305.独り己を調御する人は森の中で独りを楽しむ

ダンマパダ 第21 種々の章 305

ナモー タッサ バガワトー アラハトー サンマーサンブダッサ
Namo   tassa   bhagavato   arahato    sammāsambuddhassa
阿羅漢であり正自覚者であり福運に満ちた世尊に敬礼致します

○片山一良先生 訳

独り坐し、独り臥し
独り歩き、倦怠(けんたい)なく
独り自己を御する者は
森において楽しむであろう



○日常語訳

一人で座り、一人で臥して
一人で怠けずに歩き
一人で自分を育てる修行する人は
森の中で一人を楽しむ


○子供のためのダンマパダ

すぐお父さんやお母さんに
やってもらう人はいますか
自分のことは自分ですると
面白いことが分かりますよ



 

○一口メモ

 お釈迦さまは、なぜ一人で坐り、一人で歩くというような、一人で行う修行を推薦するのでしょうか。この時の一人という意味は、精神的な意味なのです。実際に一人で修行しても、心の中では他人とのつながりを求めていたり、他人にいろいろ教えてもらいと思いながら、一人で修行してもそれは一人で修行するとは言いません。逆に多くの人の中にいても、他の人のことは気にせずに、自分の問題に、自分ひとりで挑戦している人を一人で修行する人と言うのです。

 なぜ、一人で修行することが必要なのでしょうか?

 例えば、「恨みは恨みでは終らない、恨みを捨てることで恨みは終る」(ダンマパダ5)に言われている恨みは、自分の恨みですから、自分で捨てることができますが、他人が自分の恨みは捨てられないのです。欲についても、不必要な欲でも、自分の欲は自分でしか捨てられないのです。自分の心を育てるのは各自一人一人の課題です。自分一人で修行しなければできないことなのです。各自の心は各自の課題で他人は手伝うことができないのです。

 もう一つ、追加して述べれば、一人で問題を解決したとき、喜びが現れるのです。なぞなぞやクイズの答えを教えてもらって、答えても何もうれしくも楽しくもありません。修行者も一人で自分の問題を苦労して解決すると喜びや楽しさが現れるのです。修行者はだれもいない森のなかで、一人で修行しても、自分を育てる楽しさを感じているのです。これがこの詩の意味だと思います。

 この詩で「第21 種々の章」を終わります。


○スマナサーラ長老のこの詩に関する御説法

*修行は独りでおこなう ~独居修行とは精神の自由

1.独りで修行しても独居修行にはなりません
2.独りぼっちの修行はカルト的です
3.独りとは心理的な状況です
4.仏道は正真正銘の独居修行なのです


 パティパダー(2010年3月号)の「今月の巻頭法話」に掲載されています。残念ながら、まだ日本テーラワーダ仏教協会HPにはまだアップされてませ ん。ですから、該当するパティパダーをお持ちでない方のために、スマナサーラ長老がまとめたポイントを列挙しておきました。


○前回までのこの詩に関するブログ記事

*独り座し独りで臥して独り行き己の調御独り楽しむ
http://76263383.at.webry.info/200908/article_1.html

* 一人座り一人で臥して一人で歩き一人楽しむ
http://76263383.at.webry.info/200809/article_23.html
 


○パーリ語原文

エーカーサナン  エーカセッヤン 
Ekāsanaṃ      ekaseyyaṃ,
一座         一臥
エーコー チャラマタンディトー
eko     caramatandito;
一人    歩行を怠けず
エーコー ダマヤマッターナン
Eko     damayamattānaṃ,
一人    調御する 己を
ワナンテー ラミトー スィヤー
vanante    ramito  siyā.
森の中で  楽しむ ように


〇詩のパーリ語について。100番からは正田大観先生を中心に行われました関西のダンマパダ輪読会の時の御自分のノートを参考にして、木岡治美様がわざわざ書き下ろしたものを私に送って下さいました。それを参考にさせて頂いております。

〇慈悲の瞑想

~私は幸せでありますように~
~私の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の願いごとが叶えられますように~
~私に悟りの光が現れますように~
~私は幸せでありますように(三回)~

~私の親しい人々が幸せでありますように~
~私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の親しい人々の願いごとが叶えられますように~
~私の親しい人々にも悟りの光が現れますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように(三回)~

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~

~私の嫌いな人々も幸せでありますように~
~私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の嫌いな人々の願いごとが叶えられますように~
~私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように~

~私を嫌っている人々も幸せでありますように~
~私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私を嫌っている人々の願いごとが叶えられますように~
~私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように~

~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~


(この慈悲の瞑想を唱える人には必ず幸せが訪れます。)

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この記事へのコメント

2010年06月10日 21:18
自分の心は自分でしか育てられない。
肝に銘じて、日々精進いたします。

お釈迦様の言葉に出会い
言い知れぬ孤独感、恐怖、不安が
どんどん和らいでいます。
感謝です。^^
チューラパンタカ
2010年06月10日 21:32
ワンギーサさんのご説法は

私の思いと同じでした

嬉しいですが、実践できなければ、ダメなんですよね

ほんとにやさしいようで、厳しいお言葉です

生きとし生けるものは、幸せでありますように
鉄人
2010年06月10日 22:49
ワンギーサ様 今晩は。

「自分を育てる楽しさ」。最近実感しています。

考えてみればそれ以上の「楽しみ」というものは無いのかもしれません。

早朝、鳥の「音」を観じながら、独り「瞑想」をしているひと時は、小生にとりましては何ものにも代え難い貴重な時間になりました。

釈尊がそうであったように、本来修行というものは犀の角の如く独り歩むものなのでしょう。

結局自分の問題は自分でしか解決出来ないのですから。

2010年06月11日 04:06
ワンギーサさん、おはようございます。

 自己犠牲の精神、自分だけ良ければ。という偽善的、独善的態度ではなく、
また、人がやってるからやる、人がやってないからやる、といった、付和雷同的、臍曲がり的態度でもなく、「自分のため、相手のため、生きとし生けるもののために役立つから」が本心なのかか?をチェックしたいと思いました。

有難うございました。
慈悲と智慧
2010年06月11日 15:57
スマナサーラ長老が、目の前の出来事を慈しみを込めてやりなさいとおっしゃった記憶があるのですが、これを実行するためには、徹底的に【生きとし生けるものが幸せでありますように】を念じて思考回路を洗浄しておく必要があるのだなと思いました。
いきなり長老の本を読んだ瞬間から出来るわけではなくて、心の洗浄をすれば出来るようになる。
良く、長老の話しは実行は難しいという話が出ますが、それは洗浄が足りてないということだと思います。
まお
2010年06月11日 19:15
お久しぶりです。
悪い思いを捨てることが大事ですね。
みなさん、高橋優太くんは最近コメントしていますか?
2010年06月12日 08:47
まおさん、お久しぶりですね(*゚ー゚)v。

そういえば、最近高橋優太さんのコメントがあまりないですね(^-^;)。
まお
2010年06月12日 20:28
新さん、ありがとうございます。
こころざし
2015年09月28日 07:28
私事で恐縮です、職場で自分だけでは対応できず常に周囲に頼りながら、でも自分は立派に仕事をしているんだと話し態度が大きい方がいます。また自立して仕事が出来ない方が「給料が安い」との文句に接すると、何か違う印象を感じる事があります。
自分の心を育てる事は自分にしか出来ないという事を冥想をして実感しています。色々な意味で自立し、そして心がクリアで明るく生きれるように精進したいです。

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