316.317.恥ずべきでないことを恥じ、恥ずべきものに恥じない

ダンマパダ 第22 地獄(最悪の結果)の章 316、317

ナモー タッサ バガワトー アラハトー サンマーサンブダッサ
Namo   tassa   bhagavato   arahato    sammāsambuddhassa
阿羅漢であり正自覚者であり福運に満ちた世尊に敬礼致します

○片山一良先生 訳

恥ずべきでないことを恥じ
恥ずべきものに恥じない
邪(よこしま)な見(けん)を懐いている
生けるものらは悪道に行く

恐れがないのに恐れを見
恐れがあるのに恐れを見ない
邪(よこしま)な見(けん)を懐いている
生けるものらは悪道に行く



○日常語訳

恥じるべきでないことを恥じ、
恥じるべきことを恥じない
この邪見を持つことによって
これらの衆生は地獄に行く

恐れるべきでないことを恐れ
恐れるべきことを恐れない
この邪見を持つことによって
これらの衆生は地獄に行く


○子供のためのダンマパダ

悪いことをすることを恥と思わず
善いことをすることを恥だと思う人は
悪いことをするようになり
善いことをしないようになります
この人はきっと不幸になるでしょう

悪いことをすることを危険だと思わず
善いことをすることを危険だと思う人は
悪いことをするようになり
善いことをしないようになります
この人はきっと不幸になるでしょう





○一口メモ

 私たちは、自分を何かと同一化して、それを自分と同じように大切にしています。同一化している対象はいろいろあります。自分の財産、自分の家族、自分の肉体、自分の感情、自分の知識、自分の見解、自分の命などがあります。自分の命のためならば、自分の財産などは捨てますから、自分の命は一番大切そうに見えます。しかし、よく調べてみると、命よりも大切にしているものがありそうです。例えば、宗教や自分の主義のためには命を捨てる人も結構いますから、宗教や主義は命より大切なもののようです。宗教や主義は見解なのです。人間は、自覚してなくとも自分の見解は一番大切にしていて、その見解に基づいて生きているのです。ですから、他人に自分の見解を否定されたり、バカにされると、自分が否定されたり、バカにされたように思い、心に怒りがあらわれます。

 正しい見解を持たずに、「恥ずべきでないことを恥じ」と思えば、恥ずべきでないことはしないよいになるのです。また、逆に、「 恥じるべきことを恥じない」と思えば、恥ずべきことをするようになるのです。その結果、悪いことをして、善いことをしないようになります。またその結果その人は最悪の結果、不幸な結果になるのです。これは正しい見解を持たなかったからです。「恐れるべきでないことを恐れ、恐れるべきことを恐れない」についても同じ、論理が成り立つのです。

 孝考えると正しい見解を持つことがいかに大切か分かります。正しい見解とは、八正道の一番目、正見です。正見は、八正道の他の七つの項目を実践しながら、正見を持てるように修行するのです。私たちの行為はすべて、心に基づいて、心に導かれて行われていますが、その時の心が持っている見解に基づいて、見解に導かれ行われているのです。ですから、心を育てるとは、心が正しい見解を持つようにすることなのです。修行して正見の人になれば、修行は完成です。

 付け加えてのべれば、ほとんどの精神病はその人の見解が狂っていることによるのだと思います。狂った見解を正すことができれば、精神病は治るのだと思います。お釈迦さまの教える正しい見解を素直に学ぶことが最善です。それがなかなか難しいことであるとは思いますが。


○前回までのこの詩に関するブログ記事

*恥ずべきを恥じることなく恥なきを恥とする者地獄に相当
http://76263383.at.webry.info/200908/article_11.html


*恥じるべきこと恥なしと思う邪見の人は地獄行く
http://76263383.at.webry.info/200810/article_2.html


〇この詩のパーリ語原文

316.
アラッジターイェー    ラッジャンティ
Alajjitāye          lajjanti,
恥じるべきでないことで 恥じる
ラッジターイェー ナ  ラッジャレー
lajjitāye       na   lajjare;
恥じるべきことで ない 恥じる
ミッチャーディッティサマーダーナー
Micchādiṭṭhisamādānā,
邪見を   保持する
サッター   ガッチャンティ ドゥッガティン
sattā      gacchanti     duggatiṃ.
衆生たちは   行く      地獄に
317.
アバイェー          バヤダッスィノー
Abhaye             bhayadassino,
恐れるべきでないことで  恐れと見る
バイェー       チャーバヤダッスィノー
bhaye         cābhayadassino;
恐れるべきことで そして 恐れと見ない
ミッチャーディッティサマーダーナー
Micchādiṭṭhisamādānā,
邪見を   保持する
サッター   ガッチャンティ ドゥッガティン
sattā      gacchanti     duggatiṃ.
衆生たちは 行く        地獄に


〇詩のパーリ語について。100番からは正田大観先生を中心に行われました関西のダンマパダ輪読会の時の御自分のノートを参考にして、木岡治美様がわざわざ書き下ろしたものを私に送って下さいました。それを参考にさせて頂いております。


〇慈悲の瞑想

~私は幸せでありますように~
~私の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の願いごとが叶えられますように~
~私に悟りの光が現れますように~
~私は幸せでありますように(三回)~

~私の親しい人々が幸せでありますように~
~私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の親しい人々の願いごとが叶えられますように~
~私の親しい人々にも悟りの光が現れますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように(三回)~

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~

~私の嫌いな人々も幸せでありますように~
~私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の嫌いな人々の願いごとが叶えられますように~
~私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように~

~私を嫌っている人々も幸せでありますように~
~私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私を嫌っている人々の願いごとが叶えられますように~
~私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように~

~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~


(この慈悲の瞑想を唱える人には必ず幸せが訪れます。)

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~~~~~お 知 ら せ~~~~~

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この記事へのコメント

2010年06月19日 04:28
ワンギーサさん、おはようございます。

 様々な見解があって対立する。しかし、「地球が丸い」という事実=真理のことで宗教関の対立は生じない。

 これは、スマナサーラ長老のよ御説法で話されることですが、確かに「あなた地球が丸いと思ってんだろうけど、本当は四角なんだよ」と仮にいわれても、全く感情的にならない自信があります。

 逆に言えば、反論されたり、批判されたりして、怒りが生じる時は、その見解は「ただ何となくそう思っている」という域を脱してないのだと思います。
 
 証拠らしきものがある場合でも、逆上する場合なら、状況は同じかもしれません。

 正見の人になりたいものです。

 有難うございました。 
慈悲と智慧
2010年06月19日 09:05
高橋さん。
どの本かは忘れてしまいましたが、スマナサーラ長老が病院にお見舞いに行った際に、慈悲の瞑想をしっかりやるように患者の方を激励したということが書いてあったのを思い出しました。
体調良くなるように私も念じますね(^^)

生きとし生けるものの悩み苦しみが無くなりますように。
2010年06月19日 19:59
邪見なのかどうか。
常に気をつけていますが
欲や怒を正当化するための
巧妙ないい訳だったりするので
注意しないと難しいです。
日々訓練です。
高橋優太
2010年06月19日 20:13
ワンギーサ先生、皆様、こんばんは。
慈悲と智慧さん、ありがとうございます。
慈悲の冥想をしっかりやってみます。
こころざし
2015年09月30日 08:59
身近な人の生き様から、悪い事をしている事に気がついて注意が出来る方は、自分で何が大事か分かり・生き方の方向修正が出来ていると思います。
自分が悪い事をしていると気がつかない方は、悪い事をしている自覚がないままその行為を繰り返したりさらに悪い行為をする場面に接する事があります。その結果不幸な状況になりかねませんが、それが自分のせいだと気が付けない印象を感じています。
悪い事をしてしまう恐ろしさを自覚し・戒め、そして善い事を行って参りたいです。

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