318.319.罪ないことを罪あると思い、罪あることを罪ないと見る
ダンマパダ 第22 地獄(最悪な結果)の章 318,319
ナモー タッサ バガワトー アラハトー サンマーサンブダッサ
Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa
阿羅漢であり正自覚者であり福運に満ちた世尊に敬礼致します
○片山一良先生 訳
罪なきものに罪を思い
罪あるものに罪を見ない
邪な見を懐いている
生けるものらは悪道に行く
罪あるものに罪ありと
罪なきものに罪なしと知る
ただしい見を懐いている
生けるものらは善道に行く
○日常語訳
罪ないことを罪あると思い
罪あることを罪ないと見る
この邪見の保持で
これらの衆生は地獄の行く
罪あることを罪あると知り
罪ないことを罪ないと知る
この正見の保持で
これらの衆生は天界に行く
○子供のためのダンマパダ
大人も子供も
自分のためになる
善いことをしないで
自分のためにならない
悪いことをしますね
よく考えてみて下さい

○一口メモ
今回の詩をよく理解するために非常に役に立つ本を紹介します。
アルボムッレ・スマナサーラ著「あべこべ感覚」(サンガ新書)です。この本の出だしは次の通りです。
あべこべですよという結論
「あなたは、ふだん、まったくあべこべの感覚で生きていますね」と言われたら、どう思いますか?
突然そんなことを言われても、「それってどういうこと?」と感じるでしょう。では、「あべこべ」という言葉を辞書をひいて調べてみましょう。「さかさま」「逆」という意味がでてきます。つまり、「あなたはさかさまの感覚で生きています」ということです。「そんなことはありません。私は正常な感覚で生きていますよ」と思うでしょう。「この世の中で自分たちの考えることが、ほとんどあべこべだ」などとは、誰も思っていません。
しかし、お釈迦さまから見れば、実際は皆、あべこべ感覚で生きています。
では、なにとなにが、あべこべなのでしょうか?
「本当のこと」と「世の中の考え」が、あべこべです。「お釈迦さまが言うこの世の真理」と「あなたを含めた世間の認識」と言い換えてもよいでしょう。
具体的な例を挙げてみましょう。
たとえば、人生は苦しいものです。これは真理です。しかし、皆、「人生は楽しい」と思って暮らしています。
人間はいつか死にます。これもあたり前のことです。それなのに世の中の人々は「私は死なない」という幻想を抱いて生きています。
これがこの本の結論です。・・・・・・
以上引用いたしました。今回318番の詩は、自分とは関係ない人々について述べられているのだと思わない方がいいからです。現状の私たちは真理とは逆の見解をもっていると理解した方がいいのです。
これでは、まだよく分からないかもしれませんのもう少し、上記の本から例を述べてみます。私たちは「老いないように期待してます。」これはありえないことです。私たちは「病まないように期待してます。」これもありえないことです。私たちは「死なないように期待してます。」これもありえないことです。私たちは「悩みや苦しみが起こらないように期待してます。」これもありえないことです。このように、真理とは逆に期待(見解)を持っているのです。この事実を理解すると、誤った見解を超越できるのです。
今回の詩で、「第22 地獄(最悪の結果)の章」を終ります。
○前回までのこの詩に関するブログ記事
*罪なしを罪あることと見るならば邪見によって地獄に行くぞ
http://76263383.at.webry.info/200908/article_12.html
* 罪なきことを罪なしと思う正見の人天に行く
http://76263383.at.webry.info/200810/article_3.html
○パーリ語原文
318.
アワッジェー ワッジャマティノー
Avajje vajjamatino,
罪ないことを 罪あると思って
ワッジェー チャーワッジャダッスィノー
vajje cāvajjadassino;
罪あることを 又 罪ないと見て
ミッチャーディッティサマーダーナー
Micchādiṭṭhisamādānā,
邪見の 保持によって
サッター ガッチャンティ ドゥッガティン
sattā gacchanti duggatiṃ.
衆生たちは 行く 地獄に
319.
ワッジャンチャ ワッジャトー ニャトゥワー
Vajjañca vajjato ñatvā,
罪あることを 又 罪あると 知って
アワッジャンチャ アワッジャトー
avajjañca avajjato;
罪なしを 又 罪なしと
サンマーディッティサマーダーナー
Sammādiṭṭhisamādānā,
正見を 保持によって
サッター ガッチャンティ スッガティン
sattā gacchanti suggatiṃ.
衆生たちは 行く 天界に
〇詩のパーリ語について。100番からは正田大観先生を中心に行われました関西のダンマパダ輪読会の時の御自分のノートを参考にして、木岡治美様がわざわざ書き下ろしたものを私に送って下さいました。それを参考にさせて頂いております。
〇慈悲の瞑想
~私は幸せでありますように~
~私の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の願いごとが叶えられますように~
~私に悟りの光が現れますように~
~私は幸せでありますように(三回)~
~私の親しい人々が幸せでありますように~
~私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の親しい人々の願いごとが叶えられますように~
~私の親しい人々にも悟りの光が現れますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように(三回)~
~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~
~私の嫌いな人々も幸せでありますように~
~私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の嫌いな人々の願いごとが叶えられますように~
~私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように~
~私を嫌っている人々も幸せでありますように~
~私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私を嫌っている人々の願いごとが叶えられますように~
~私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~
(この慈悲の瞑想を唱える人には必ず幸せが訪れます。)
================================
~~~~~お 知 ら せ~~~~~
◎今回の詩に共感された方は、ページ右上の『仏教』バナーのクリックをお願いします。そうすると、仏教ランキングのランクが上がります。ランクが上がると多くの人の目に留まりやすくなり、ダンマパダの認知度が高まるからです。一日一回お願いします。
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ナモー タッサ バガワトー アラハトー サンマーサンブダッサ
Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa
阿羅漢であり正自覚者であり福運に満ちた世尊に敬礼致します
○片山一良先生 訳
罪なきものに罪を思い
罪あるものに罪を見ない
邪な見を懐いている
生けるものらは悪道に行く
罪あるものに罪ありと
罪なきものに罪なしと知る
ただしい見を懐いている
生けるものらは善道に行く
○日常語訳
罪ないことを罪あると思い
罪あることを罪ないと見る
この邪見の保持で
これらの衆生は地獄の行く
罪あることを罪あると知り
罪ないことを罪ないと知る
この正見の保持で
これらの衆生は天界に行く
○子供のためのダンマパダ
大人も子供も
自分のためになる
善いことをしないで
自分のためにならない
悪いことをしますね
よく考えてみて下さい

○一口メモ
今回の詩をよく理解するために非常に役に立つ本を紹介します。
アルボムッレ・スマナサーラ著「あべこべ感覚」(サンガ新書)です。この本の出だしは次の通りです。
あべこべですよという結論
「あなたは、ふだん、まったくあべこべの感覚で生きていますね」と言われたら、どう思いますか?
突然そんなことを言われても、「それってどういうこと?」と感じるでしょう。では、「あべこべ」という言葉を辞書をひいて調べてみましょう。「さかさま」「逆」という意味がでてきます。つまり、「あなたはさかさまの感覚で生きています」ということです。「そんなことはありません。私は正常な感覚で生きていますよ」と思うでしょう。「この世の中で自分たちの考えることが、ほとんどあべこべだ」などとは、誰も思っていません。
しかし、お釈迦さまから見れば、実際は皆、あべこべ感覚で生きています。
では、なにとなにが、あべこべなのでしょうか?
「本当のこと」と「世の中の考え」が、あべこべです。「お釈迦さまが言うこの世の真理」と「あなたを含めた世間の認識」と言い換えてもよいでしょう。
具体的な例を挙げてみましょう。
たとえば、人生は苦しいものです。これは真理です。しかし、皆、「人生は楽しい」と思って暮らしています。
人間はいつか死にます。これもあたり前のことです。それなのに世の中の人々は「私は死なない」という幻想を抱いて生きています。
これがこの本の結論です。・・・・・・
以上引用いたしました。今回318番の詩は、自分とは関係ない人々について述べられているのだと思わない方がいいからです。現状の私たちは真理とは逆の見解をもっていると理解した方がいいのです。
これでは、まだよく分からないかもしれませんのもう少し、上記の本から例を述べてみます。私たちは「老いないように期待してます。」これはありえないことです。私たちは「病まないように期待してます。」これもありえないことです。私たちは「死なないように期待してます。」これもありえないことです。私たちは「悩みや苦しみが起こらないように期待してます。」これもありえないことです。このように、真理とは逆に期待(見解)を持っているのです。この事実を理解すると、誤った見解を超越できるのです。
今回の詩で、「第22 地獄(最悪の結果)の章」を終ります。
○前回までのこの詩に関するブログ記事
*罪なしを罪あることと見るならば邪見によって地獄に行くぞ
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* 罪なきことを罪なしと思う正見の人天に行く
http://76263383.at.webry.info/200810/article_3.html
○パーリ語原文
318.
アワッジェー ワッジャマティノー
Avajje vajjamatino,
罪ないことを 罪あると思って
ワッジェー チャーワッジャダッスィノー
vajje cāvajjadassino;
罪あることを 又 罪ないと見て
ミッチャーディッティサマーダーナー
Micchādiṭṭhisamādānā,
邪見の 保持によって
サッター ガッチャンティ ドゥッガティン
sattā gacchanti duggatiṃ.
衆生たちは 行く 地獄に
319.
ワッジャンチャ ワッジャトー ニャトゥワー
Vajjañca vajjato ñatvā,
罪あることを 又 罪あると 知って
アワッジャンチャ アワッジャトー
avajjañca avajjato;
罪なしを 又 罪なしと
サンマーディッティサマーダーナー
Sammādiṭṭhisamādānā,
正見を 保持によって
サッター ガッチャンティ スッガティン
sattā gacchanti suggatiṃ.
衆生たちは 行く 天界に
〇詩のパーリ語について。100番からは正田大観先生を中心に行われました関西のダンマパダ輪読会の時の御自分のノートを参考にして、木岡治美様がわざわざ書き下ろしたものを私に送って下さいました。それを参考にさせて頂いております。
〇慈悲の瞑想
~私は幸せでありますように~
~私の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の願いごとが叶えられますように~
~私に悟りの光が現れますように~
~私は幸せでありますように(三回)~
~私の親しい人々が幸せでありますように~
~私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の親しい人々の願いごとが叶えられますように~
~私の親しい人々にも悟りの光が現れますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように(三回)~
~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~
~私の嫌いな人々も幸せでありますように~
~私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の嫌いな人々の願いごとが叶えられますように~
~私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように~
~私を嫌っている人々も幸せでありますように~
~私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私を嫌っている人々の願いごとが叶えられますように~
~私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~
(この慈悲の瞑想を唱える人には必ず幸せが訪れます。)
================================
~~~~~お 知 ら せ~~~~~
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この記事へのコメント
テーラワーダの世界を学びはじめて今年で六年目になりますが、最初のころスマナサーラ長老のVHSやDVDを30本以上殆どまとめ買いして見たものです。
その中に、ある心理学でも使用されてるテストがあったように思います(不安に関するビデオかもしれません)。
自分のしてみたいことをどんな事でもいいから正直にノートに書き出してみる。人にバレたらまずいものまで正直に書き出す。
「あべこべ感覚」P30に、「人間というのは、自分の願望さえ叶うなら、いかなる残酷なことにも労を惜しみません。これが人間の本音です。ぜひ、覚えておきましょう。「人を刺してみたいなあ」と思ったら、包丁を持って誰かを刺します。犯人は、犯人は、「私はただ人を刺して殺してみたかっただけです」と言います。これは、ただ自分に願望を叶えた生き方で、いってみれば「ふつう」の世間の生き方です。」とありますが、私の書き出してみた中に「殺してみたい」もあったはずです。
内容を忘れたころに見なしてみて、その時そう思わないことは削除する。そして、もう一度、残った項目に対して同様なことをしてみて、残ったものにランクをつけてみる。
というようなことだったと思います。
ところで、上位に「健康で長生きしたい」というのがありました。これだけはどうしても消せないものでっしたが、その後、「それは、あべこべ。自分は死なない」という邪見に基づくものだと知り、大変勉強になりました。
すっかり忘れてましたが、この機会に上記テストを試みてみます。「殺してみたい」などがあったらヤバイのですが、正直がポイントなので、単に修行が足りないということになるかと思います(苦笑)
有難うございました。
邪見・転倒の常識を持つ人々の中で生きるしかない。
ダンマに触れ続けることで、戒を守り、正道を歩むことが出来る。
三宝に礼します。
題名は忘れましたが、妄想が起こった際に、【生きとし生けるものが幸せでありますように】でその妄想を塗り替えることをスマナサーラ長老が説いていた本もありました。
あべこべが生じたり、三毒の衝動が生じても慌てないことも大事でしょう。
どんな方法にしても客観的という視点で改善する必要があるからです。
そして改善には時間も必要でしょう。
数回読んだだけ、瞑想しただけ、本を読むだけで全て解決しようとすることもある意味あべこべだと思います。
目標や決まりを厳守するために
まわりに迷惑をかけ
自分も壊れていくなんて。
その考え正しいのか
罪とは何か
正しく見る力
養っていきます。
日々精進し少しずつでも進歩して参りたいです。
https://noritsu.seesaa.net/article/201006article_19.html