309.310.他人の妻と浮気をする者は四つの災難にあう

ダンマパダ 第22 地獄(最悪の結果)の章 309、310

ナモー タッサ バガワトー アラハトー サンマーサンブダッサ
Namo   tassa   bhagavato   arahato    sammāsambuddhassa
阿羅漢であり正自覚者であり福運に満ちた世尊に敬礼致します


○片山一良先生 訳

放逸にして他人の妻に
近づく者は四事を得る
功徳なきこと、安眠なきこと
第三に非難、第四に地獄を

功徳なく、また行方も悪い
怯(おび)える男女に楽も少ない
王も厳罰を科すゆえに、人は
他人の妻に近づくなかれ



○日常語訳

他人の妻と浮気をする者は
四つの災難にあう
悪業が増え、満足がない 
第三は非難、第四は地獄

悪業を得、死後は地獄を
怯える男女の快楽は少ない
国王は重い罰を与える
だから他人の妻と浮気をするな


○子供のためのダンマパダ

人の奥さんと浮気をしたら
自分もまわりの人も不幸にし
世間から非難され
地獄におちますよ
ですから浮気はしないこと





○一口メモ

 「ある行為をし地獄に堕ちる」とは「ある行為したら最悪の結果になる」ということです。つまりそのある行為は法(自然の法則)に反する最悪な行為であるということです。今回の詩で述べられている最悪な行為とは、浮気、不倫であります。

 このことについて、この詩に関する前々回のブログ記事「この詩から学ぶこと」を再掲載します。

(以下引用)

 始めに、この詩のできた因縁物語を紹介します。
 有名な在家信者アナータピンディカにケーマという甥がいました。彼は金持ちであるばかりでなく、非常にハンサムでした。そのためいろいろな女性か ら誘惑され、不義密通の罪を犯し、何度か逮捕されました。しかし、国王は彼の叔父を尊敬していたので、彼に対して処罰をしませんでした。アナータピンディ カはこれを知り、彼を仏陀の所へつれて行きました。その時、仏陀は彼に上の詩のような説法しました。彼は態度を改め、五戒を守るようになりました。

 他人の妻と邪まな関係を持つことは、上の詩にあるような結果になるので、それを恐れてその行為を避けるべきであることは間違いのないことです。しかし、 近代の文学などでは、真実の愛は道徳以上に大切だとして、不倫を肯定する説もあります。この問題について少し考えてみましょう。

 この場合、一番問題になるのは「真実の愛」です。「真実の愛」とはなんでしょうか? 私の知る範囲では、真実の愛とは純粋な愛というもので、まじりっけ のない愛、道徳や世間体や金銭欲や名誉欲の混じらない愛のことを言うらしいのです。ただ好きという感情だけを大切にする愛のようなのです。好きとか嫌いと かいう感情は、感情ですから根拠がないのです。これは業により形成されています。業が分かれば、なぜ好きなのか嫌いなのか分かる筈ですが、通常は業は理解 できませんから、好き嫌いの根拠は分からないのです。

 純粋な愛が真実の愛でしょうか。感情的な愛ではないでしょうか。真実の愛というからには理性的な愛でなければならないのではないでしょうか。ここで私は 真実の愛とは慈悲喜捨の心による愛ではないかと言いたいのです。相手の幸せを願う愛、困ったときには助けようとする愛、相手と共に喜べる愛(嫉妬心のない 愛)、差別にない平等な愛、これらが真実の愛でしょう。

 ただ、好きだと言って、お互いに快楽を求めるだけの愛は決して、真実の愛ではないし、今回の詩にあるように、不倫は不幸な結果になるのですから、相手の幸せを願っていることにはならないのです。

(以上引用)


○前回までのこの詩にかんするブログ記事

*放逸で他人の妻を犯す者悪業不満非難と地獄
http://76263383.at.webry.info/200908/article_5.html

*他人の妻に近づく者は苦しみ増えて地獄行く
http://76263383.at.webry.info/200809/article_27.html
 

○パーリ語原文

チャッターリ ターナーニ ナロー パマットー
Cattāri     ṭhānāni    naro   pamatto,
四つ     問題に    人は  放逸な
アーパッジャティ パラダールーパセーヴィー
āpajjati        paradārūpasevī;
陥る         他人の妻に従う者
アプンニャラーバン ナ ニカーマセッヤン
Apuññalābhaṃ    na   nikāmaseyyaṃ,
禍を招くことを   ない  満足 よりよい
ニンダン タティーヤン ニラヤン チャトゥッタン
nindaṃ   tatīyaṃ    nirayaṃ   catutthaṃ.
非難を   第三に   地獄に   第四に

アプンニャラーボー チャ ガティー チャ パーピカー
Apuññalābho      ca   gatī     ca   pāpikā,
禍を招くこと      と   死去   と   悪所
ビータッサ ビーターヤ   ラティー チャ トーキカー
bhītassa    bhītāya     ratī     ca  thokikā;
恐れた男の 恐れた女の 楽は    と  少し
ラージャー チャ ダンダン ガルカン パネーティ
Rājā      ca   daṇḍaṃ  garukaṃ  paṇeti,
王の     と   罰を    重い   与える  
タスマー ナロー パラダーラン ナ セーヴェー
tasmā    naro   paradāraṃ   na  seve.
それ故   人は 他人の妻に  な 近づく


〇詩のパーリ語について。100番からは正田大観先生を中心に行われました関西のダンマパダ輪読会の時の御自分のノートを参考にして、木岡治美様がわざわざ書き下ろしたものを私に送って下さいました。それを参考にさせて頂いております。

〇慈悲の瞑想

~私は幸せでありますように~
~私の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の願いごとが叶えられますように~
~私に悟りの光が現れますように~
~私は幸せでありますように(三回)~

~私の親しい人々が幸せでありますように~
~私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の親しい人々の願いごとが叶えられますように~
~私の親しい人々にも悟りの光が現れますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように(三回)~

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~

~私の嫌いな人々も幸せでありますように~
~私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の嫌いな人々の願いごとが叶えられますように~
~私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように~

~私を嫌っている人々も幸せでありますように~
~私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私を嫌っている人々の願いごとが叶えられますように~
~私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように~

~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~


(この慈悲の瞑想を唱える人には必ず幸せが訪れます。)

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~~~~~お 知 ら せ~~~~~

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この記事へのコメント

2010年06月14日 21:03
愛の定義は人それぞれですが
それはそれとして
道徳はしっかり守った方が
自分も相手もまわりも
しあわせですね。
チューラパンタカ
2010年06月14日 23:15
今日の説法は、私には縁が御座いませんので

お金の使い道について、書いてみます

給料が入ります、いろんな方法で、仕組みで、自分のところにお金が、回ってきます(給料として)

今回は、今現在持ってるお金、そのものについて話します

使い道にて、世の中を少しでも良く出来ると思いました

欲のためにお金を使う分を、お布施すれば、全く逆効果の、欲を制御する方向に行くと思いました

個人の問題ではなく

全ての人間がたとえわずかずつでも、欲を制御できれば、気持ちのよいことです、


高橋優太
2010年06月14日 23:27
ワンギーサ先生、皆様、こんばんは。
「真実の愛とは慈悲喜捨の心による愛」、これは友人関係や親子関係でも大事にしたいことです。相手を本当に大切に思っているなら、嫉妬したり怒ったりしないで、共に喜び合える関係は素敵だと思います。自分も軽はずみな行動で人を傷つけないようにしたいです。ありがとうございました。
2010年06月15日 04:29
ワンギーサさん、おはようございます。

 感情を表現するのに、短歌、音楽、絵画などがあると思いますが、作成する過程である程度の知性、理性が必要だと思います。

 それに比べ、男女の感情的愛なるものは純粋な欲望だけ強ければいいように思います。

 美化するのは欺瞞のように思います。

 努力せずにやれそうなことには注意が十分必要だと思いました。

有難うございました。
2010年06月15日 07:19
世の中で一般世間でみられる「愛情」は
醜くて恐ろしい関係が多いですね

仏教を知ってからは、
「愛」は人格を向上するために使われるべき
だとつくづく思います。
慈悲と智慧
2010年06月15日 10:34
愛は、もの凄く自我を刺激するので執着してしまいまね。
普段から【生きとし生けるものが幸せでありますように】を徹底的に繰り返して念じることが、先ず愛欲に侵されないとても重要な予防であり、基本でしょう。毎日の手洗いや歯磨きのようなものです。
さらに執着は異性を自分のものにしたい、つまり自分の方に引き寄せようとするものであり、執着しそうになった異性が現れたら逆に【幸せでありますように】と繰り返し念じて慈しみの念を与えてあげることがその場の対処法の一つになるかもしれません。
まお
2010年06月15日 13:00
生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように。

親子の愛、そして愛とはなんだろうと考えてました。慈悲喜捨の心なのかもしれません。どうして愛がわからないのでしょうか?愛という固定観念に縛られているからではないでしょうか。自分が慈悲喜捨の行いをすれば相手も喜んでくれて私も嬉しいし、いさかいもなく喧嘩もなくなるのではないでしょうか?これが本物の愛ですよと言えれば愛はもっと素晴らしいものになると思います。
こころざし
2015年09月29日 07:43
不倫をするような状態時に、男性はその魅力的に思う女性の性的関係を一番に求めて→行動してしまうように思います。その為性的関係以外は面倒に感じるように想像致します。その点女性の方は詳しく知らないですが、性的関係だけで済むような印象は感じません。その他で自分に有利な何かを相手に求める様に想像致します。
お互いがそのような欲でくっついても、無理が早い段階で出るように思います。
欲に溺れずに理性をもって、不倫をしないように生きて参りたいです。

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