してください





○一口メモ

 今年の3月、サンガ(出版社)から発行された「サンガジャパン」という季刊誌に短文を投稿しました。その文章は今回の詩のテーマである無常についてであります。以下に全文掲載いたします。参考のために御笑覧下さい。既に、お読みの方はこれを飛ばして、スマナサーラ長老の御説法をお読み下さい。

題名:「悩みあるところ変化あり」
 人の悩みの内容は千差万別です。しかし、まとめて考えて見ると人間は一つのことに悩み苦しんでいるように思われます。それは変化です。変化を喜ぶ場合も多いのですが、それを受け容れられなくて悩んでいるのです。悩みがあるところには必ず変化があります。

 まず老化という変化です。髪の毛が白くなったり、あるいはなくなります。いずれ眼の老化も始まり、老眼鏡が必要になります。歯も悪くなり、入れ歯の世話にならなければならない人も出てきます。顔のしわなども気になるのです。しかし、それらを嫌がると、その事実に苦しみ悩むことになります。次は病気です。年を取ると身体のあちらこちらがいたんできて、病気になるのです。病気になれば、痛っかたり、苦し かったりしますから、それ自体が受け入れられないことです。さらに、病気のために死ぬかもしれないという恐怖も現れます。死も恐れしい変化です。親 しい人、側にいた人が急にいなくなることは言葉に表わせない深い悲しみや苦しみであることは誰にでも理解できます。自分自身の死については、本能的に死にたくないという思いがありますから、死は受け入れられないことです。これは最大の悩み苦しみになります。

 老化を受け容れると、どのように老いるかが問題になります。そうすると明るく、楽しく、老いることができるようになります。顔 にしわができるのは避けられなくとも、しわはその人の人格を表現しますから、人格を育てれば、明るく、美しい、しわができるようになります。しわを気にする 必要がなくなります。病気や死についても 同様な考え方ができます。あの良寛さんは「災難にあうときは災難にあうのがよく候、死ぬときは死ぬがよく候、これが災難をまぬがれる妙法にて候」という手 紙を災難にあわれた方に書かれたそうです。そのように病気や死を受け容れる覚悟が決まれば、病気も死も悩みや苦しみではなくなるはずです。

 老病死は分かりやすい例ですが、ある青年のこんな例もあります。彼の親は彼に大学は卒業して欲しいと思っている のです。しかし、彼は大学に行くことに価値があるとは思えず、大学に行きたくないと言って悩んでいるのです。この問題は親と子の意見の対立のように見えますが、実はこの青年は「大学を卒業しても、会社に就職して、企業戦士になるだけで、兵隊になるのと変わらない。そのようなことのために大学に行きたくない。」と言っていました。彼の問題の核心は大学や社会という新しい環境を受け入れたくないのです。人間が生きていくということは、環境の変化に適応して 行くということです。変化に適応できない人は深刻な悩みや苦しみにあうのです。ではなぜ環境の変化に適応できない人々がいるのでしょうか。生き方の基本を知らないからです。生き方の基本さえ分かれば、環境の変化に適応する勇気やエネルギーが湧いてきます。

 生き方の基本として、私は慈悲の瞑想の内容を説明します。簡単に述べれば、先ず自分の幸せを願うことです。そこが出発点です。自分が幸せであるためには、悪いことはできないし、いいかげんな生き方はできないのです。次に自分の親しい人々の幸せを願います。さらに、その願いをすべての生命に広げていくのです。はじめは自分自身の幸せを願うという小さな人格から、すべて生命の幸せを願う最大限に大きな人格に育ていくのです。このように人格を育てる過程で、回りの人々との関係がよくなり、どんな環境 にも適応できるようになるのです。

 私は悩みの相談の経験から、人間は変化を受け容れない時に悩んだり、苦しんだりするのだと思うようになりました。どんな変化を受け容れられないのか明確になれば、悩み苦しみの解決策が分かります。特に、環境の変化を受け入れられない人々には慈悲の瞑想から生き方の基本を学び実践することで悩みは解決するのだと言いたいのです。

○スマナサーラ長老のこの詩に関する御説法

*無常とは最高の福音 ~無常に逆らうことが悩み苦しみの原因です~
 Discovery of impermanence is the key to happiness
http://www.j-theravada.net/howa/howa161.html

○前回までのこの詩に関するブログ記事

*一切の形あるもの無常だと知れば心は清らかになる
http://76263383.at.webry.info/200907/article_13.html

*すべての現象無常であると一切厭い解脱する
http://76263383.at.webry.info/200808/article_29.html

○パーリ語原文

277.
サッベー サンカーラー アニッチャーティ
Sabbe  saṅkhārā  aniccāti,
一切の 事象は  無常で(ある)と
ヤダー パンニャーヤ パッサティ
yadā  paññāya  passati;
の時  智慧で  見る
アタ ニッビンダティ ドゥッケー
Atha   nibbindati  dukkhe,
その時  厭う     苦を
エーサ マッゴー ウィスッディヤー
esa   maggo  visuddhiyā.
この  道が   浄化のため


○詩のパーリ語について。100番からは正田大観先生を中心に行われました関西のダンマパダ輪読会の時の御自分のノートを参考にして、木岡治美様がわざわざ書き下ろしたものを私に送って下さいました。それを参考にさせて頂いております。

〇慈悲の瞑想

~私は幸せでありますように~
~私の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の願いごとが叶えられますように~
~私に悟りの光が現れますように~
~私は幸せでありますように(三回)~

~私の親しい人々が幸せでありますように~
~私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の親しい人々の願いごとが叶えられますように~
~私の親しい人々にも悟りの光が現れますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように(三回)~

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~

~私の嫌いな人々も幸せでありますように~
~私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の嫌いな人々の願いごとが叶えられますように~
~私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように~

~私を嫌っている人々も幸せでありますように~
~私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私を嫌っている人々の願いごとが叶えられますように~
~私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように~

~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~


(この慈悲の瞑想を唱える人には必ず幸せが訪れます。)


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~~~~~お 知 ら せ~~~~~

◎「ダンマパダ268.269.沈黙するだけでは聖者ではない」に関連して、スマナサーラ長老の4月月例講演会(心のお喋りはエンドレス ブッダは沈黙の聖者です)についてお知らせいたしましたが、Holi様のブログhttp://hohi.sakura.ne.jp/blog/2010-05-09-1.html.erb
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この記事へのコメント

CyberBaba
2010年05月22日 22:23
一口メモが素晴らしいと思いました。

さてまた「諸行無常は間違い?」というブログ記事をトラックバックさせていただきましたが、諸行無常の通常の解釈は間違いではないかという記事です。

不適切かもしれませんが、よろしくお願いいたします。
2010年05月22日 22:28
死を受け入れてから
生きるのが楽になりました。

過去を後悔するためでなく
未来の心配をするためでなく

毎日、今日が最期でも
悔いのないように
生きています。^^
2010年05月23日 04:33
ワンギーサさん、おはようございます。

 とにかく、勉強と修行だと思いました。

 正精進するようにしたいと思います。

 有難うございました。
慈悲と智慧
2010年05月23日 09:48
俗世間ではよく、【オンとオフの切り替えが大事】といいます。しかし、因果法則にはそれは当てはまらないのだと思います。
瞑想している時だけ、きちんとしていてもダメなのです。日中きちんとしていても夜乱れてはダメなのだと思います。
起きている時は常に気づく必要があると思います。
それはガチガチに緊張することとは違います。
2010年05月23日 17:37
>あすかさん
死を受け入れてから
生きるのが楽になりました。

☆これが初期仏教の「効用」の一つだと思います。

過去を後悔するためでなく
未来の心配をするためでなく

毎日、今日が最期でも
悔いのないように
生きています。^^

☆いやぁー僕も、あすかさんを見習って学んでいきたいと思います。ありがとうございます。m( )m
慈しみ
2010年05月23日 21:22
ワンギーサ様へ
協会の佐藤様のツイッターのブログhttp://twilog.org/tweets.cgi?id=naagita&word=jtbaにて長老の法話のメモが見れます。ご存じの方も多いと思いますが。差し支えなければ、ご存じ無い方には勉強になると思いますので情報として投稿致しました。
こころざし
2015年09月17日 07:37
老人介護の現場で高齢の方が体調不良になると、家族の方に来て頂きます。その時に、普段接する機会がないからか→老化を理解出来ず、救急車を呼べば治るとか・病院に行きさえすればよい等々の事を言い始める方は少なくありません。
病院に行けば→若返りするはずもなく、何処まで延命処置をしますか・・的な要素が出てきて違う意味での大変さが出てくる面があります。
受け入れる事の大切さと、職場では老化についての状況を丁寧に説明して行く必要性を感じています。

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