281.言葉をつつしみ心をよく制御して身体によって不善を行わない

ダンマパダ 第20 道の章 281

ナモー タッサ バガワトー アラハトー サンマーサンブダッサ
Namo   tassa   bhagavato   arahato    sammāsambuddhassa
阿羅漢であり正自覚者であり福運に満ちた世尊に敬礼致します


言葉を慎み、意をよく護り
身により不善を行なわず
この三業道をよく浄め
仙人の説く道を成ぜよ


(片山一良先生 訳)


○日常語訳

言葉をつつしみ、心をよく制御して
身体によって不善を行わない
これら三つ行為を清めるならば
仏陀の説かれた道を完成するだろう


○子供のためのダンマパダ

わたし、わたしというと
けんかになるよ
ゆずりあって
なかよく遊ぼう





○一口メモ

 前々回のブログで、無我について述べました。しかし、私たちは私という実感は強く、「私はないなど」と言われても、到底納得いくものではありません。しかし、いろいろ調べていけば、確実な実体ではなく、私たちの思いが作りだしたものだと分かってくる筈です。少なくとも、昨日の自分と今日の自分は、身体も心も変化していることは理解できると思います。

 私たちが、変わらない私と思っているものを自我(エゴ)と言います。昨日ものべましたが、この自我が私たちの問題を作りだし、悩みや苦しみを生み出しているのです。であるならば、この自我は実体のない、単なる思いの中にある私という実感を薄め、なくすことができれば、すべての問題がなくなり、悩み苦しみがなくなります。このような考え方に同調できなければ、次に話は進められないのですが、納得していただければ、次の問題が出てきます。

 すなわち、どのように私という実感、自我(エゴ)を薄めていくか、そしてどのようにその実感をなくすかということです。それを、この詩は教えているのです。先ず、自我は話す時に現れます。自我は自己主張をしたいのです。ですから、自我は話したいことを話したいのです。自我の好きなようにさせていたのでは、自我は薄まりませんし、なくせません。自我に慎みを教えなければいけません。必要以外の話をしないように、相手を傷つけるようなことは言わないように、嘘は言わないようにしなければなりません。

 また、自我は話さなくとも、心の中で勝ってなことを考えます。欲や怒りや他人を害することを考えないようにしなければいけません。そして、自我は身体を通じて悪いことをします。生き物を殺すこと、盗むこと、邪な行為などをします。自我にこのような行為をさせないようにさせないように注意しなければいけません。

 自我を薄め、なくす作業は、言葉と思いと身体による行為を通じて実践することができます。このような実践はお釈迦さまが教える、八正道の実践なのです。繰り返しますが、言葉と心(思い)と身体の行為を通じて、自我をうすめ、なくす実践は八正道の完成になるのです。自我が薄まれるにつれて、安らぎが訪れ、自我がなくなれば大いなる安らぎが現れます。


○スマナサーラ長老のこの詩に関する御説法

*安らぎへの道は険しくない ~誤解は解脱を妨げる~

1.仏教徒は計画を立てて生活する
2.仏教を実践する人は解脱できなくても幸福になる
3.あらゆる宗教の修行よりも仏教の修行は簡単です
4.仏道はすぐに結果が現れる道です。

 パティパダー(2008年11月号)の「今月の巻頭法話」に掲載されています。残念ながら、まだ日本テーラワーダ仏教協会HPにはアップロードされていません。ですから、該当するパティパダーをお持ちでない方のために、スマナサーラ長老がまとめたポイントを列挙しておきました。


○前回までのこの詩に関するブログ記事

*まず言葉心と体三行為清めるならば道は完成
http://76263383.at.webry.info/200907/article_17.html

*言葉を守り心を守り行ない正し完成だ
http://76263383.at.webry.info/200809/article_2.html



○パーリ語原文

ワーチャーヌラッキー マナサー スサンヴトー
Vācānurakkhī      manasā   susaṃvuto,
言葉を守り       意を    制御すること
カーイェーナ チャ  ナークサラ  カイラー
kāyena     ca    nākusalaṃ   kayirā;
体による  そして  ない 悪行を 行わ
エーテー タヨー カンマパテー ヴィソーダイェー
Ete     tayo  kammapathe     visodhaye,
これらの 三つ 行為の  道を   清浄する   
アーラーダイェー マッガミスィッパヴェーディタン
ārādhaye       maggam isippaveditaṃ.
達成するだろう  道を    仙人(ブッダ)が説く


〇詩のパーリ語について。100番からは正田大観先生を中心に行われました関西のダンマパダ輪読会の時の御自分のノートを参考にして、木岡治美様がわざわざ書き下ろしたものを私に送って下さいました。それを参考にさせて頂いております。

〇慈悲の瞑想

~私は幸せでありますように~
~私の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の願いごとが叶えられますように~
~私に悟りの光が現れますように~
~私は幸せでありますように(三回)~

~私の親しい人々が幸せでありますように~
~私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の親しい人々の願いごとが叶えられますように~
~私の親しい人々にも悟りの光が現れますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように(三回)~

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~

~私の嫌いな人々も幸せでありますように~
~私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の嫌いな人々の願いごとが叶えられますように~
~私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように~

~私を嫌っている人々も幸せでありますように~
~私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私を嫌っている人々の願いごとが叶えられますように~
~私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように~

~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~


(この慈悲の瞑想を唱える人には必ず幸せが訪れます。)


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~~~~~お 知 ら せ~~~~~

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この記事へのコメント

2010年05月27日 04:16
ワンギーサさん、おはようございます。

 八正道を完成してない。という厳然たる事実があります。自我があるという意味です。

 方法は一つ。やるしかないのだと思います。

 今日も八正道に励みます。


 有難うございました。
チューラパンタカ
2010年05月27日 07:30
「前よりよくなったではないか」と思わせるような思考が結構出てきました

五戒、に精進、忍耐をします

失礼します
あん
2010年05月27日 08:06
言葉は怖いです
今まで、人の言葉に腹がたち
自分の言葉がどんなに人を傷つけているかを知らずに
無痴な言動をしてきました。

今は人と会話するときは
相手に安らぎを与える言葉
相手の状態を冷静に観察するように注意しています
言葉が見当たらない時は黙っています
智慧が無いですから、なかなか難しいですが
励んでいます

あっきん
2010年05月27日 08:08
 おはようございます。
 協会入会以前、とある人に「人間の脳は原始人とたいして変わってない」と言ってたのが記憶に残ってます。私「はあ?」でした。専門的な事はよく分かりません。でもなんか今、何気に分かる気がしました。もしかしたら科学が発展しコンビニがあるけど、ある半面生き物を殺し食べて人間は変わってないのかな。進化したいなと思いました。
生きとし生けるものは幸せでありますように。
2010年05月27日 08:15
自我を無くす
といきなり言われても
尻ごみしてしまいますが
自我を薄めていく
ならできそうです。^^

行為だけでなく心で
思うのもよくないのですね。
心で思いながら我慢しても
何かがたまっていくのは
よくわかります。

そして、言葉。
音としての言葉はもちろん
これからはネットやメールの
文字としての言葉にも
気をつけなければ
なりませんね。^^
ぱん
2010年05月27日 08:35
前々回のブログの影響で、どのように自我をなくすべきか、私も考えていました。今日の記事でワンギーサさんは、正語、正思惟、正業という八正道によって、自我をなくすべきだと仰っていると思います。八正道の実践を心がけるという原因を行っていれば、自我が薄まる、自我がなくなってゆく結果が出るのだと仰っていると思いました。個人的には、『ブッダの実践心理学 第二巻』が、テーマが「心の分析」なので、その本も読みつつ、「自分を清めること」に挑戦してゆきたいと思います。
しょうしょう
2010年05月27日 10:25
みなさま、はじめまして。
自我についてなんですが、瞑想してると体も心も私に関係なく勝手に生滅し、動いているのが感じられますが、何となく、変えられない音色というか、色合いというかいわゆる記憶や思考パターンや感情以前の基本的な性格のようなものを感じてしまいます。
これは大異熟心の影響なのでしょうか?
それともこれも妄想に過ぎないのでしょうか?
なんだか、「私がある」の根っこのようなものを感じています。
頭でっかち
2010年05月27日 19:51
しょうしょう様、こんばんは。

私も瞑想していて、体を動かしても、何かを触っても、何かを考えても、何かを聞いても、何かを見ても、何かを食べても、ずっと何か流れている塊のようなものを感じます。

静かに瞑想をしていて、落ち着いてきたと思っても、結局その塊みたいなものを感じます。せっかく大きな流れというか、文脈というか、そんな観察をしていても、この塊が変な情報を発信していて、邪魔されているようにも感じます。

これが、無明じゃないかなあと考えて、これがなくなればずいぶん楽になるだろうなあとか考えています。

私の見解なんで何ともなりませんが、井戸端の話として聞いてくだされば!!
慈悲と智慧
2010年05月27日 19:55
自我がない状態がどういうものか言葉で出来る範囲で説明したのが、スマナサーラ長老の『原訳スッタニパータ蛇の章』だと私は思います。
長老の本はどれも全て素晴らしいですが、一冊だけ挙げて下さいと言われたらこの本を私はあげたいですね。
この本を真剣に百回繰り返し読めばかなり自我は薄まると思います。
とにかく自我を薄めるには地道な練習が必要であり、何か魔法があるのではと探している間は薄まらないと思います。
こころざし
2015年09月23日 07:32
自分を振り返り、話すときに自己顕示欲が出て容易に誇大な発言をする事があり心が汚れる機会になる事があります。また心でエゴを思っていると容易にその状態に姿勢が突入しかねません。また戒律を破るような行為をすると至らない自分が肯定され取り返しがつかないような心境になります。
身口意に注意して心が汚れないように、自我が減るように努めた参りたいです。

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