307.お坊さんなのに修行せず、虫などをころし、

ダンマパダ 第22章 地獄 307

ナモー タッサ バガワトー アラハトー サンマーサンブダッサ
Namo   tassa   bhagavato   arahato    sammāsambuddhassa
阿羅漢であり正自覚者であり福運に満ちた世尊に敬礼致します


○片山一良先生 訳

首に袈裟(けさ)かけ自制なき
悪しき法の者は多い
その悪者らは悪業により
地獄において生まれ変わる



○日常語訳

首に袈裟をまとって悪を行ない
自制心のない者たちが多い
彼ら悪人たちは悪業によって
地獄に生まれ変わる


○子供のためのダンマパダ

お坊さんなのに
修行せず、虫などをころし
善くないことをして、うそをつく
しかもお酒を飲むならば
彼らは地獄に行くだろう






○一口メモ

 仏教の出家者は、戒律(道徳)を守って修行するために、出家するのですが、中には生活のために(生きるために)出家する人がいました。条件が整えば出家できたからです。仏教の出家者ばかりでなく、その他の宗教の修行者も、生活のために出家した人は、修行(こころを清らかにすること)には興味がなく、道徳を守らない者も多くいたようです。

 在家の人々は、出家者が修行をすることを期待して、お布施をするのです。出家者はお布施のおかげで生きていられるのです。ところが、その期待を裏切り、しかも道徳も守らないというのであれば、在家の人々が道徳を守らないという以上に重い罪なのです。ですから、出家者や宗教家はその点にくれぐれも注意して、在家者以上に自分自身を戒める必要があるのです。

 この詩は直接的には、出家者に対して述べられているものではありますが、在家者も道徳を守らないということは、自分自身を不幸にすることなのです。決して善い結果にはなりませんので、道徳を守るということを実践して下さい。在家者が守るべき道徳は、五戒です。くれぐれもお忘れにならないように。逆に五戒を守りさえすれば、必ず善い結果が現れます。それは実践して、確かめそのことに確信を持って下さい。


○スマナサーラ長老のこの詩に関する御説法

*聖職者も安全ではない ~まことの聖職者はこころを清らかにする~

1.信仰の自由にも管理が必要です
2.宗教界は詐欺師のオアシスでもあります
3.信仰より人の行いが問われます
4.人類の宗教とは「こころを清らかにすることです

 パティパダー(2010年6月号)の「今月の巻頭法話」に掲載されています。残念ながら、まだ日本テーラワーダ仏教協会HPにはまだアップされてませ ん。ですから、該当するパティパダーをお持ちでない方のために、スマナサーラ長老がまとめたポイントを列挙しておきました。


○前回までのこの詩に関するブログ記事

*比丘なのに悪いことするわがままな彼らは業で地獄に再生
http://76263383.at.webry.info/200908/article_3.html

*袈裟をまとって悪行すればその悪業で地獄行き
http://76263383.at.webry.info/200809/article_25.html


○パーリ語原文

カーサーワカンター バハヴォー
Kāsāvakaṇṭhā      bahavo,
袈裟を首に       多い
パーパダンマー アサンニャター
pāpadhammā    asaññatā;
悪を行い      無制御の者
パーパー パーペーヒ カンメーヒ
Pāpā     pāpehi     kammehi,
悪人は   悪い     業で
ニラヤン テー ウパパッジャレー
nirayaṃ  te    upapajjare.
地獄に 彼らは 再生する


〇詩のパーリ語について。100番からは正田大観先生を中心に行われました関西のダンマパダ輪読会の時の御自分のノートを参考にして、木岡治美様がわざわざ書き下ろしたものを私に送って下さいました。それを参考にさせて頂いております。

〇慈悲の瞑想

~私は幸せでありますように~
~私の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の願いごとが叶えられますように~
~私に悟りの光が現れますように~
~私は幸せでありますように(三回)~

~私の親しい人々が幸せでありますように~
~私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の親しい人々の願いごとが叶えられますように~
~私の親しい人々にも悟りの光が現れますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように(三回)~

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~

~私の嫌いな人々も幸せでありますように~
~私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の嫌いな人々の願いごとが叶えられますように~
~私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように~

~私を嫌っている人々も幸せでありますように~
~私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私を嫌っている人々の願いごとが叶えられますように~
~私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように~

~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~


(この慈悲の瞑想を唱える人には必ず幸せが訪れます。)

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~~~~~お 知 ら せ~~~~~

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この記事へのコメント

2010年06月12日 21:54
五戒をしっかり守り、在家として
今できること、すべきことを
精一杯行います。^^
2010年06月13日 04:10
ワンギーサさん、おはようございます。

 仏教の「悪用」が問題なのでしょうか。

 在家ならこの偈を盾に取って、出家者を攻撃したり。

 「実にこの世において怨みは怨みによって静まらない
怨みを持たないことで静まる
これは永遠の真理である」というダンマパダ5の教えを引用して、対日賠償請求を破棄にしたセイロン(スリランカ)を称賛する一方で、「所詮私はブッダのような聖者じゃないさ」と己の怒り、怨みを正当化してしまう。

 自分のエゴイズムや悪感情を守るために、一種の処世術のようにご都合主義で、仏教を利用、悪用する。実は人一倍、世俗の価値観に浸っている。

 お金がないから仏教を学べば、宝くじに当たった時点で仏教から縁を切ることになるように思います。

 私が、アナータピンデイカ居士やチッタ居士などの在家信者たちを模範として励みにしている理由の一つがそこにあります。

 財産や名誉などの世俗的な事柄に恵まれつつ、それらに執着せず、心を清らかにする生き方をされたことです。

 スマナサーラ長老の御説法の中に「経典を学んでみると、三宝を信仰することは要求してないと分かるのです。代わりに、一切の生命に関わる普遍的で変わらない真理のみを語るのです。不殺生などの戒律を教える場合も、人間なら誰でも守るべき道ではないか、という調子で説くのです。」とありますが、これなら、他人や社会を非難するために「五戒」を悪用し、片や自分のエゴや立場を守るために「特別、仏教に興味があるわけじゃないんだ」という「五戒」を守らない言い訳が通用しなくなるので、「なるほど!」と思いました!

 有難うございました。
慈悲と智慧
2010年06月13日 09:13
瞑想に取り組んだ功徳。五戒に取り組んだ功徳。法話を読んで得た功徳。
これらの功徳を生きとし生けるものに回向いいたします。

特に瞑想が上手くいった場合や良い法話が聞けた時は生きとし生けるものに回向いたしますという念や書き込みで締めると良いのではないでしょうか?瞑想のモチベーションアップにも繋がるのではないかと思います。
慈悲と智慧
2010年06月13日 12:12
何のために五戒を守るのか、何のために瞑想するかが非常に大切だと思います。
私は、生きとし生けるものが幸せになることに貢献するためにするべきなんだと思います。それを綺麗ごとと思わないために慈悲の瞑想が仏教の基本とされているのではないでしょうか?
スマナサーラ長老、ワンギーサ師、小池龍之介師に認めてもらうため、他人に認めてもらいたいためにやるものではないですし、試験に合格するため、就職するため、結婚するため、仕事・育児で成功するためにやるものではなくて、それはあくまでオマケであるのだと思います。

オマケが先に出て、本来の慈しみがオマケになってはもったいないし、こころの成長は思った程成果は得られないと思います。

慈悲と智慧
2010年06月13日 13:47
但し、オマケといってもずっと仕事や勉強や就職活動をせずに慈悲の瞑想をすることが在家として生きとし生けるものに貢献する生き方ではありません。
極端なのはだめでしょう。その辺のバランスは智慧を開発することではかることが出来るのだと思います。
チューラパンタカ
2010年06月13日 22:04
佛法僧の三宝に礼拝、帰依し、
戒を守り、慈悲の冥想と、
ヴィパッサナー修業によって積まれたこの功徳を、
神々、先祖、祖父母、両親、親族、恩師を
はじめとし、一切の生きとし生けるものに、
回向いたします。
この功徳によって、すべての生きとし生けるものが
幸福に暮せますように。
そして解脱が得られますように。
こころざし
2015年09月28日 07:41
以前地元のある禅寺の座禅会に参加した時の法話が「昨日ビールを飲んで上手いと思いましたが・・」でしたが、お酒を飲まれる事に違和感を感じました。また庭が大変立派に整備されており人工の滝まであってそれを見て「生かされている私をこの自然の美しさから実感して下さい」と言われた事も何か違う印象を感じました。
尊敬出来るお坊様より学ばせて頂きたいと思います。

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