282.瞑想あれば智慧生じ

ダンマパダ 第20 道の章 282

ナモー タッサ バガワトー アラハトー サンマーサンブダッサ
Namo   tassa   bhagavato   arahato    sammāsambuddhassa
阿羅漢であり正自覚者であり福運に満ちた世尊に敬礼致します


瞑想あれば智慧生じ
瞑想なければ智慧滅す
生じることと滅することの
この二種の道を知り
智慧が増大するように
自己を確立するがよい


(片山一良先生 訳)


○日常語訳

瞑想から智慧が生じ
瞑想がなければ智慧は滅する
生じることと滅すること
この二つの道を知って
智慧を増やすように
自分を確立させること


○子供のためのダンマパダ

集中して宿題やれば
すぐできますが
よそ見をしててはできません
智慧がうまれないからよ





○一口メモ

 テーラワーダ仏教に近づいてくる縁のある方々にはいろいろなケースがあります。ある人々は仏教はどのような教えか知りたくて来る方です。あるいは、瞑想に興味があって瞑想を学びに来る人です。ほかにもいろいろの理由がありますが、仏教を知識として学びたい方は、どちらかというと瞑想などの実践には積極的でなく、瞑想の好きな方は仏教理論にはあまり興味がないという方が多いようです。切っ掛けはどんな理由でもかまいませんが、仏教を学ぶためには、理論と実践が必ず必要なのです。どちらか一方だけでは片手落ちというだけでなく、理論と実践がなければ最終目標を達成できないのです。

 なぜならば、仏教の最終目標は涅槃でありますが、涅槃はお釈迦さまという仏陀が人類に初めて生まれて、初めてそこへの道が明らかにされたものであり、その教えがなければ決して到達できないものだからです。また、涅槃への到達は実践という修行が必要だからです。

 実践の必要性に関しては、日本テーラワーダ仏教協会の「日常読誦経典」の61ページにある「偉大なる人の思考」にある次の言葉に基づいて考えてみましょう。

 「8.この法は無為(現象を乗り越えた真理・涅槃)を喜ぶ、無為を楽しむ人のものであり、有為(現象、妄想の世界)を喜ぶ、有為を楽しむ人のものでない。」

 有為はパーリ語のパパンチャの訳で、スマナサーラ長老は「捏造」とも訳されています。無為はパーリ語のニッパパンチャの訳ですから、「捏造のない」ということになります。(パパンチャについてはこのブログで何度も解説していますから、ブログ内検索で調べて下さい。)

 ここで問題になるのは、有為については、理論や思考によって理解できるものなのですが、無為については、理論や思考では理解できない事柄(実はこの言葉も使えないのです)ですから、実際に経験し、体得する以外には会得できない事柄なのです。智慧とはそういうものであり、正しい瞑想によって生じるものなのだとこの詩は教えています。


○スマナサーラ長老のこの詩に関する説法

*空虚な知識人 ~人の中身とは解脱の智慧である~

1.無知な信仰より知識で理解すること
2.理論より理性にもとづいて観察すること
3.人格向上を助けない知識は危険な知識です
4.智慧のある人が中身のある人です

 パティパダー(2008年12月号)の「今月の巻頭法話」に掲載されています。残念ながら、まだ日本テーラワーダ仏教協会HPにはアップロードされてません。ですから、該当するパティパダーをお持ちでない方のために、スマナサーラ長老がまとめたポイントを列挙しておきました。


○前回までのこの詩に関するブログ記事

*瞑想で智慧が生じる生じては滅する真理を体得すべし
http://76263383.at.webry.info/200907/article_18.html

*修行をすれば智慧が生じる 智慧を増やして阿羅漢に
http://76263383.at.webry.info/200809/article_3.html


○パーリ語原文

ヨーガー ウェー ジャーヤティー ブーリ
Yogā   ve    jāyatī        bhūri,
瞑想で 実に  生じる       広大な(智慧)が   
アヨーガー ブーリサンカヨー
ayogā     bhūrisaṅkhayo;
瞑想なしで 広大な(智慧)の消滅
エータン ドウェーダーパタン ニャトゥワー
Etaṃ    dvedhāpathaṃ     ñatvā,
この    二つの道を      知って
バワーヤ ウィバワーヤ チャ
bhavāya   vibhavāya  ca;
存在に   非存在に  と      
タターッターナン  ニヴェーセーッヤ チャ
Tathāttānaṃ      niveseyya,
そのように 自己を 確立するように
ヤター ブーリ パワッダティ
yathā   bhūri        pavaḍḍhati.
ように  広大な(智慧)が 増大する


〇詩のパーリ語について。100番からは正田大観先生を中心に行われました関西のダンマパダ輪読会の時の御自分のノートを参考にして、木岡治美様がわざわざ書き下ろしたものを私に送って下さいました。それを参考にさせて頂いております。

〇慈悲の瞑想

~私は幸せでありますように~
~私の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の願いごとが叶えられますように~
~私に悟りの光が現れますように~
~私は幸せでありますように(三回)~

~私の親しい人々が幸せでありますように~
~私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の親しい人々の願いごとが叶えられますように~
~私の親しい人々にも悟りの光が現れますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように(三回)~

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~

~私の嫌いな人々も幸せでありますように~
~私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の嫌いな人々の願いごとが叶えられますように~
~私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように~

~私を嫌っている人々も幸せでありますように~
~私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私を嫌っている人々の願いごとが叶えられますように~
~私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように~

~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~


(この慈悲の瞑想を唱える人には必ず幸せが訪れます。)


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~~~~~お 知 ら せ~~~~~

◎「ダンマパダ268.269.沈黙するだけでは聖者ではない」に関連して、スマナサーラ長老の4月月例講演会(心のお喋りはエンドレス ブッダは沈黙の聖者です)についてお知らせいたしましたが、Holi様のブログhttp://hohi.sakura.ne.jp/blog/2010-05-09-1.html.erb
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この記事へのコメント

2010年05月27日 21:15
何事も理論と実践ですね。
まだ直接瞑想指導を
受けていないのですが
やらないよりは
やった方がいいでしょうか。

今は本などで勉強しています。
歩くヴィパッサナーをしたり
日常のあらゆることを
今に集中して実況したり。
座るヴィパッサナーも
やっと少しできるように
なってきました。

近くで指導が受けられる
機会があればよいのですが。
体調がもっとよくなったら
ぜひ直接ご指導の機会をと
その日を楽しみに
日々精進しております。^^
チューラパンタカ
2010年05月27日 21:22
私は、まだ一度もスマナサーラ長老の初心者指導の通りに実践できたことがありません

ヴィパッサナー冥想これから二時間やります

生きとし生けるものが幸せでありますように
2010年05月28日 04:26
ワンギーサさん、おはようございます。
 
 無我など、難解なことを述べられる反面、こういうことを強調されるのが、ブッダの智慧の凄さなのかな?と思いました。

 車の両輪のように、理論と実践をいいあんばいにするのは思ったより難しいと正直感じてます。

 しかし、実践の甲斐があってか、少しずつ理論の部分の理解が深まりました。


 精進したいと思います。


有難うございました。
あっきん
2010年05月28日 09:45
 おはようございます。
 そうですね。私は瞑想目的で精舎に言ってました。
理論はいま一つでした。なんで解脱を目指すのか、恥ずかしながら近ごろ分かったしだいです。意味なくから回りしているにすぎない。輪廻から外れ苦を無くし幸せになる。これが柱。ありがとうございました。
2010年05月28日 18:09
このyogaをどう訳すか?でちょっと受け取るニュアンスが変わる感じがします。中村先生訳だと「心が統一されたならば」、正田先生訳ですと「道理あるがゆえに」・・・etc。
いずれにしましても、yogaヨーガ 辞書では「軛、束縛、 繋縛、結合、関連、実修、精神集中、努力」といろいろ日本語訳がありますが、妄想せず、「思考」から生まれてくるものでなく、【今ある身体と心の事実を見続けること】により瞬間に生まれる「智慧」が、本当の心の安らぎ、賢明さに導くてくれるはずだと僕も感じます。
CyberBaba
2010年05月28日 22:46
蒼氓さん

Yoga の元々の意味は結合ですが、一般的には修行の意味で、ここでも修行、もっと意訳すれば瞑想で良いと思います。特に今ある身体と心の事実を見続けるヴィパッサナー瞑想ですね。
理論と実践については、トラックバック「ダンマパダに始まり般若心経に終わる」をご参照ください。最終的に真理は自分の眼で確かめなければなりませんから。
こころざし
2015年09月23日 07:43
これまで冥想を身の丈で行って参りましたが、気持ち的には真剣でも、未熟で真似事の様な状態でした。先日3日間自分の心を修行する(外の事はおいておく)心意気で冥想に取り組んだ時、これまで如何に視点が外に行っていたかに気がつきました。それが心が安定しない理由にもなっていたと思います。
理論と実践を共に深めていけるように精進したいです。

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