323.実にこれらの乗り物では未到の涅槃には行けないから

ダンマパダ 第23 象の章 323

ナモー タッサ バガワトー アラハトー サンマーサンブダッサ
Namo   tassa   bhagavato   arahato    sammāsambuddhassa
阿羅漢であり正自覚者であり福運に満ちた世尊に敬礼致します


○片山一良先生 訳

実にこれらの乗り物にては
未到の地には達しえず
自ら調御し、調御者が
よく調御し、達するように



○日常語訳

実にこれらの乗り物では
未到の涅槃には行けないから
自分をよく訓練することによって
訓練した人は到達する

○子供のためのダンマパダ

涅槃はどこにあるの?
新幹線でも飛行機でも行けないところ
こころの汚れを落として
智慧ができれば行けるところです





○一口メモ

 前回及び前々回のブログでは、322番と323番の詩をいっしょに掲載いたしました。しかし今回は322番は昨日、320番、321番と共に掲載しました。今日323番を単独で掲載することになります。なぜそうしたかは、これらの詩ができた因縁物語に従ったからです。その理由に深い根拠はありません。しいて言えば、いっぺんに多くの詩を掲載したいと思うか、一つずつゆっくりと掲載しようと思うかの違いです。

 前回や前々回のパーリ語訳を丁寧に比べておられる方は、気がつかれたと思いますが、前回は出だしが、「何となれば」となっていましたが、今回は「実に」となっています。それはパーリ語の「hi」の訳に、「実に」という訳と「なんとなれば」という訳があるからです。前の詩につなげて考えれば、「何となれば」の方がいいのですが、単独の詩であれば「実に」のほうがいいと思ったのです。

 さて、この詩の意味は、これらの乗り物とは、ラバや馬や象なのです。これらの乗り物では「未到の地」とは涅槃のことです。涅槃にはいけません。涅槃には、自分を調御して、欲、怒り、愚かさなどの煩悩をなくした人が到達できると言っているのです。

 このことに関連して、前々のブログの「この詩から学ぶこと」に次のように書いてあります。

 ある時、釈尊は比丘たちに聞きました。「智慧を増やす方法は何か?」 それに対して釈尊自身が「1.智慧ある人に親しむこと。2.正法を聞くこと、すな わち学ぶこと。3.如理に作意すること。4.法に即した行ないをすることである」とお答えになりました。(南伝大蔵経18巻428ページ)

 「4、法に則した行ないをすること」に関しては、9月28日にダンマパダ84番で説明しました。
  http://76263383.at.webry.info/200809/article_28.html

 さて、今回の詩は「3.如理に作意すること」の分かりやすい例だと思います。その説明をする前に、「如理に作意すること」の説明をします。この意味は論 理的で有益な目的のある思考をすることです。ただ論理的であればよいのではありません。論理的であっても、有益な目的のない思考は無駄な思考であり、世の 中を混乱させます。論理的であっても、有害な目的のある思考は人類の破滅をもたらします。その最大なものは戦争です。

 論理的に考えるとは根拠があるということです。上の詩で、訓練されたラバよりも、駿馬よりも、巨象よりも、自分を訓練した人は優れていると述べられてい ます。論理的であるためにはその根拠が必要なのです。この詩では、訓練されたラバ、駿馬、巨象に乗って涅槃にはいけないが、自分をよく訓練すれが涅槃に到 達できるという根拠が示されています。釈尊の説法すなわちお経はすべて解脱のため、涅槃に到達すために役に立つという明確な最高に有益な目的があります。 この詩もその通りのものであることがはっきりと分かります。

 八正道の正思惟は、欲のない思考、怒りのない思考、害意のない思考のことですが、論理的な思考すなわち根拠のある思考と、同時に解脱に役に立つ、涅槃に達するためという最高に有益な目的ある思考をするようにこころがければ、智慧が増すことは間違いがないことです。

 結論は、自分自身を訓練して、智慧を増やして、涅槃に到達しようということです。

 昨日のブログのコメントに、もく魚さんが書いてくれましたが、2年前の今日、2008年6月21日にこのブログを始めたのですね。少し感傷的になりますが、必要なことは無執着です。


○前回までのこの詩に関するブログ記事

*なぜならばそれに乗っても涅槃にいけない自制で行ける
http://76263383.at.webry.info/200908/article_15.html

* 乗り物でなく、自己の訓練が未到の涅槃に連れて行く
http://76263383.at.webry.info/200810/article_6.html
 

○パーリ語原文

323.
ナ   ヒ      エーテーヒ ヤーネーヒ
Na   hi       etehi      yānehi,
ない 実に     これらの  乗物によって
ガッチェッヤ アガタン ディサン
gaccheyya   agataṃ   disaṃ;
行ける     未踏の  地方に
ヤター タナー   スダンテーナ
Yathā'  ttanā     sudantena,
ように 自分を    よく訓練して
ダントー    ダンテーナ ガッチャティ
danto       dantena    gacchati.
訓練した人が 訓練で    到達する


〇詩のパーリ語について。100番からは正田大観先生を中心に行われました関西のダンマパダ輪読会の時の御自分のノートを参考にして、木岡治美様がわざわざ書き下ろしたものを私に送って下さいました。それを参考にさせて頂いております。


〇慈悲の瞑想

~私は幸せでありますように~
~私の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の願いごとが叶えられますように~
~私に悟りの光が現れますように~
~私は幸せでありますように(三回)~

~私の親しい人々が幸せでありますように~
~私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の親しい人々の願いごとが叶えられますように~
~私の親しい人々にも悟りの光が現れますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように(三回)~

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~

~私の嫌いな人々も幸せでありますように~
~私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の嫌いな人々の願いごとが叶えられますように~
~私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように~

~私を嫌っている人々も幸せでありますように~
~私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私を嫌っている人々の願いごとが叶えられますように~
~私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように~

~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~


(この慈悲の瞑想を唱える人には必ず幸せが訪れます。)

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~~~~~お 知 ら せ~~~~~

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この記事へのコメント

2010年06月21日 21:21
なるほど論理的なだけでなく
有益でなければならないのですね。

2年間ですか。
ありがとうございます。
このブログに、そして
お釈迦様の言葉に出会えたことに
心から感謝いたします。
2010年06月21日 21:36
仏法僧、頼らず自立、涅槃は近し。

自立して、仏法僧を、おんぶした。

おんぶした、仏法僧を、いつおろす。

死ぬ時は、きちんとおろすぞ、仏法僧

高橋優太
2010年06月21日 22:14
ワンギーサ先生、皆様、こんばんは。
冥想を進めて、今日のダンマパダの内容を確かめます。法の六徳を読むと、仏道を歩む勇気がでますね。ありがとうございました。
2010年06月21日 22:46
>「智慧を増やす方法は何か?」
「1.智慧ある人に親しむこと。2.正法を聞くこと、すなわち学ぶこと。3.如理に作意すること。4.法に即した行ないをすることである」(南伝大蔵経18巻428ページ)
☆僕はこのお経は知らなかったです。本当にありがとうございます。特に「3.如理に作意すること。」があるとは!

>2年前の今日、2008年6月21日にこのブログを始めたのですね。少し感傷的になりますが、必要なことは無執着です。
☆勉強になります。
『すべて作られたものは 壊れる性質のものである。 気付きを怠らずに 修行を完成させなさい。』(大般涅槃経よりA・スマナサーラ長老訳) 
この言葉を胸に、僕も少しづつ精進していきたいと思います。ありがとうございました。 
あっきん
2010年06月22日 00:08
 おはようございます。
実は”涅槃”に違和感を感じていました。私が無知で無学。それがプログで正法を学び、苦が無くなり幸せと理解できるようになりました。やっぱ生きにくいと最近感じます。でも問題は世の中ではなく、私自身の煩悩に障害があるなら、なんとかなる可能性もあるのでないかと思います。生きとし生けるものは幸せでありますように。
2010年06月22日 04:16
ワンギーサさん、おはようござおます。

 あれは、スマナサーラ長老の瞑想初心者指導の時でした。

 私が「初めての経験なので怖くなりました」と答えると、間髪をいれずに「あなたは同じ経験をしたことがありますか?」とお答えになられて、私は絶句してしまいました。

 私の、「根拠らしきもの」=屁理屈を「根拠」にして指導されたように思います。

 根拠に基づいて論理的に考える。又は語る場合でも、独りよがりの根拠だったり、論理の飛躍、破綻がある場合に、それに気がつくのは、少なくとも私の経験上は案外と難しいと思います。

 今のところ、スマナサーラ長老の、定義が明確で、根拠に普遍性があり、論理的で非常に明快に語られた御説法を「お手本」として勉強させて頂いております。

 好みや感覚的に「そうだ」と思ってしまった見解を正すのは後で大変なので、常に、客観的に、しっかりした根拠に基づいて論理的に捉える姿勢は大切だと思います。

 新たなデータがわかり次第、それまでの見解を捨てらやすいからです。

 日頃の心構えが大切だと思い精進したいと思います。

 有難うございました。
ぱん
2010年06月22日 06:35
おはようございます。

『大念処経』や『念処経』に、一日中ヴィパッサナー瞑想をしていれば一週間で悟りが開けると書いてあるとワンギーサさんが教えてくださったことなどをきっかけに、毎日八時間実践しています。今週で三週目。

最短七日で悟りが開けるはずなのに、二週間かけても悟りが開けなかったことで、自分はまだまだだと思いました。ただ、経典に書かれていることが、全くのでたらめではなく、本当らしいとは、二週間で実感いたしました。

今週は七覚支のうち、定覚支が現れてくれることを期待しつつ、念覚支に精進したいと思います。

生きとし生けるものが幸せでありますように。
2010年06月22日 07:24
皆さん、おはようございます。

ぱんさんへ。
何かを期待して、瞑想してもそれは瞑想ではありません。
2010年06月22日 07:28
前進あるのみ
常に「今」を客観的に自分の状態を観察すること
人と話しているときは、相手の状態を観察して
相手に不快感を与える言葉は使わない
有意義な言葉を使うように
今日も心掛けていきます。
思うようには上手く行きませんが・・・
慈悲と智慧
2010年06月22日 07:46
最近、角川文庫から出版されたスマナサーラ長老の著作に、こころは、気づくことによって治る。妄想を全部無くしてやろうとか、良い人間になってやろうとか思う必要はなく、ただ、気づくことによって良くなるというような事が書かれていました。
小池龍之介師も法話で同じようなことをおっしゃっていました。
へんに力まないことが大切なんだと思いました。

私と生きとし生けるものが幸せでありますように。
慈しみ
2010年06月22日 17:13
ボーディ王子経に悟るには半日あればいいという内容が書かれてました。
この経典以外に悟るには半日かそれより短い期間でいいと書かれている経典はございますでしょうか?
ご教示いただければ幸いです。
こころざし
2015年10月01日 07:39
本文の「訓練されたラバ、駿馬、巨象に乗って涅槃にはいけない」を拝見し、何かの他力的なものに乗れば涅槃に行ける訳ではない事を思いました。
自分自身で志を持って実践して、そして智慧を増やせるように努め、涅槃を目指したいです。

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