306. 嘘をつく者は地獄に近づく

ダンマパダ 第22 地獄の章 306

ナモー タッサ バガワトー アラハトー サンマーサンブダッサ
Namo   tassa   bhagavato   arahato    sammāsambuddhassa
阿羅漢であり正自覚者であり福運に満ちた世尊に敬礼致します


○片山一良先生 訳

嘘をつく者は地獄に堕ちる
犯して「犯さず」という者も
両者はともに悪業の人
行ってあの世で同類となる



○日常語訳

嘘をつく者は地獄に近づく
悪を為して為さぬと言う者
両者は死後は同じで
来世は悪業の人になる


○子供のためのダンマパダ

うそをつくとどんな気持ち?
うそをつかれるとどんな気持ち?
どちらも、いい気持ちではないから
うそはやめましょう





○一口メモ

 この詩の一行目の訳は、片山先生は「嘘をつく者は地獄に堕ちる」としてあります。日常語訳は「 嘘をつく者は地獄に近づく」としてあります。この違いはパーリ語のupetiを、堕ちるとするか、近づくとするかの違いです。この詩の前々回のブログ記事では、ほとんどの人間は一度くらい嘘をついたことがあるのではないか、それであればほとんどの人間が地獄に堕ちることになります。それは少し、厳し過ぎると書いてあります。事実は厳しいとか厳しくないで決まるのでなく、法則で決まるのでしょうから、前々回のブログ記事のようにはいえないとは思います。しかし、嘘をつくことによって、善い結果になるとは思えません。

 また、この詩から「地獄の章」が始まります。ですから、地獄に関する詩について述べられることになります。そこで、地獄とはなにか? 地獄をどのように理解すべきか考えておかなければならないでしょう。その点について、この詩に関する前回のブログ記事で述べました。お釈迦さまが仰るからただ信じるなさいということはありません。お釈迦さまの言葉でも納得してから、受け容れるという態度が必要ですし、お釈迦さまも納得してから受け容れるように言われています。盲信は危険なのです。

 地獄をどのように理解するかについて、単に、「悪い結果あるいは不幸な結果」を地獄という言葉で表現しているのであれば、問題はなく受け容れることができると思います。ただそれも受け容れられないのであれば、自分は理解できないのだから、否定することもできないはずです。わからないのに否定することは正しい態度ではありません。その場合は、現在の自分を分からないから、保留の態度をとるということが自分を成長させる上で正しい態度だと思います。

 そういう訳で、これからしばらく地獄についての詩が出てきますが、地獄は「悪い結果あるいは不幸な結果」という意味だと理解するか、あるいは保留ということで了解してください。

 さらに、この詩の二行目「 悪を為して為さぬと言う者」は嘘をいう者と同じではないかと思いますが、少し違います。この場合は、先ず、「悪を為す」のですから、もう悪いことを行っているのです。ですから、そのために、悪い結果を受けることになります。そこでさらに、「為さぬ」と嘘と言うという悪事を働くことになります。二度悪いことをしたのです。罪はさらに重いといわなければなりません。
しかし、嘘をつく罪は重いので、「両者は死後は同じで、来世は悪業の人になる 」のだそうです。嘘をつくことはいけません。ですから、五戒の一つが「嘘をつかないこと」なのです。

 なぜ、嘘をついたらいけないのか、悪い結果になるからですが、嘘をつくことは、慈しみと反対の行為です。生命は慈しみの心を持つと、心は清らかで、穏やかになります。慈しみと反対の心を持つと、心は汚れ、気分が悪くなるのです。ですから嘘をつくべきではないのです。子供ともいっしょに考えて下さい。


○スマナサーラ長老のこの詩に関する御説法

*名声の落とし穴 ~ブッダは非難を名声に変える~

1.名声、名誉、権力には、危険が伴う
2.非難に非難で返すとさらに非難される
3.問題が起きたら黙って逃げてはならない
4.嘘をつかないならば問題が起きても解決できる

 パティパダー(2010年4月号)の「今月の巻頭法話」に掲載されています。残念ながら、まだ日本テーラワーダ仏教協会HPにはまだアップされてませ ん。ですから、該当するパティパダーをお持ちでない方のために、スマナサーラ長老がまとめたポイントを列挙しておきました。


○前回までのこの詩に関するブログ記事

*嘘つきと悪為しながら為さないと言う者ともに地獄に落ちる
http://76263383.at.webry.info/200908/article_2.html

* 嘘つく者悪隠す者共に地獄に向かう者
http://76263383.at.webry.info/200809/article_24.html
 

○パーリ語原文

アブータワーディー ニラヤン ウペーティ
Abhūtavādī       nirayaṃ  upeti,
非真実を言う者は   地獄に 近づく
ヨー    ワーピ  カトゥワー ナ  カローミ チャーハ
yo      vāpi    katvā    na   karomi  cāha ;
その人は あるいは為しても  ない 為す   と言う
ウボーピ テー ペッチャ サマー バワンティ
Ubhopi   te   pecca    samā   bhavanti,
両者は 彼らは 死後に  同じ   なる
ニヒーナカンマー マヌジャー パラッタ
nihīnakammā    manujā    parattha.
悪業の       人間     他世で


〇詩のパーリ語について。100番からは正田大観先生を中心に行われました関西のダンマパダ輪読会の時の御自分のノートを参考にして、木岡治美様がわざわざ書き下ろしたものを私に送って下さいました。それを参考にさせて頂いております。

〇慈悲の瞑想

~私は幸せでありますように~
~私の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の願いごとが叶えられますように~
~私に悟りの光が現れますように~
~私は幸せでありますように(三回)~

~私の親しい人々が幸せでありますように~
~私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の親しい人々の願いごとが叶えられますように~
~私の親しい人々にも悟りの光が現れますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように(三回)~

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~

~私の嫌いな人々も幸せでありますように~
~私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の嫌いな人々の願いごとが叶えられますように~
~私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように~

~私を嫌っている人々も幸せでありますように~
~私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私を嫌っている人々の願いごとが叶えられますように~
~私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように~

~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~


(この慈悲の瞑想を唱える人には必ず幸せが訪れます。)

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~~~~~お 知 ら せ~~~~~

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この記事へのコメント

2010年06月11日 22:10
あらためて娘と嘘について考えました。
(今もう娘は寝てますが先ほど
 前回の記事で予習 ^^;)

嘘を言わなくていいような
生き方を心がけます。
チューラパンタカ
2010年06月11日 22:42
お釈迦様は、私たちのことを、愚か者という表現をされました

お釈迦様は、私たちは、うそつきだと、聞いたことはありません

ただ隠し事をしないことによって、唯一信頼関係を気づくことができそうに思います

生きとし生けるものが、幸せでありますように
チューラパンタカ
2010年06月11日 22:44
嘘か嘘でないかは、自分で判断するより仕方ないと思います

お酒飲まなくなって二週間
慈悲と智慧
2010年06月11日 23:34
お釈迦様が嘘をつかないように戒めたのは自我を刺激するからではないかと私は思いました。
他人から良く思われたいから嘘をつくわけですから。そう考えるとはったりや見栄も嘘の一つかもしれません。

但し、私は嘘をつきませんと聞かれてもいないのに必要以上に声を高らかに宣言する人も私は善とは思えません。

本当に嘘をつかない人は心穏やかで嘘をついた他人にも慈しみをもって接するのではないでしょうか?
2010年06月12日 04:15
ワンギーサさん、おはようございます。

 条件や環境次第で悪さしてしまうのが、人間の性なのだと思います。

 前々回でワンギーサさんから「嘘をつかない」言い方を教わっれから、嘘に対する問題意識が高まりました。その後、徐々に嘘が減ったと思います。

 今、「あなたは嘘をつかない自信がありますか?」との問いに、「はい」と言える自信がありますが、人生何が起こるかわかりません。

 今日から決意を新たに「嘘をつかないぞ」と日々注意しながら生活したいと思いました。

有難うございました。
まお
2010年06月12日 20:45
生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように。

視力に対して嘘をついて合わないメガネを買ってしまって目の痛さを感じることがありました。薬をもらうときも嘘は善くないです。少しのことでも悩みがあったら医者に話すべきです。

心の医者(僧侶)からお話を聞く時にも嘘を言うのはいけないなと思います。
慈しみ
2010年06月12日 20:56
「福岡ダンマサークル」のblog
デニヤーイェ長老の法話
http://f-dhamma.sblo.jp/
(慈悲の瞑想について)
「生きとしいけるものが幸せでありますように」という一文が、慈悲の瞑想の鍵となる一文です。
この一文の中に、他の慈悲の瞑想のフレーズのすべても入っています。
もっと細かく実践したい人は、慈のみでなく、悲・喜・捨を育てるフレーズや、対象も私・私の親しい人々や、さらに詳しくいろんな形で念じても良いです。
しかし、他の悲・喜・捨を育てるフレーズや、私・私の親しい人々、といったすべての事柄は、この「生きとし生けるものが幸せでありますように」という一文には含まれています。
慈悲の瞑想を行うと、その瞑想の対象の人が幸せに変わるかどうかというと、必ずしもそうなるわけではありませんね。
しかし、慈悲の瞑想を行えば、その瞑想を行う人の自分自身の感覚には、変化がすぐに現われます。
相手に対する感覚や気持ちが変わるのです。
慈悲の瞑想を行うと、
自分の見方が変わってきますし、
自分が変化を獲得します。
慈悲の瞑想に慣れると、怒りたくなくなってきます。
怒るというものが心の中にあるから、人は怒るものが外にあったときに、怒るものとして見えてきます。
しかし、自分の心の内側に怒るというものがなければ、怒るものが外にあっても、怒るものに見えてこずに、その物事がよく観察できるようになります。
これが、慈悲の瞑想の大きな結果です。
慈悲の心を育てることが、人間としての価値ですし、良いところに生まれ変わる自信も生じてきます。
食べ物などの幸せは一時的なものですが、慈悲の幸せはずーっと続きます。
慈しみ
2010年06月12日 20:57
続き

(瞑想全般について)

人は考えることに慣れていますし、かつ、世の中から常に考えるようにさせられています。
ですので、思考を止めること、つまり瞑想というものはけっこう難しいのです。

しかし、お釈迦様は、こんなたとえ話をされています。
赤ちゃんが、歩けるようになるために、何度も、ちょっと立ち上がって歩こうとして、また横になって休んで、また歩こうとして、繰り返し行います。
人が瞑想に慣れるのも、このようなものです。

瞑想も、毎日行い、心、身体、行為が瞑想になれることが大事です。
毎日、十五分ずつでも、瞑想を実践してください。

瞑想において、四つの邪魔(マーラ)があるといいます。
体の痛み、妄想、外からの音・邪魔、眠気、の四つです。
この四つに負けぬように、瞑想に慣れるまで努力してください。
こころざし
2015年09月28日 07:37
嘘をつく事の恐ろしさを実感しています。職場に嘘をつく方がいてその為に様々な問題が起きました。自分の悪行為を認め・謝罪する事はなく常に自分でない誰かにスリ換えていたので、その恐ろしさから仲間になってくれる方が徐々に減る状況も拝見しています。
嘘をつかない生き方、ちょっとした声かけや行為でも気をつけて守れるように努めたいです。

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