324. ダナパーラという名の象は母象が住む森を心配する

ダンマパダ 第23 象の章 324

ナモー タッサ バガワトー アラハトー サンマーサンブダッサ
Namo   tassa   bhagavato   arahato    sammāsambuddhassa
阿羅漢であり正自覚者であり福運に満ちた世尊に敬礼致します

○片山一良先生 訳

ダーナパーラという象は
激しく暴れ、御しがたい
捕らえられて、その象は
食(じき)をとらず、象林を憶(おも)う


○日常語訳

ダナパーラという名の象は
激しい破壊力があり制し難い
捕まった象は食べ物を食べずに
象が住む森を心配する


○子供のためのダンマパダ

ダナパーラという象がいました
その象は王様につかりました
彼は森にいる眼の見えない
お母さんを心配で何も食べられません

王様はそのことを知って
ダナパーラを放してあげました
彼は森に帰って
お母さんの世話をしました





○一口メモ

 この詩に関しては、従来の先生方の日本語訳だけでは意味が分からないのです。ただ訳せばいいというものではないと思います。仏教が親孝行を非常に大切にしていることを教える詩なのです。前回のブログ記事の「このから学ぶこと」に以下のように書かれています。

 この詩はダナパーラという名の象について知らなければ、意味が分からないのです。この象については、ジャータカ全集6(春秋社)のp93~p97の「母を養う者前生物語」で述べられています。その要旨は次の通りです。

 「ダナパーラは大変美しい勇ましい白象でした。また、その象は象たちの王でもありました。彼は山中の洞窟で盲目の母象の世話をしていました。しかし、自 分が助けた悪い人間のために、王の乗り物 として捕獲されたのです。ダナパーラがあばれれば、捕獲されずにすみましたが、そうすれば多くの人間を傷つけることになるので、またそれは悪業を作ること になるので、おとなしく捕獲されました。王はこの白象を大変気に入り、毎日ご馳走を白象に与えました。しかし、この白象はそれを食べようととはしませんで した。不審に思った王は白象にその理由を聞きました。白象は「盲目の母象が私を待っています。私は母が心配で食べられないのです。」と答えました。慈悲深 い王はこの白象を放し、象の森に帰しました。ちなみに、その時の王はアーナンダ尊者であり、母象は王妃マハーマーヤーであり、白象は釈尊、それぞれの過去 生であったということです。」

 つまり、この物語は親孝行について述べらたものです。そして、この詩は親孝行について歌われたものなのです。仏教は親孝行について説かないと誤解されて いる方もおられますが、そうではありません。釈尊は、両親は子供にとって梵天であり、初めの教師であり、尊敬すべき人なのだと説かれています。このことに ついて前回の「この詩から学ぶこと」にも書きましたが、東京都八王子市の正山寺おられる、スリランカの、私より30歳以上若いのですが、私にいろいろ教え てくれる先輩のスダンマ師のブログにこのお話しが書かれています。是非お読み下さい。アドレスは次の通りです。http://sudhammathero.blogspot.com/2009_06_01_archive.html

 私たちが道徳を学ぶとき、親孝行から始めるべきなのです。それが、自然で分かりやすいのです。ところが、日本では親孝行はどこかに行ってしまったように 思います。ですから、日本の社会では道徳は重視されていません。それよりは、金儲けか、塾の勉強です。スリランカでは今でも子供は朝と夜に両親に礼をして 挨拶するのです。私の子供の頃はそのような習慣がありました。私は今の子供たちを批判しているのではないのです。子供は親を見て育ちます。今の大人が自分 の親を大切にしないから、今の子供たちは今の大人たちを尊敬しません。


○前回までのこの詩に関するブログ記事

*ダナパーラ力の強い白象は食べ物取らず母を案ずる
http://76263383.at.webry.info/200908/article_16.html

* ダナパーラという名の白象は食べ物取らず母思う
http://76263383.at.webry.info/200810/article_7.html


○パーリ語原文

324.
ダナパーロ   ナーマ   クンジャロー
Dhanapālo    nāma     kuñjaro,
ダナパーラ   という名の 象は
カトゥカベーダノー ドゥンニワーラヨー
kaṭukabhedano    dunnivārayo;
激しい破壊の    禁制しがたい
バッドー      カバラン ナ  ブンジャティ
Baddho       kabaḷaṃ  na   bhuñjati,
縛られた(象)は 食べ物を ない 食べない
スマラティ ナーガワナッサ クンジャロー
sumarati   nāgavanassa    kuñjaro.
想う     象の森を     象は


〇詩のパーリ語について。100番からは正田大観先生を中心に行われました関西のダンマパダ輪読会の時の御自分のノートを参考にして、木岡治美様がわざわざ書き下ろしたものを私に送って下さいました。それを参考にさせて頂いております。


〇慈悲の瞑想

~私は幸せでありますように~
~私の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の願いごとが叶えられますように~
~私に悟りの光が現れますように~
~私は幸せでありますように(三回)~

~私の親しい人々が幸せでありますように~
~私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の親しい人々の願いごとが叶えられますように~
~私の親しい人々にも悟りの光が現れますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように(三回)~

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~

~私の嫌いな人々も幸せでありますように~
~私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の嫌いな人々の願いごとが叶えられますように~
~私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように~

~私を嫌っている人々も幸せでありますように~
~私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私を嫌っている人々の願いごとが叶えられますように~
~私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように~

~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~


(この慈悲の瞑想を唱える人には必ず幸せが訪れます。)

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この記事へのコメント

2010年06月22日 20:43
我思う、親孝行は、今できる、

我に感謝で、我元気。


我元気、それで十分、親孝行







2010年06月22日 21:13
親や師を敬う心、大切にしたいです。
幼い頃から、そして大人になってからも
道徳は忘れてはなりませんね。
2010年06月22日 23:37
チューラパンタカさんへ。
あなたの親孝行についての固定観念を、ブログ記事に引用したスダンマ師のブログの記事で、お釈迦さまは親孝行についてどう教えているか学んだ方がいいと思います。
「我元気、それで十分、親孝行」は御両親がそう思ってもよいですが、子であるあなたがそう思うのは自己満足だと思います。
鉄人
2010年06月23日 00:48
ワンギーサ様 今晩は。

小生の父親は二年前に亡くなりました。生前はそれなりに孝行したつもりでいたのですが、仏教を学ぶにつれそれが全然足りなかった事実を痛感致しております。

しかし父はもういません。どうにもならないのです。せめて
正しく生きること人格者になることで、多少でもそれで回向になれたらと思っております。

またひとり残された母を、これからはもっと大切にしていきたいと、改めて感じております。
2010年06月23日 04:26
ワンギーサさん、おはようございます。

 スダンマ師のブログをこうして読んでみて、「両親は梵天と同じ」ということが私なりに理解できました。

 実は、初めてスマナサーラ長老と個人的にお話しさせて頂いた時の御言葉が「怒ったら負け」「両親は神様」でした。だから、一番私の心に焼き付いてます。

 正直言って、どうして両親が神様なのか、その時全くピンときませんでした。

 ピンときた現在は実践あるのみです。 

 せっかく、こうして毎日お釈迦様の教えを勉強してるわけですから、是非ともそれを「親孝行」に役立てたいと思います。

 有難うございました。





ぱん
2010年06月23日 06:24
ワンギーサさん、昨日はコメント欄でのアドバイスありがとうございました。また、本堂でも、ワンギーサさんのおかげで、長老にも三ヶ月ぶりに質問をさせていただくことができました。「何も期待しないで瞑想する」というポイントは、長老も仰っていたので、これからの実践で心がけたいと思います。
今日は、ダナパーラという像が話題になっていますが、人間以下の生き物であるはずの動物たちの中に、人間以上に美しかったり、道徳的な生命がいることは確かです。来世では阿羅漢になるのでしょうか。昨夜も、寺にいる猫が「にゃー」と長老に鳴いたところで、説法が終了しました。なぜ、そこで長老が話を終えたのかわかりませんが、私が日本語での質問をしたあと、次の質問者は英語で質問をしていて、長老は英語で答えていたので、パーリ語、日本語、英語がわかるならば、猫語もわかるのかもしれませんね。

生きとし生けるものが幸せでありますように。
あっきん
2010年06月23日 09:49
  おはようございます。
 親は何をしても、完全に怒らない。広い心で慈しみがあると思います。年をとっても。
子供を育てるのも、親の世話をするのも盲目的でやみ雲にするものなのかな。。私の勝手なコメントですが正見がいると思います。(私に正見があるかはいま一つですが)ケアマネジャーさんは個々の性格・病状に合わせて日程等組んでくれます。いずれ私も老いて行く道だから。現実的にとらえています。その間何をするかが大切ですね。生きとし生けるものは幸せでありますように。
高橋優太
2010年06月23日 10:10
ワンギーサ先生、皆様、おはようございます。
うちの母親は毎日おばあちゃんの介護をしていたので、その姿は偉いなと思いました。自分も貢献できるような人になりたいです。ありがとうございました。
慈悲と智慧
2010年06月23日 10:46
親孝行って大事なのは分かっているけど、気恥ずかしくて出来ない、あるいは、何故か喧嘩になってしまうということはありますね。
そんな時はいつも慈悲の瞑想が効くのです。
自然な形で気持ちよく親孝行出来るようになるわけです。
慈しみがあればあるほど、親孝行は、自分にも親にもプラスになるのです。
2010年06月23日 22:14
生意気でごめんなさいですけど

親のいない人のためにとも思い書きました
2010年06月23日 22:36
チューラパンタカさん。
親のいない人はいません。
御両親がなくなられているならば
善行為をして、御両親の供養をして下さい。
2010年06月23日 23:13
親が生きていない人のためです

さようなら、これでこのブログにはまいりません
こころざし
2015年10月02日 07:54
私事ですが、現在私の父は他界しており母が70代で実家に一人暮らしをしています。月1回を目安に子供と実家を訪ね・出来れば泊まるようにしています。
高齢者介護の仕事をしていますが、ご家族が親御様と面会等で一緒の時間を大事にされる事が親孝行に繋がるように感じています。
今後も親との時間を大事にして参りたいです。

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