325.大食漢で怠けてばかり寝て転々する愚者は

ダンマパダ 第23 象の章 325

ナモー タッサ バガワトー アラハトー サンマーサンブダッサ
Namo   tassa   bhagavato   arahato    sammāsambuddhassa
阿羅漢であり正自覚者であり福運に満ちた世尊に敬礼致します

○片山一良先生 訳

大食漢で怠けてばかり
寝て転々する愚者は
餌で育つ大豚のように
ただ繰り返し母胎に入る



○日常語訳

眠りこけ大食を喰らい
ごろごろ寝るのを好む愚鈍の人は
えさを与えられる大豚のように
何度も母胎に入り輪廻を続ける


○子供のためのダンマパダ

食べすぎでないかと
いつも注意して食べていれば
お腹が痛くなることはないし
肥満児にもならないし
頭もよくなって、長生きできるよ





お釈迦さまがコーサラ国王パサーナディに行った説法(南伝大蔵経 第12巻 139ページ)の中の詩を子供用に翻訳しました。


○ひと言メモ

 今回の詩は「食」についての、お釈迦さまの教えが述べられています。始めにダンマパダの中から「食」に関する詩をピック・アップしてみましょう。

7.8.
この身体を清浄と見て暮らし、いろいろな感覚を守らない
食物の適量を知らず、怠惰で精進しない人
彼を悪魔が打ち負かす、風が弱い樹木を倒すように

この身体を不浄と見て暮らし、いろいろな感覚を守って
食物の適量を知り、信があり精進する人
彼を悪魔が打ち負かせない、風が岩山を倒せないように

92.93.(片山先生訳)
貯え蔵することがなく、食べる物に知悉(ちしつ)して
空にしてまた無相なる、解脱の境地を得た者らの
かかる行方は辿りがたい、空飛ぶ鳥の行方のように

もろもろの煩悩が滅尽し、食べる物にも捉われず
空にしてまた無相なる、解脱の境地を得た者らの
かかる跡は辿りがたい、空飛ぶ鳥の跡のように

185.
他人を非難せず、傷つけない、戒律に関しては自分を守り
食事に関しては量を知り、静かなところで生活する
心に関して努力する、これが諸仏の教えである

325.
眠りこけ大食を喰らい、ごろごろ寝るのを好む愚鈍の人は
えさを与えられる大豚のように、何度も母胎に入り輪廻を続ける


 以上ですが、これらについて、充分な説明はひと口メモでは書ききれません。スマナサーラ長が老が話された内容をまとめた「一ってなに?」というパンフレット(施本)があります。食とはなにか?食の本質について述べられていますので、それをなんとか手にいれてお読み下さい。

 ほんのさわりだけ述べれば「一ってなに?」の答えは、「食べ物、栄養です。生命には栄養が必要です。生命は、栄養によって支えられます。栄養によって、命を維持管理をしているのです。」ということです。

 しかし、世間では食(栄養)は物質的なものしか考えていませんが、仏教では生命に必要な栄養は四種類あると教えています。
第一は、口から入る物質的なもの。いわゆる食べ物です。
第二は、触(そく)といいます。眼、耳、鼻、舌、身、意に色、声、香、味、触、法という情報が触れることです。
第三は、意思です。見たい、聞きたい、食べたい、歩きたい、座りたいなどの意思です。
第四は、識です。心という意味です。心は巨大なエネルギーです。今の瞬間の心がなくなると、代わりに、別の心が必ず現れるのです。
 この四種類の栄養のうち、身体に必要な栄養は一つで、心に必要な栄養は三つです。

 食べ物について、よく理解できると、幸せになるために、涅槃に達するために必要な心の食べ物が分かってきます。欲や怒りや愚かさは不幸になる食べ物で、満足や慈悲の心や智慧は、幸福になるため、涅槃に達するための食べ物なのです。

 上に引用したダンマパダの詩に「食事に関しては適量を知る」と述べられています。物質的な食べ物に関して、適量を知ることは、健康を保つために必要であるという意味以上に、修行者は一日身体を維持して、修行に精進できるように、適量を保つのです。そのためには正念が必要であり、このこと自体修行なのです。

 以前、どこかのある本(どんな本か完全に忘れていますのでその本について質問しないで下さい。)で「一食につき睡眠時間が3時間必要だ」ということを読みました。三食食べれば九時間の睡眠が必要になります。一日二食で六時間の睡眠、一日一食ならば三時間の睡眠ですみます。これは私の経験に照らしてみても、あながち間違いではないと思います。毎日三食お腹いっぱい食べていたら、九時間以上の睡眠時間が必要になり、瞑想に使う時間などはとれないのが普通でしょう。瞑想しても、瞑想の格好をしていても、寝ているのが実状ではないでしょうか。

 瞑想修行を妨げる五蓋といわれる、欲、怒り、だらけと眠気、混乱と後悔、懐疑がありますが、実際に、瞑想中の眠気は大きな問題です。眠気には自分で気付く場合もありますが、自分が瞑想中に寝ていても気付かないのです。瞑想中寝ていては何年瞑想しても無意味です。他人は注意しにくいですから、注意してくれる善友を作るのは有効かもしれません。

 眠気について、書きましたのは、眠気の原因の一つに大食があるからです。大食は必ず眠気を招きます。これは私の経験です。瞑想中に寝てしまうと悩んでいる方は小食にすることです。腹八分ではなく、腹六分程度にすることです。そして比丘と同じように、食事は昼までにするとさらに効果的です。私は夕食はとりませんが、昼食を少し食べ過ぎていると反省しています。

 輪廻の問題については今回は書きませんでしたので、前々回や前回のブログ記事をお読み下さい。

 皆様のご精進をお祈り申し上げます。三宝の御加護がありますように。


○前回までのこの詩に関するブログ記事

*眠りこけ大食喰らう愚か者母胎に入り輪廻を続ける
http://76263383.at.webry.info/200908/article_17.html

*大食くらい寝転ぶ人は大豚のごとく輪廻する
http://76263383.at.webry.info/200810/article_8.html


○パーリ語原文

325.
ミッディー ヤダー ホーティ マハッガソー チャ
Middhī    yadā   hoti    mahagghaso  ca,
眠る者   時に  である  大食者     又
ニッダーイター   サンパリワッタサーイー
niddāyitā       samparivattasāyī;
眠りを貪る人は  ころごろ横たわる者は
マハーワラーホーワ ニワーパプットー
Mahāvarāhova     nivāpapuṭṭho,
大豚   ように    餌で育てた
プナップナン ガッバムペーティ マンドー
punappunaṃ  gabbhamupeti    mando.
何度も     母胎に入る     愚鈍の人は


〇詩のパーリ語について。100番からは正田大観先生を中心に行われました関西のダンマパダ輪読会の時の御自分のノートを参考にして、木岡治美様がわざわざ書き下ろしたものを私に送って下さいました。それを参考にさせて頂いております。


〇慈悲の瞑想

~私は幸せでありますように~
~私の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の願いごとが叶えられますように~
~私に悟りの光が現れますように~
~私は幸せでありますように(三回)~

~私の親しい人々が幸せでありますように~
~私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の親しい人々の願いごとが叶えられますように~
~私の親しい人々にも悟りの光が現れますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように(三回)~

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~

~私の嫌いな人々も幸せでありますように~
~私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の嫌いな人々の願いごとが叶えられますように~
~私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように~

~私を嫌っている人々も幸せでありますように~
~私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私を嫌っている人々の願いごとが叶えられますように~
~私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように~

~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~


(この慈悲の瞑想を唱える人には必ず幸せが訪れます。)

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~~~~~お 知 ら せ~~~~~

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この記事へのコメント

ぱん
2010年06月23日 21:27
こんばんは。

昼に、冷凍ハンバーグを解凍して食べました。17分間、袋に入れたまま、沸騰しお湯の中で解凍するように指示が書かれていましたので、その通りやって食べました。17分間はけっこう、おなかが空いている時は長かったのですが、「焦り」や「イライラしている」自分に気づきました。そういう時間こそ、昨日経典解説開始直前に、ワンギーサさんが突然立ち上がり、提案なさった「空き時間は慈悲の瞑想をしてはどうでしょう」という提案を実行すべき時なのですが、今日は実行はできませんでした。

さて、今日、食についてがテーマになっているのは、瞑想修行のために、精進料理的なことを心がけよということだと思いました。瞑想といえば、昨日、本堂で3~4人くらいの方と、瞑想していたのですが、まるで苦行中の釈迦のような鬼気迫るような真剣さで実践なさっていた方がいました。自分が二週間、自宅でやっていたことは、チャンバラ遊びだったと反省できました。

7月は真剣勝負で瞑想をする予定なので、そうなったら、ワンギーサさんにも、ぜひ、ご指導いただければ幸いです。

生きとし生けるものが幸せでありますように。
2010年06月23日 21:44
お釈迦様はたびたび
食についても語られていますね。
飽食、グルメ、お取り寄せの一方
過剰な健康志向、ダイエット。
よく考えねばなりません。

まだ夕食無しはできませんが
夜はごく軽くか粥や飲み物です。
食べる瞑想をはじめてから
「欲」と「必要」の違いが
感じられるようになってきました。

体のための食物だけでなく
心にも栄養が必要なのですね。
心の栄養バランスについても
気をつけていきます。
2010年06月23日 22:09
この詩偈は、「効きます」し、「言い当て妙」だと感じました。「一食につき三時間の睡眠が必要」なるほどです!
いかに「食欲、食事の量」をコントロールするか?が鍵だと感じました。(そういえば「食厭想」とかいう瞑想?がありましたか。。。)ありがとうございました。m( )m
まさこ
2010年06月23日 23:15

腹十二分くらい、食べてしまうことが度々ありました。
腹六分、頑張ってみます。いいお話を、ありがとうございました。
2010年06月24日 03:59
ワンギーサさん、おはようございます。

「飲食依存症」みたいなことがあるんじゃないかと思います。

 あくまで私の経験ですが、長老の御説法を聞いて、心が充実感を味わった時は、食事という事柄そのものが頭の中から消えてしまうようなことがあります。

 逆に、イライラ、ムシャクシャした時は大して空腹でもないのに「何か美味いものでも食べてやろうか」という衝動が湧いてきたりします。

 これはかなり前にどっかのテレビ番組で見たことなので、正確さや、真偽のほどは分かりませんが、「食べ過ぎに因る肥満は不幸の象徴である。それは精神的に満たされないから、飲食で紛らわせているからだ」というのがありました。あながち間違えではないように思います。

私の知人や友人で、ストレスによる過食や飲酒で病気になったケースが、非常に多くあります。

 イライラ⇒飲食⇒眠気⇒放逸⇒仕事の非効率⇒ムシャクシャ⇒過食。という悪循環に陥らないやめにも、食事する際の心の状態をよく観察するよう心がけたいと思います。

 有難うございました。
まさこ
2010年06月24日 07:26

新さんのコメント、イライラ→飲食→眠気→放逸→仕事の非効率→過食、私の長い間の状態みたいです。ここから、抜け出せるよう頑張ります。
慈悲と智慧
2010年06月24日 10:04
時々、何かむしょうに貪りたくなる時がありますね。
それは、人によって飲食だったり、インターネットであったり、性的なものだったりします。

そんな時、慈悲の瞑想を出来たら良いのですが、なかなか出来なかったりします。取り敢えず、ストップすることもありでしょう。
慈悲の瞑想出来なくても、一時停止。 悪いことをストップすることも良いことでしょう。
でも、寧ろむしょうに貪りたくなる時程、レベルアップのチャンスなんですよね。
あるいは、そこでどう対応するかで、日頃の修行の本当の成果が計れると思います。


しょうしょう
2010年06月24日 10:37
そういえば、宿泊瞑想会では3~4時間の睡眠で十分でした。日常では、気持ちよくて、ラベリングが面倒なときがありますが、多分寝ているのでしょうね、ラベリングの効用のひとつです。
こころざし
2015年10月02日 22:35
本文の「瞑想中寝ていては何年瞑想しても無意味です」を拝見し冷や汗の出る思いが致しました。まるで気絶する?ように寝ている事があります。
食事も好きで沢山食べてしまう事が日常化しています。まずは腹8分目に出来るように念を持って実践して参りたいです。

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