258.多く語るだけでは賢者ではない

ダンマパダ 第19 法住者の章 258

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~~~~~お 知 ら せ~~~~~
◎2010年5月8日(土)から5月11日(火)の4日間、下記の行事等に参加致しますので、ブログの更新をお休み致します。また5月12日(水)から再開の予定ですので宜しくお願いいたします。
5月8日(土)仏暦2554年(西暦2010年)度釈尊祝祭日(ウェーサーカ祭)
   国立オリンピック記念青少年総合センター・カルチャー棟大ホール
5月9日(日)正山寺釈迦牟尼国際仏教センター
        ウェーサーカ祭及び副貫首就任記念式典
5月10日~11日 スリランカ及びアメリカから来日されたお坊様方の京都など観光案内


◎東京パーリ語輪読会の柴田尚武氏が大乗仏教で言えば「般若心経」に相当する初期仏教の基本経典である「慈経」の翻訳をブログ「パーリ経典」(http://d.hatena.ne.jp/pali/)にアップロードされました。興味ある方は是非お読み下さい。

◎今回の詩に共感された方は、ページ右上の『仏教』バナーのクリックをお願いします。そうすると、仏教ランキングのランクが上がります。ランクが上がると多くの人の目に留まりやすくなり、ダンマパダの認知度が高まるからです。一日一回お願いします。
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ナモー タッサ バガワトー アラハトー サンマーサンブダッサ
Namo  tassa   bhagavato  arahato   sammāsambuddhassa
阿羅漢であり正自覚者であり福運に満ちた世尊に敬礼致します

たとえ多く語ろうと
それによって賢者とならず
安穏(あんのん)、無怨(むおん)、無畏(むい)の者
かれこそ賢者と称される

(片山一良先生 訳)

○日常語訳

多く語るだけでは
賢者ではない
穏やかで恨みない恐れない人こそ
賢者と呼ばれる


○子供のためのダンマパダ

芸人は面白ことを
たくさん話すけど
ほとんど役に立たない
お釈迦さまのお話は
すべて役に立つ





○一口メモ

 前回の「この詩から学ぶこと」の始めに次のように書かれています。
 「ブッダの詩は深い井戸のようです。智慧の水は汲めども汲み尽くせないのです。この詩について何かを述べても、再読したときには、また再々読したときに、他の重要な意味を発見することになるでしょう。」

 その通りです。私は今回は、この詩からどのような人の話をよく聞くべきかということに注意が向きました。この詩では、多弁の人の話ではなく、賢者の話を聞くべきだと教えているのです。そこで、ではどのような人が賢者なのでしょうか? この詩では、穏やかで恨みのない恐れのない人が賢者であると教えています。

 安穏(穏やか)とは、平和という意味で争わないよいうことです。
 無怨(恨みのない)とは、怒りのない、慈しみのあるという意味です。
 無畏(恐れのない)とは、この意味は前々回の「この詩から学ぶこと」で詳しく説明しましたが、煩悩のないということなのです。なぜならば、恐れは煩悩が原因なのです。ですから、そのことが分かれば、恐れがないとは煩悩がないこととすぐ分かるのです。

 以上まとめると、賢者とは、安穏(穏やか)な、無怨(恨みのない)の、無畏(恐れのない)の人なのです。そのような賢者の話をよく聞くべきなのです。たまにはいいですが、芸人の話ばかり聞くのではなく、賢者、特にお釈迦さまの話を聞いた方がいいのです。お釈迦さまは既になくなっていますが、経典にはたくさん残っています。


○スマナサーラ長老のこの詩に関する御説法

*口から漏れる放射能 ~言葉は注意して使用する道具に過ぎない~
 Language that fails to communicate.
http://www.j-theravada.net/howa/howa150.html


○前回までのこの詩に関するブログ記事

*多弁者を賢者と言わない穏やかで怨み恐れない人こそ賢者
http://76263383.at.webry.info/200907/article_1.html

*多弁の人を賢者と言わない 無畏の人こそ賢者です
http://76263383.at.webry.info/200808/article_16.html


○パーリ語原文

258.
ナ テーナ パンディトー ホーティ
Na   tena    paṇḍito  hoti,
ない  それで  賢者  では
ヤーワター バフ バーサティ
yāvatā     bahu  bhāsati;
それだけで 多く  語る
ケーミー アウェーリー アバヨー
Khemī   averī    abhayo,
安穏な  怨みない 恐れのない
パンディトーティ パウッチャティ
paṇḍito’ti  pavuccati.
賢者と    呼ばれる

〇詩のパーリ語原文の訳について。100番からは正田大観先生を中心に行われました関西のダンマパダ輪読会の時の御自分のノートを参考にして、木岡治美様がわざわざ書き下ろしたものを私に送って下さいました。それを参考にさせて頂いております。


〇慈悲の瞑想

~私は幸せでありますように~
~私の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の願いごとが叶えられますように~
~私に悟りの光が現れますように~
~私は幸せでありますように(三回)~

~私の親しい人々が幸せでありますように~
~私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の親しい人々の願いごとが叶えられますように~
~私の親しい人々にも悟りの光が現れますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように(三回)~

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~

~私の嫌いな人々も幸せでありますように~
~私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の嫌いな人々の願いごとが叶えられますように~
~私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように~

~私を嫌っている人々も幸せでありますように~
~私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私を嫌っている人々の願いごとが叶えられますように~
~私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように~

~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~


(この慈悲の瞑想を唱える人には必ず幸せが訪れます。)


この記事へのコメント

2010年05月08日 04:08
ワンギーサさん、おはおうございます。

お釈迦様の教えを学び、そしてしっかり理解して正しく実践するよう心がけます。

ウェサーカ祭に行けないのは残念ですが、この祝典により仏教の輪が広まり、幸せが広まればと思います。


再開と再会を楽しみにしております。

有難うございました。
有難うございました。
チューラパンタカ
2010年05月08日 06:46
ニックネーム、チューラパンタカは、大切な方に、頂いたからこそ大切な私のお名前です。「以前と少し変わったよ」と思われても、どうぞ、お気になさらないで下さい

どちらにせよ、大切な方に頂いた、お名前ということが私にとっては、何より大切に、せねばならない事柄です。

幸せでありますように

 


 
チューラパンタカ
2010年05月10日 20:19
正山寺、途中四時に帰りましたが

最終列車に乗るためです

本当は、ずっと居たかったです

ワンギーサさん、出口に座っておられた方

本当に、有難う御座いました

有難う御座います

幸せであれ
こころざし
2015年09月13日 08:00
私事ですが、昨日お釈迦様やスマナサーラ長老に関する事をある方とざっくばらんにお話しました。実践されている様子があまりない中で、他宗教等々の事も含めた世間話の様な話題に返答について考える面がありました。
その後自分を振り返り、本文の「賢者とは、安穏(穏やか)な、無怨(恨みのない)の、無畏(恐れのない)の人なのです」の特に安穏の所で程遠い印象を感じ、恥じる気持ちを持ちました。
聖者の姿勢から学び、そして少しでも日常で生かしたいです。

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