283.284.乳を飲む子牛が母をしたうように男は女に執着する

ダンマパダ 第20 道の章 283、284

ナモー タッサ バガワトー アラハトー サンマーサンブダッサ
Namo   tassa   bhagavato   arahato    sammāsambuddhassa
阿羅漢であり正自覚者であり福運に満ちた世尊に敬礼致します


林を切れ、木を切るな
恐怖は林から現れる
比丘らよ、林も林叢も切り
林を離れた者となれ

女に対する男の林が
わずかであっても断たれぬ限り
かれは心が縛られている
母の乳吸う仔牛のように


(片山一良先生 訳)



○日常語訳

林(欲)を切り倒せ、木ではない
林(欲)から恐怖が生まれる
林(欲)も草むら(微欲)も切り倒し
比丘たちよ、欲のない(涅槃)者であれ

欲の草むらが切り取られない限り
女への男の欲が少しでもあれば
乳を飲む子牛が母をしたうように
男は女に執着する


○子供のためのダンマパダ

心には欲という木が生えています。
木は何本もありますから林です。
心を畑にするには木を切って
広い空き地を作ります。

男は女が好きです
でもあんまり好きになると
離れられなくて
男は女の奴隷になるよ






○一口メモ

 まず、片山先生の訳をもう一度読んで見て下さい。意味は分からないと思います。林と言う言葉はパーリ語ではVANAですが、それには林と言う意味の他に、欲という意味があるのです。ですから、VANAを切れは、木を切るということではなく、欲を切れということだよと言っているのです。ちょっとした言葉の遊びですですが、お釈迦さまはこのようにして、話を聞く人の興味を引きつけているのです。しかし、重要な内容なのです。

 なぜ、お釈迦さまは林(欲)を切れと仰るのでしょか?昔のインドの林を現代の日本の林からイメージしてはいけません。昔のインドの林には、恐ろしい猛獣やコブラなど猛毒のある蛇や虫がすんでいます。林というところは恐ろしい場所なのです。実はそのように、欲というものは、人間の恐怖をもたらす元凶なのです。何も持たない人は欲により死の恐怖に襲われます。また多く持つ人は失う恐怖を欲により持ちます。欲には限界がありませんから、欲により食べすぎ、飲みすぎなどで身体を壊します。また、際限のない欲の妄想のために精神も冒されます。実に、欲から恐怖が生まれ、苦しみが生まれるのです。ですから、お釈迦さまは欲を切れと仰るのです。

 欲を切ることにより、恐怖がなくなります。恐怖がなくなれば苦しみがなくなるのです。すべての欲を切り取ることで、すべての恐怖がなくなり、すべての苦しみをなくすことができるのです。そのような人は欲のない人であり、涅槃に達した人なのです。

 なお、小さな草むらのような欲も、ほっておくと、どんどん成長して、切り倒させないような大木になります。ですから、木を切るだけでなく、小さな下の草むらも切り取って置かなければなりません。
後半の詩では、男の女に対する性欲が少しでも残っていると、仔牛は母牛をしたうように、男は女に対する執着から離れられないのです。なぜ、性欲がいけないのかという疑問があると思いますが、性欲があると、執着が生まれます。執着があれば、欲の対象に束縛されるのです。自由ではないのです。仏教では夫婦間の行為は否定していませんが、過度な性欲は慎んだ方が良いのです。


○スマナサーラ長老のこの詩に関する御説法

*樹を残し森を伐(き)る方法 ~組合をつくるから煩悩は怖い~

1.お釈迦さまも時々、なぞなぞで語られる。
2.悪業も一個なら力が弱い。
3.罪は群れを作って際限なく危険になる。
4.善心所は群れをつくると解脱に達せられる。
5.群れをつくるから、微罪にも気をつけるべきだ。

 パティパダー(2009年1月号)の「今月の巻頭法話」に掲載されています。残念ながら、まだ日本テーラワーダ仏教協会HPにはまだアップされてませ ん。ですから、該当するパティパダーをお持ちでない方のために、スマナサーラ長老がまとめたポイントを列挙しておきました。



○前回までのこの詩に関するブログ記事

*欲の森恐怖の森を切り倒し欲望のない涅槃者であれ
http://76263383.at.webry.info/200907/article_19.html

* 恐怖が生まれる欲望の森ニッバーナのため切り倒せ(283)
http://76263383.at.webry.info/200809/article_4.html
 
* 解脱するまで性欲あれば男は女に御執着(284)
http://76263383.at.webry.info/200809/article_5.html
 

○パーリ語原文

ワナン   チンダタ  マー ルッカン
Vanaṃ    chindatha  mā   rukkhaṃ,
森(欲)を  切る   ではない  木
ワナトー ジャーヤテー バヤン
vanato   jāyate      bhayaṃ;
欲から 生まれる    恐怖が
チェートゥワー ワナンチャ ワナタンチャ
Chetvā      vanañca    vanathañca,
切って      森(欲)も  草むら(欲)も
ニッバナー   ホータ ビッカヴォー
nibbanā      hotha  bhikkhavo.(283)
欲のない(涅槃) あれ 比丘たちよ

ヤーワ ヒ   ワナトー   ナ  チッジャティ
Yāva   hi   vanatho    na   chijjati,
限り  実に  草むら(欲) ない 切られる
アヌマットーピ ナラッサ ナーリス
aṇumattopi    narassa  nārisu;
微量  でも  人々の  女性において
パティバッダマノーワ ターワ  ソー
Paṭibaddhamanova   tāva     so,
執着した 心 ように それだけ 彼は
ワッチョー キーラパコーワ マータリ
vaccho    khīrapakova   mātari.(284)
子牛が   乳を飲むように 母において


〇詩のパーリ語について。100番からは正田大観先生を中心に行われました関西のダンマパダ輪読会の時の御自分のノートを参考にして、木岡治美様がわざわざ書き下ろしたものを私に送って下さいました。それを参考にさせて頂いております。

〇慈悲の瞑想

~私は幸せでありますように~
~私の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の願いごとが叶えられますように~
~私に悟りの光が現れますように~
~私は幸せでありますように(三回)~

~私の親しい人々が幸せでありますように~
~私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の親しい人々の願いごとが叶えられますように~
~私の親しい人々にも悟りの光が現れますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように(三回)~

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~

~私の嫌いな人々も幸せでありますように~
~私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の嫌いな人々の願いごとが叶えられますように~
~私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように~

~私を嫌っている人々も幸せでありますように~
~私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私を嫌っている人々の願いごとが叶えられますように~
~私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように~

~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~


(この慈悲の瞑想を唱える人には必ず幸せが訪れます。)


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~~~~~お 知 ら せ~~~~~

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この記事へのコメント

2010年05月28日 20:33
お釈迦様は選びに選んだ言葉で
わかりやすく語られているのですね。
原文の単語の説明で
よくわかりました。
ありがとうございます。

食欲などもそうですが
本能的な欲は
どうしようもないのでは
と思っていましたが
何とかできないものでは
ないのですね。
難しいけれど。
頭でっかち
2010年05月28日 22:43
ワンギーサ先生、こんばんは。

<欲の草むらが切り取られない限り
<女への男の欲が少しでもあれば
<乳を飲む子牛が母をしたうように
<男は女に執着する

今回のダンマパダはキッツイですねえ。

キッツイのは自分のせいだということを、いろいろ勉強してはいるんですけれど、キッツイですねぇ・・・

引き続き、がんばってみようかと思います。

有難うございました。
CyberBaba
2010年05月28日 23:06
林と欲のダブルミーニングですね。
諸行無常、一切皆苦、諸法無我の部分もダブルミーニングと解釈するのが妥当なのかもしれません・・・
あっきん
2010年05月29日 01:40
 おはようございます。
もし医者に告知されたら、ショックでしょうね。
生存欲があり、執着を体にもしてますから。
変化する心を見つめたいと思います。薄まるかしら。
私的に戒を守るのは、欲を切るためとも受け取れるのですが、そう思わない方は気にしないで下さいね。
生きとし生けるものは幸せでありますように。
2010年05月29日 04:22
ワンギーサさん、おはようございます。

 私は以前、ある社会活動に携わつたことがありますが、老若男女、様々な立場の方々が「一致団結」すると、国政まで動かすほどの凄まじい相乗効果があることを、思い知った経験があります。

 実は、そのような活動が終焉を迎える頃にテーラワーダ仏教と出会ったのですが、「心の汚れが団結」して、自己破壊してるとは、全く考えもしてませんでした。

 自分自身が幸福に至らねば、世直し、他人直しより「自分直し」しなければ、極めて危険であると改めて思いました。


有難うございました。
ぱん
2010年05月29日 08:16

なぜ性愛がいけないのかという疑問は私ももちました。なぜなら、瞑想世界の女神は嫉妬深いからだと思います。世間の女を愛していると、勝利の女神は微笑まない。『ブッダの実践心理学 第二巻』で書かれている禅定の説明を読んでいてそのように思いました。
2010年05月29日 09:05
欲の執着は本当に恐ろしくて手ごわく
私を悩ませます
林を譬えに色々な角度から教えてくださって
ありがたいことです
欲が現れたときには
全ては過ぎ去る現象のみ
と妄想を止める
「今」やるべきことに専念いたします

有難うございました
慈悲と智慧
2010年05月29日 09:14
欲望を求めるその心は自分の人生の心配なんかこれっぽっちもしていない。
ただ、刺激が欲しいだけである。スマナサーラ長老のファンであれば誰でも知識として知っていると思います。
つい先ほど腑に落ちる事がありました。腑に落ちるといっても完全に根元から切り離せたということではないようです。
知識として欲望の事を知ることは大事ですが、それでは未だ本当に分かったことにはならないのだと思います。
何回も腑に落ちることがあってようやく根元から切り離せた、つまり本当に分かったということになるのだたと思います。
そのためには、【繰り返し】原始仏教の理論を勉強して実践することなのでしょう。
もう一度最後に【繰り返し】が大事です。
2010年05月29日 15:35
僕がこの偈で思い出しますのが、確か王によって道で、手かせ足かせに縛られて連れられている(囚)人を比丘たちが見て騒ぎ立てているのを、釈尊がご覧になって「本当の人の束縛は、こんな手かせ足かせではないのだ。人の心にある(婦)女、子に対する執着、それが本当に「人が縛られている」「束縛」と言うのだよ。(僕のおぼろげな記憶をたどって書いた概略)」といった内容のようなお経が相応部か増支部にあったように思います。
それと増支部の一番初めにこういうお経があります。
世尊のたまはくー
「比丘達よ、わたしは、かようにも男子の心を固く捕らえる色(姿)・声・香・味・触は他に一つも見ない。比丘達よ、すなわち女性(婦人)の色(姿)・声・香・味・触なり。」取り急ぎの僕の省略現代語訳。南伝17巻P1~に相当。

なので釈尊も増支部(相応部)だったでしょうか?、修行(瞑想)中に(性)欲が生まれたら、それは「不浄観」の瞑想が足りない事を修行者自身が自覚すべきだと説いています。。。結構、不浄観の瞑想を他の経典でも賞賛している記述があります。(のちにアーナンダ尊者の促しで不浄観の瞑想から 出入息の瞑想を代わりに説いたという興味深い、珍しい一節も相応部経典(南伝16巻下P194)にあります。)

一般的に男性が出家しないのも、これが一つの原因でしょうし、還俗する理由の一つにも挙げられるということが中部経典で釈尊によって指摘されていましたね。たいへんですね(^^;。
慈しみ
2010年05月29日 18:32
欲望とりわけ性欲にお悩みに男性にお勧めの法話があります。女性が読んでも有益だと思います。宜しければどうぞ。
プッタタート比丘法話…感情はただ心のイメージhttp://space.geocities.jp/tammashart/book-kanjou.html


キングカズマ
2010年11月04日 21:34
おまえたちきもちわるすぎあたまおかしすぎ
こころざし
2015年09月23日 07:53
私事の話で恐縮です、以前自己啓発系の先生に走っていた頃、その先生は素晴らしい事をおっしゃるのですが、異性問題系の事から離れていく方がいると知りました。真偽の程は不明ですが和室で公演時にその先生席の周囲にずらりと美人が座っているのを拝見したり、お近づきになるには男性はNG等を伺うと何か違うものを感じました。
その先生が体調を崩し(お亡くなりになりかけ)性欲的なものが出ないような状況になった時に、皆さんに平等で本当に心に響くようなお話をされると感じた記憶があります。
色々な意味で欲に囚われないように戒めたいです。

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