280.怠け者は智慧で道を見出せない

ダンマパダ 第20 道の章 280

ナモー タッサ バガワトー アラハトー サンマーサンブダッサ
Namo   tassa   bhagavato   arahato    sammāsambuddhassa
阿羅漢であり正自覚者であり福運に満ちた世尊に敬礼致します


務めるときに務めない
若く力があっても怠け
意気消沈し怠惰な者は
智慧によって道を見ず


(片山一良先生 訳)


○日常語訳

為すべき時に為さない者
若く力のある時に怠けている者
元気なく思考も意志も怠けている者
怠け者は智慧で八正道を見出せない


○子供のためのダンマパダ

起きる時に、起きない
学校に行く時に、行かない
宿題をする時に、宿題しない
これが怠けるということ





○一口メモ

 スマナサーラ長老のこの詩に関する説法の表題は「悟れないのはなぜ? ~こころに「怠け」という病がある~」というものです。仏教は、最高の幸福である涅槃を目標にしていますから、商売や趣味で成功しなくてもあまり重要な問題とは考えていないのです。しかし、涅槃に至ること、悟ることは一番大切に考えていますから、「悟れないのはなぜ?」は重要な問題なのです。スマナサーラ長老は「こころに『怠け』という病があるから」と述べています。

 では「怠け」とはどういうものでしょうか。この詩で怠けとは「務めるときに務めない」(為すべき時に為さない)と定義しています。為すべき時に為せば、仕事は自動的に成功するのですが、生命には「怠け」という根深い本能があって、なんとか為すべきことを為さないようにするのです。本能的な愚かさがあります。

 しかも、この怠けを何とかごまかそうと、次のような
①「寒すぎる」といっては、仕事をなさず
②「暑すぎる」といっては、仕事をなさず
③「遅すぎる」といっては、仕事をなさず
④「早すぎる」といっては、仕事をなさず
⑤「私は、非常に飢えている」といっては、仕事をなさず
⑥「私は、非常に腹がいっぱいである」といっては、仕事をなさず
(「南方上座部仏教のおしえ」より)
という「怠け者の六口実」があります。ではいつ仕事をするのでしょうか。
このような怠けの言い訳は、昨日述べた自我が言っているのです。

 自我は、いろいろ自己主張するくせに、大切なことはやらないようにがんばっています。自我は愚かで、怠け者なのです。ですから、自我を薄め、自我をなくすようにしないと、悟ることはありません。自我を克服することが、悟りの鍵になるのです。


○スマナサーラ長老のこの詩に関する御説法

*悟れないのはなぜ? ~こころに「怠け」という病がある~

1.努力しても成功に達する人は少ない。
2.修行しても悟りにたする人はまれである。
3.成功に達しない理由は怠けである。
4.がむしゃらに闇雲に頑張ることも怠けです。
5.怠けはとても危険な病です。

 パティパダー(2008年10月号)の「今月の巻頭法話」に掲載されています。残念ながら、まだ日本テーラワーダ仏教協会HPにはアップロードされてません。ですから、該当するパティパダーをお持ちでない方のために、スマナサーラ長老がまとめたポイントを列挙しておきました。


○前回までのこの詩に関するブログ記事

*若くても思考も意志も怠け者真理の道を見出せないぞ
http://76263383.at.webry.info/200907/article_16.html

*為すべき時に怠ける者は真理の道が分からない
http://76263383.at.webry.info/200809/article_1.html


○パーリ語原文


ウッターナカーランヒ  アヌッタハーノー
Uṭṭhānakālamhi     anuṭṭhahāno,
奮起する 時に    起き上がらない人は
ユワー バリー アーラスィヤン ウペートー
yuvā   balī   ālasiyaṃ     upeto;
若くて 力ある 怠惰を     具えている人は
サンサンナ サンカッパマノー クスィートー
Saṃsanna  saṅkappamano   kusīto,
元気がなく  思考も意も    怠惰な人は
パンニャーヤ マッガン アラソー  ナ ウィンダティ
paññāya     maggaṃ  alaso    na  vindati.
智慧によって 道を   怠惰な人 ない 見出す


〇詩のパーリ語について。100番からは正田大観先生を中心に行われました関西のダンマパダ輪読会の時の御自分のノートを参考にして、木岡治美様がわざわざ書き下ろしたものを私に送って下さいました。それを参考にさせて頂いております。

〇慈悲の瞑想

~私は幸せでありますように~
~私の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の願いごとが叶えられますように~
~私に悟りの光が現れますように~
~私は幸せでありますように(三回)~

~私の親しい人々が幸せでありますように~
~私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の親しい人々の願いごとが叶えられますように~
~私の親しい人々にも悟りの光が現れますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように(三回)~

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~

~私の嫌いな人々も幸せでありますように~
~私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の嫌いな人々の願いごとが叶えられますように~
~私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように~

~私を嫌っている人々も幸せでありますように~
~私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私を嫌っている人々の願いごとが叶えられますように~
~私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように~

~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~


(この慈悲の瞑想を唱える人には必ず幸せが訪れます。)


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この記事へのコメント

2010年05月25日 21:24
怠け者の六口実
耳が痛いです。^^;
これからは
なすべき時に
ちゃんとやります。
仏道を歩みます。

「がむしゃらに闇雲に
頑張ることも怠けです」
というのがちょっと
難しいです。
巻頭法話全文を読んだら
わかるかな。
楽しみにしております。
チューラパンタカ
2010年05月25日 21:44
①「寒すぎる」と思ったときに、仕事をしたくない自分に気付き
②「暑すぎる」と思ったときに、仕事をしたくない自分に気付き
③「遅すぎる」と思ったときに、仕事をしたくない自分に気付き
④「早すぎる」と思ったときに、仕事をしたくない自分に気付き
⑤「私は、非常に飢えている」と思ったときに仕事をしたくない自分に気付き
⑥「私は、非常に腹がいっぱいである」と思ったときに仕事をしたくない自分に気づき

ほんの少しでも成長したいと思います

生きとし生けるものが幸せでありますように
2010年05月25日 22:48
1.努力しても成功に達する人は少ない。
2.修行しても悟りに達する人はまれである。
↑ なるほど、確かに「正直」な話だと思いました。
(^^;
慈悲と智慧
2010年05月26日 00:18
これは私の私見というか実践を積み重ねて腑に落ちたことですが、怠けに気づくとは、怠けている自分を採点することではありません。怠けているという事実をただ確認するだけです。
【怠けている自分に怒ってしまえば】気づいていることにはならないのではないかということです。自分が気づきと認識している行為に【採点が介入していないか】ということで、本当に【ただその事実を確認しているだけなのか】ということです。
怠けている自分に気づいているつもりでも採点すれば、怠けに囚われます。採点しないでただ気づけばやる気が湧いて怠けは消えるのではと私は思います。
チューラパンタカ
2010年05月26日 01:47
ここに私は誓います

私は、全て人のせいにしてました

金輪際、人のせいにはいたしません。

生きとし生けるものに懺悔いたします

生きとし生けるものが幸せでありますようにと願います
2010年05月26日 04:17
ワンギーサさん、おはようございます。

 怠け者の六口実の反対はいわゆる「忍耐」でしょうか。

 「忍耐」と似た言葉に「精進」がありますが、朝日カルチャーでスマナサーラ長老に「クルマの運転をする時、アクセルを踏む働きが精進で、人をよけながら障害物を避ける働きが忍耐。」というようなことを、教えて頂き、モヤモヤがスッキリしました。

 「忍耐」+「精進」で不幸の元である「怠け心」を何とかしたいと思います。

 有難うございました。

 
ぱん
2010年05月26日 07:19
なぜ自分がダメな生き方をつづけているのか。今日の解説ではっきりしてきたように感じました。本能的な愚かさや、自我という原因があるから、ニート・ひきこもりであるという結果を出しつづけていたのだと気づきました。なんとなく陥っていた悪い生き方を、正精進や八正道の良い生き方に変えてゆく鍵は、自我にある。自我を薄め、自我をなくしてゆきたいと思いました。
チューラパンタカ
2010年05月26日 07:23
働きの部分ですが

働いてるということが大切なのですね

アクセルを踏む時も、その他の動作も、車が、動いてることに当たり前ですが、気づいています。

もし車が動いてることに、ほんの何秒かの間でも忘れたらどうなことかは、想像できると思います。忘れているのだからハンドル操作もしないという結果になります

生きていること自体に、精進、忍耐を切らさず、運転していれば、安心です、それが、五戒であり、八正道、なのでしょうか?。

私はその人生を上手に生きていくための、ルールをまだあまり理解できてません

しかし、自分の人生を運転していく上で、守ってみると、本当に、楽に生きていけるのでしょうね、

少しその気になりましたよ

有難う御座いました。
 、
慈悲と智慧
2010年05月26日 10:53
続き
私が怠けについて分析みたところ、スマナサーラ長老のおっしゃる通り先ず腰を使って背筋を伸ばすことは大変有効であるということです。
あと、怠けている際は【頭の中でおしゃべりしている】ということも発見しました。
慈しみ
2010年05月26日 19:50
昨日自我についてのお話がありましたがここのページにもタイの巨星といわれるプッタタート比丘の自我に関する法話がありますので宜しければご覧下さい→http://space.geocities.jp/tammashart/book-kouhuku.html

…仏教でよく安らぎという言葉が出てきますが、自我が無くなった時、本当の安らぎを味わうことが出来るのかも知れません。
こころざし
2015年09月18日 07:36
怠けは気をつけていないと容易に出るように思います。怖いなと思うのは時間的余裕はあっても、あえて何だかんだよそ事をして怠け、その折角の実践の時間を潰してしまう状態が日常的にあることです。
やるもやらないも本人次第ですので、意欲と集中力を持って実施したいです。

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