314.悪事はなさぬことがよい後に悪事が苦しめる

ダンマパダ 第22 地獄(最悪の結果)の章 314

ナモー タッサ バガワトー アラハトー サンマーサンブダッサ
Namo   tassa   bhagavato   arahato    sammāsambuddhassa
阿羅漢であり正自覚者であり福運に満ちた世尊に敬礼致します

○片山一良先生 訳

悪事はなさぬことがよい
後に悪事が苦しめる
また善事はなすがよい
なした後に苦しみなきゆえに



○日常語訳

悪いことをするよりしない方がよい
悪行は後で苦しむから
するならば善いことをする方がよい
それをしたら後悔することがない


○子供のためのダンマパダ

悪いことはしないように
あとで後悔するから
善いことはした方がよい
あとでよかったなと思えるよ





○一口メモ

 今回の詩はそんなに難しく考えなくともいいのかもしれません。すなおに、悪いことをすると後で後悔しますよ。善いことをすると、後悔がありませんよというものです。しかし、これはしっかりと因果法則を教えているのです。この因果法則は覆すことのできない真理なのです。このことをいつでもあたまに入れておけば判断ミスを少なくできると思います。

 但し、何が悪いことで、何が善いことは理解しておく必要があります。この詩に関する前々回の「この詩から学ぶこと」でこの点について述べました。

 仏教では、まだ智慧がない凡夫でもはっきり分かるように次のように十悪行、十善行というものを示しています。

 十悪行は以下の通りです。 1.生き物を殺すこと。2.与えられてないものを取ること。3.邪まな性的な行為をすること。4.嘘をつくこと。5.二人の 仲を悪くするような言葉を言うこと。6、暴言を吐くこと。7.無駄話をすること。8.欲張ること。9.怒ること。10.邪見を持つこと(因果法則を否定する 考え方など)。

 十善行は以下の通りです。1.生き物を殺さないこと。2.与えられてないものを取らないこと。3.邪まな性的行為をしないこと。4.嘘をつかないこと。 5.二人の仲を悪くする言葉を言わないこと。6.暴言を吐かないこと。7.無駄話をしないこと。8.欲張らないこと。9.怒らないこと。10.邪見を持た ないこと。

 スマナサーラ長老は、いろいろな具体的な事柄について、次のような基準で判断したらよいと仰られています。①その行為が自分のためになるかどうか。②その行為が相手のためにもなるかどうか。③その行為が皆のためになるかどうか。この三つの基準に合えば善いことだから実行する。この三つの基準に合わなければ実行してはいけないということです。

 さらに、修行がすすんで、自我を減らし、欲のない、怒りのない、慈しみの心で判断できるようになったら、法(真理)従った判断ができるようにようになると思います。そのような人は自然に悪いことはせず、善いことをして、後悔のない行いができるようになるのでしょう。


○前回までのこの詩に関するブログ記事

*悪いことなさないように苦しむよ善いことすれば後悔がない
http://76263383.at.webry.info/200908/article_7.html

* 悪いことをすれば苦しむ善いことをすれば苦しまない
http://76263383.at.webry.info/200809/article_30.html



○パーリ語原文

アカタン  ドゥッカタン  セッヨー
Akataṃ   dukkaṭaṃ    seyyo,
しないこと 悪をすること よりよい
パッチャー タッパティ ドゥッカタン
pacchā     tappati   dukkaṭaṃ;
後で      苦しむ  悪をすること    
カタンチャ  スカタン   セッヨー
Katañca    sukataṃ    seyyo,
すること と 善をすること よりよい
ヤン  カトワー   ナーヌタッパティ
yaṃ   katvā     nānutappati.
それを すれば   後悔しない


〇詩のパーリ語について。100番からは正田大観先生を中心に行われました関西のダンマパダ輪読会の時の御自分のノートを参考にして、木岡治美様がわざわざ書き下ろしたものを私に送って下さいました。それを参考にさせて頂いております。


〇慈悲の瞑想

~私は幸せでありますように~
~私の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の願いごとが叶えられますように~
~私に悟りの光が現れますように~
~私は幸せでありますように(三回)~

~私の親しい人々が幸せでありますように~
~私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の親しい人々の願いごとが叶えられますように~
~私の親しい人々にも悟りの光が現れますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように(三回)~

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~

~私の嫌いな人々も幸せでありますように~
~私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の嫌いな人々の願いごとが叶えられますように~
~私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように~

~私を嫌っている人々も幸せでありますように~
~私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私を嫌っている人々の願いごとが叶えられますように~
~私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように~

~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~


(この慈悲の瞑想を唱える人には必ず幸せが訪れます。)

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この記事へのコメント

2010年06月16日 20:45
わかりやすいです。そして
実行するのは難しい。^^;

自分にも相手にも皆にとっていい
という判断基準。お釈迦様は
行う前に考えるだけでなく
行いながらも観察、さらに
行った後にも観察して
善くないことはしないようにと
おっしゃっていますね。

人間は完全ではないので
いいと思っても
実際にやってみたら
そうでないことも
たしかにありますね。

常にこれでいいかなと
確かめるようにします。
2010年06月16日 22:53
スマナサーラ長老は、ブッタの言葉を、分かりやすい言葉で伝えてくださり、感謝しております

生きとし生けるものが幸せでありますように
2010年06月17日 03:48
ワンギーサさん、おはようございます。

スマナサーラ長老の示された判断基準の内、「その行為が相手のためになるか?」は、改めて考えさせられました。

 それは、ともすると世直し、他人直しになりかねません。しかも単に直したつもりでいるだけで、悦に入ってるなら、それは己の無知や高慢をむしろ増やしてしまう恐れがあると思います。

 やはり、「自分のして欲しくないことは他人にもしない」というのが基本なのではないでしょうか。

 ちなみに私は、殺されたくないし、盗まれたくないし、嘘や暴言も当然ながらされるのは嫌です。だから十善行には一応納得できます(仏陀の教えには深い意味があるのだと思います)。

 ここで慈悲の瞑想の最初の「私は幸せでありますように」という言葉の重要性がまた一つ解けた気がします。

 真に自己の幸せを祈る気持ちを親しい人々、生きとし生けるもの、皆に広げていけば、それが強いては、他人や皆が幸せになる、役立つ行為に繋がると思うからです。

 慈悲の瞑想ですね。やはり「心」が主人というダンマパダの教えはここでも生きてるように思われます。


有難うございました。

 
あっきん
2010年06月17日 07:43
 おはようございます。
目先の事にとらわれずに、判断していければと思います。幸福の道が八正道。地獄に行きたければ反対の事をすればいいですね。
しかし分かって地獄に行こうと思う人はいないでしょう
意識して悪を無くすことが必要ですね。
生きとし生けるものは幸せでありますように。
高橋優太
2010年06月17日 09:31
ワンギーサ先生、皆様、おはようございます。
前々から感じていることですが、生きている状態ですべての生命に、誰にも嫌な思いをさせず、役に立つ行為はできるのかどうかという疑問があります。判断基準の「役に立つこと」ですが、自分の判断は相手の役に立つと思って余計なお世話をしてしまうこともあります。自分の判断でみんなの役に立つと思ってもそもそも当てにならないのではないか?と思いました。この自分・相手・みんなの役に立つ判断を間違いないもの、本当にみんなの立場になって考えられるようにするためには、慈悲と智慧が必要だと思うのですがどうでしょうか?

まおさんへ。
前に紹介していただいたみんなの寺、サラナヴィハーラの冥想会に先日友人と参加しました。東北でもこのような活動があるのかと大変感動しました。サラナヴィハーラの方に、「今、大学生なら仏教サークルを作れば面白いんじゃない?」と言われ、確かに面白そうだと思いました笑。
紹介ありがとうございました。
2010年06月17日 12:43
高橋優太さん、こんにちは。

ご質問の意味がよくわからないのですが、「慈悲と智慧が未完成な私たちにとって、確実な判断基準なるものはあるのか?」というご趣旨でしょうか?

 もしそうなら、私の場合「怒りに基づいた行為はしない」などを心がけてます。

実際は「怒りに気づいた時点でその行為を慎む」という表現のほうが、実態に近いと思います。

 それから、人間関係では「言葉のトラブル」が多いと思いますので、十善行の言葉の項目を確実に実践されてはいかがでしょうか。

 私もまだまだ修行が足りませんが、ご参考までに(^-^;)。
慈悲と智慧
2010年06月17日 13:06
今回の記事に判断基準がありますが、問題は判断基準は分かっているんだけど実際は出来ないということではないでしょうか?出来ないにも2種類あるように思います。
1つは、やった方が良いけど、本能が邪魔(正確にいうとこれまで蓄積してきた業の仕業ですかね)して出来ない。
もう1つは、やってみたものの自分の思った結果ではなく、コメントにもありましたが、例えば余計なお節介になってしまったりすることです。
そこで私が気づいた2つの出来ないを改善するための対応策をご紹介します。
1つは、慈悲の瞑想ですね。特に【生きとし生けるものが幸せでありますように】を意味をこころに染み込ませるように徹底的に繰り返すことです。たまに【生きとし生けるものの悩み苦しみが無くなりますように】を混ぜても良いかもしれません。
もう1つは、これはつい最近気づいたことなのですが何か思考したり、何かしゃべったり、何か行為をする際にこころの奥底に【私は正しいけどあなたは間違っているのであなたの考えを私の考えに塗り替えさせて下さい】という悪玉菌が隠れていないかをチェックすることです。
2010年06月17日 17:31
高橋優太さん。
あなたの質問の前に、あすかさんが、「自分にも相手にも皆にとっていいという判断基準。お釈迦様は行う前に考えるだけでなく行いながらも観察、さらに行った後にも観察して善くないことはしないようにとおっしゃっていますね。」とコメントされているように、実践しなから間違っていないか注意することが必要です。
また「新さん」や「慈悲と智慧さん」のアドバイスも参考にして下さい。
まお
2010年06月17日 19:11
高橋優太くん。よかったですね。

生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように。
なぜ悪事をすると後悔したり悪事が増えたり苦しみが増えたりするのでしょうか?
なぜ善事をするとその反対の結果になるのでしょうか?
答えは人間にはわからないのでしょう。それは世界の法則なのではないでしょうか。でもなんで悪には悪、善には善という結果があるのでしょう?わかりません。身口意の行いで善悪が決まるのでしょう。善悪ってなんだろう?死、苦につながるのが悪で、生、楽につながるのが善ではないでしょうか?
高橋優太
2010年06月17日 20:49
新さん、慈悲と智慧さん、ワンギーサ先生、ありがとうございます。二つのできない、参考になりました。皆様ありがとうございました。
2010年06月18日 00:34
まおさん、こんばんは。
後悔したり、苦しみが増える行為を悪事というのです。
「死、苦につながるのが悪で、生、楽につながるのが善ではないでしょうか?」の質問での答えは、簡単に言えば、死も生も苦です。苦につながるのが悪です。楽につながるにが善です。
こころざし
2015年09月30日 08:49
本文の「①その行為が自分のためになるか・・②相手のためにもなるか・・③皆のためになるかどうか・・基準に合えば善いことだから実行する」ですが、色々ある日常の中でどう生きるかの姿勢として、自分の中の芯に据えて持ちたいと思います。
またコメントの「行う前に考えるだけでなく行いながらも観察・・行った後にも観察して・・」を拝見してハッとしました。行いながらも観察する事は出来ていない面が多いと思いますので、注意したいです。

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