326.昔はこの心はさまよっていた心の望むように、好きなように

ダンマパダ 第23 象の章 326

ナモー タッサ バガワトー アラハトー サンマーサンブダッサ
Namo   tassa   bhagavato   arahato    sammāsambuddhassa
阿羅漢であり正自覚者であり福運に満ちた世尊に敬礼致します


○片山一良先生訳

この心は以前には、求めるままに
欲するところへ、楽に従いさすらった
今やそれを私は、正しく制御す
鉤持つ人の、暴れる象に対する如く



○日常語訳

昔はこの心はさまよっていた
心の望むように、好きなように
今こそ私は心を完全に従わせる
象使いが狂暴な象を従わすように


○子供ためのダンマパダ

心は赤ちゃんみたいに
何もわかってないみたいだから
ほしいよぉ、やだよぉ、とか言ったら
そんなのだめだよ、ちがうでしょ、
って、ちゃんと善いこと
教えてあげようね。(あすかさん作)





○ひと口メモ

 この詩の解釈は、「昔は心(感情)のままに生きてきたが、今からは私は心を制御する、象使いが象を制御するように」という意思の表明です。この意思がなければ仏道修行は成り立たないのです。前々回に、一遍上人は法句経(ダンマパダ)でこの詩を読んでいたか問題にしましたが、仏道修行者はこの意思は当然あるのです。

 現状の自分が心(感情)のままに生きていることについて、生命は栄養(エネルギー)によって維持管理しているという観点から少し考えてみます。

 生命は心と身体から構成されています。この心と身体にそれぞれに栄養(エネルギー)が必要なのです。心に必要な栄養(エネルギー)は、触と意思と識です。(昨日のブログで説明しました。)
身体に必要は栄養(エネルギー)は物質的な食物です。生命は生きるために常にこのような栄養を求めています。しかし、心の栄養が必要なのか、身体の栄養が必要なのか明確な自覚がありません。人間が何か物質的食物を食べてるとき、それは単に物質的栄養を取り入れるだけでなく、眼、鼻、舌などで物質的栄養の色や香や味などから心の栄養も取り入れて、身体を満足させるだけでなく心も満足させているのです。

 そのような事実がありますから、例えば、さびしいなどの心が栄養(エネルギー)不足を感じると、身体は栄養(エネルギー)不足でなくとも、何かを食べて、心の不満足エネルギーを補なおうとするのです。それが欲求不満の時、間食するなどの現象です。しかし、その事実をよく理解していれば、さびしいと感じても、間食しないで、瞑想をする。瞑想は心に巨大な善いエネルギーを注入しているのです。あるいは、「生きとし生けるものは幸せでありますように」と称えて、心に慈悲のエネルギーで満たせばよいのです。それで心は栄養(エネルギー)で満たされ、満足します。

 心を正しく制御するとは、心に善い栄養(エネルギー)と注入することなのです。心を制御しないで、思いのままにまかせると、心は、ただ外部の刺激に反応して、欲や怒りや愚かさなどの感情で栄養(エネルギー)を補給してしまいます。これが従来に生き方だったのです。


○前回までのこの詩に関するブログ記事

*いにしへは心のままにしたがいぬ今は心よ我にしたがえ(一遍上人)
http://76263383.at.webry.info/200908/article_18.html

*いにしへは心のままにしたがいぬ 今は心よ我にしたがえ(一遍上人)
http://76263383.at.webry.info/200810/article_9.html
 

○パーリ語原文

326.
イダン プレー  チッタマチャーリ チャーリカン
Idaṃ   pure    cittamacāri     cārikaṃ,
この   以前は  心は 行った   徘徊を 
イェーニッチャカン ヤッタカーマン  ヤタースカン
yenicchakaṃ      yatthakāmaṃ   yathāsukhaṃ;
所へ 欲救の     好きなように   楽なように
タダッジャハン ニッガヘッサーミ ヨーニソー
Tadajjahaṃ    niggahessāmi    yoniso,
今こそ 私は  抑制しよう     根本的に
ハッティッパビンナン ヴヤー アンクサッガホー
hatthippabhinnaṃ    viya   aṅkusaggaho.
狂暴になった象を   ように  象師



〇詩のパーリ語について。100番からは正田大観先生を中心に行われました関西のダンマパダ輪読会の時の御自分のノートを参考にして、木岡治美様がわざわざ書き下ろしたものを私に送って下さいました。それを参考にさせて頂いております。


〇慈悲の瞑想

~私は幸せでありますように~
~私の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の願いごとが叶えられますように~
~私に悟りの光が現れますように~
~私は幸せでありますように(三回)~

~私の親しい人々が幸せでありますように~
~私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の親しい人々の願いごとが叶えられますように~
~私の親しい人々にも悟りの光が現れますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように(三回)~

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~

~私の嫌いな人々も幸せでありますように~
~私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の嫌いな人々の願いごとが叶えられますように~
~私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように~

~私を嫌っている人々も幸せでありますように~
~私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私を嫌っている人々の願いごとが叶えられますように~
~私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように~

~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~


(この慈悲の瞑想を唱える人には必ず幸せが訪れます。)

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この記事へのコメント

慈悲と智慧
2010年06月24日 21:47
なぜ人生はうまくいかないのか?というスマナサーラ長老の新刊は、今回のお話に関係あるかもしれません。まだ読んでいる途中ですが、いわゆる本能(マーラ)との戦いについて書いてあるようです。
参考になりそうです。
2010年06月24日 22:09
なるほどおなかのすいている心は
悪いものだろうと何だろうと
とにかく取り入れたくなるのですね。
刺激中毒とストレスによる過食
少しずつからくりが見えてきました。

口寂しい時、口が寂しいのでなく
心が寂しいのではないかとよく観察し
心だけが空腹な時には
よい栄養を摂るようにしてみます。
しょうしょう
2010年06月25日 02:44
さびしがっているこころにメッターをあたえる。
さびしいこころがほんとに必要としているのは紛らわせてくれる刺激ではなく、やさしい慈しみなのですね。
2010年06月25日 04:20
ワンギーサさん、おはようございます。

 気づきの実践で、心に悪い刺激が入らないように常に気づいている必要があると思いました。

 実践し続けるよう心がけたいと思います。

 有難うございました。
ぱん
2010年06月25日 06:29
さびしさを感じたとき、ワンギーサさんの仰るような対処法は、時間や金やエネルギーのムダが減り、人生のロスタイムが、仏道に使えるようになるなと思いました。マーラは学校帰り、仕事帰り、週末を狙っていると思うので、今週末はそのポイントを実行してゆきたいと思います。

生きとし生けるものが幸せでありますように。
トム
2010年06月25日 06:47
以前は「心のまま」に寝たり、食べたりすることが最も自然に即したことだと思っていました。そうでないことに気づいたら少し心が軽やかになってきました。
高橋優太
2010年06月25日 07:02
ワンギーサ先生、おはようございます。
昼、夜の食事をとりすぎないようにします。昨日の解説で、自分は食べ過ぎていると思いました。
まさこ
2010年06月25日 07:31

おはようございます。

何か、間食したくなったら、慈悲の瞑想してみます。
私は、ヴィパッサナー瞑想、座る瞑想をすると、すぐに寝てしまいます。真剣さが足りないのと、食べすぎも原因だったのかもしれません。
2010年06月25日 08:25
よく気づいて落ち着いている時は
自己を調教しやすいですが
混乱状態になった時はほとほと困ってしまいます。
そういった時は慈悲の冥想やお経を唱える
ようにしています。
訓練して精進するしか
無いのでしょうかね・・・
まお
2010年06月25日 11:04
いつも12時間くらい寝ているので食べ過ぎによるのでしょうか?間食はよくしますが。困ったな。どうしよう。
生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように。
こころざし
2015年10月02日 22:42
本文の「心は、ただ外部の刺激に反応して、欲や怒りや愚かさなどの感情で栄養・・補給してしまいます。これが・・生き方だったのです」を拝見して、まさにその通りだなと心より共感致しました。
世間一般で良い事・ラッキーな事というのは、欲が満たされた状態と思います。その逆もまた俗世間らしいものと感じます。
心に良いエネルギーを注入出来るように、冥想実践を行って参りたいです。

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