331~33. 困ったときに友がいるのは幸福です

ダンマパダ 第23 象の章 331,332,333

ナモー タッサ バガワトー アラハトー サンマーサンブダッサ
Namo   tassa   bhagavato   arahato    sammāsambuddhassa
阿羅漢であり正自覚者であり福運に満ちた世尊に敬礼致します


○片山一良先生訳

有事に友があるのは楽しく
いかなることにも知足は楽しい
寿命の終わりに功徳は楽しく
あらゆる苦の捨断は楽しい

この世で母への奉仕は楽しく
父への奉仕もまた楽しい
この世で沙門への奉仕は楽しく
バラモンへの奉仕もまた楽しい

戒を保つは老いまで楽しく
信が確立するは楽しい
智慧を獲得するは楽しく
もろもろの悪をなさぬは楽しい



○日常語訳

困ったときに友がいるのは幸福です
どんなことにも満足するのは幸福です
命が終わるとき福徳のあるのは幸福です
一切の苦を捨てるのは幸福です

この世で母孝行できるのは幸福です
またこの世で父孝行できるのは幸福です
この世で出家者を敬うのは幸福です
またこの世で阿羅漢を敬うのは幸福です

老いるまで道徳を守るのは幸福です
確信が揺るがないのは幸福です
智慧を得るのは幸福です
悪いことをしないのは幸福です


○子供のためのダンマパダ

何が幸福なことか知っていますか?
良い友だちがいること
なんでも満足できること
お母さんの手伝いができること
お父さんのお世話ができること
先生を尊敬できること
お年寄りを大切にできること
道徳をまもること
智慧が増えること
悪いことをしないこと




○ひと口メモ

 前々回の「この詩から学ぶこと」に、お釈迦さまはこの三つの詩で12の幸福について述べられていますとと書き始めています。当時とその理解はあまり変わりないと思いますが、前々回の文章をコピーペーストしないで、改めて書いて見ます。

1.必要な生じたとき、友がいるのは幸福です。
 この場合、友とは善友です。昨日も述べましたが、善友と付き合うことは、仏教修行のすべてなのです。善友さえいれば、仏教修行は完成できるのです。人間として生まれて、仏教修行が完成する以上の幸福はないのです。仏教修行の完成とは涅槃にいたることです。お釈迦さまは「涅槃は最高である」と仰いました。(ダンマパダ184)

2.どんなことにも満足するのは幸福です。
 どんなことにも満足している心境とはどのようなものでしょうか。なかなか想像できないとは思いますが、その時は欲しいものが何もないでしょう。何か特別したいことはないのではないかと思います。いつも今に満足して、穏やかな気持ちでいるのでしょう。それは最高の幸福と言っていいのでしょうが、欲のある私からの感覚とは異なるものだと思います。しかし、自分(?)には満足していても、回りの人々には悩み苦しくがありますから、憐れみの気持ちはあるでしょう。どんなことにも満足している人の行いは憐れみからのものでしょう。

3.命があるとき、福徳があるのは幸福です。
 福徳のある人の来世は必ず幸福です。安心して死ぬことができます。死ぬことに恐怖はありません。これが因果法則、業の法則です。これも幸福です。

4. 一切の苦を捨てるのは幸福です
 苦は煩悩によって起こることなのです。一切の苦を捨てるとは一切の煩悩を捨てることです。一切の煩悩を捨てることで、涅槃に到達するのです。ですから一切の苦を捨てることで、涅槃に到達することができ、最高の幸福に至るのです。

5.この世で母孝行できるのは幸福です
6.またこの世で父孝行できるのは幸福です
 親孝行については、ダンマパダ324番のダナパーラ象の詩で述べました。御両親が亡くなれた方は、この世ではこれからの孝行はできませんが、善行為を行って供養することはできます。
 親孝行は、子供に道徳教育をする重要な項目です。子供は親を見て道徳を覚えます。親は自分が親孝行をすること(親を敬うことが基本)によって、子供に親孝行を示すべきだと思います。

7.この世で出家者を敬うのは幸福です
 お釈迦さまの作られたサンガの比丘は、自ら修行して、教えを守り、伝えることを仕事としています。しかし、多くの比丘はまだ修行中です。まだまだ欠点や誤りがあるでしょう。しかし、在家の人以上の多くの戒律を自分に科して、修行に励んでいるのです。ですから、比丘に問題があれば注意することも必要です。しかし、お釈迦さまの教えを先頭に立って実践している人たちですから、その点を尊敬して、供養すれば、自分自身の修行の励みにもなります。比丘を敬うとうことは一人の比丘を敬うことではないのです。サンガを敬うことです。一人の比丘に問題があれば、在家の方でも修行仲間として、お互いに助言しながら、修行に励むべきなのです。

8. またこの世で阿羅漢を敬うのは幸福です
 このことは本当に幸せなことです。2600年近く仏教が正しく伝えられているのは、阿羅漢様のおかげなのです。阿羅漢様がおられなかったら、仏教は正しく伝わっていないと思います。仏教の真髄は出世間のことがら、人間の智慧を超えた智慧ですから、阿羅漢様以外には正しく、次の世代に伝えられません。阿羅漢様には感謝しきれません。
 しかし、だれが阿羅漢かということは、凡夫は判断できません。人々は勝ってにあの人は阿羅漢だと言っても、その判断はたいてい間違っています。人々は外見や噂そのような振りをする人にだまされます。ですが、本当に阿羅漢様に会えて、奉仕できればこれほど幸せなことはないでしょう。

9.老いるまで道徳を守るのは幸福です。
10.確信が揺るがないのは幸福です
11.智慧を得るのは幸福です
12.悪いことをしないのは幸福です

 9.から12.までまとめて説明します。今日はスマナサーラ長老の瞑想指導がゴータミー精舎で行われました。その中で、長老はある人の「業について質問」に次のように答えられました。「私たちは無限の過去から、現在も無数の行為を行って来ました。ですから、それらの行為によって業を蓄積しています。業には悪い業と善い業があります。悪い業は不幸になる業です。善い業は幸福になる業です。無数の業がありますけど、それらの業は条件が整わなければ結果が現れずに消えてしまうということもあるのです。それは例えば、銀行に悪い業の預金と善い業の預金をしているようなもので、パスワードで業を引き出すのです。欲や怒り嫉妬、落ち込み、自我などのパスワードを使うと、悪い業が引き出され、その人は不幸になります。逆に、慈、悲、喜、捨のパスワードを使うと、善い業が引き出され、そのパスワードを使った人は幸福になるというようなものです。ですから、業の理論を知らなくと、善行為をすれば、善い業が引き出され幸福になるということです。」

 老いるまで道徳をまもることも、確信が揺らがないことも、智慧を得ることも、悪いことをしないことも、すべて善行為です。ですから、これらは善いパスワードなのです。善い業が引き出され、その人は幸福になるのです。

 以上の詩で「第23 象の章」を終ります。


○前回までのこの詩に関するブログ記事

*友がいる満足してる徳がある苦悩なければ幸福という
http://76263383.at.webry.info/200908/article_21.html


*善友満足福徳捨苦 孝行敬出家阿羅漢 道徳確信智慧不悪行
http://76263383.at.webry.info/200810/article_12.html


○パーリ語原文

331.
アッタンヒ ジャータンヒ スカー サハーヤー
Atthamhi  jātamhi    sukhā   sahāyā,
必要な時 生じた時   幸福だ  友
トゥッティー スカー ヤー イタリータレーナ
tuṭṭhī     sukhā   yā   itarītarena;
満足は   幸福だ こと  どんなことでも
プンニャン スカー  ジーヴィタサンカヤンヒ
Puññaṃ   sukhaṃ  jīvitasaṅkhayamhi,
福徳は   幸福だ  命が尽きる時に
サッバッサ ドゥッカッサ スカー  パハーナン
sabbassa   dukkhassa  sukhaṃ  pahānaṃ.
すべての  苦の    幸福だ  捨てること
332.
スカー マテッヤター   ローケー
Sukhā  matteyyatā     loke,
幸福だ 母を敬うことは  この世で
アトー ペッテッヤター  スカー
atho   petteyyatā     sukhā;
また  父を敬うことは  幸福だ
スカー  サーマンニャター ローケー
Sukhā   sāmaññatā      loke,
幸福だ  沙門を敬うことは この世で 
アトー ブラフマンニャター  スッカー
atho   brahmaññatā      sukhā.
また  阿羅漢を敬うことは  幸福だ
333.
スカン  ヤーワ ジャラー スィーラン
Sukhaṃ  yāva   jarā    sīlaṃ,
幸福だ  まで  老年   戒を守ることは
スカー サッダー パティッティター
sukhā   saddhā  patiṭṭhitā;
幸福だ 確信が  確立している
スコー  パンニャーヤ パティラーボー
Sukho   paññāya     paṭilābho,
幸福だ  智慧を     得ることは 
パーパーナン アカラナン  スカン
pāpānaṃ     akaraṇaṃ   sukhaṃ.
諸悪を    為さないことは 幸福だ


〇詩のパーリ語について。100番からは正田大観先生を中心に行われました関西のダンマパダ輪読会の時の御自分のノートを参考にして、木岡治美様がわざわざ書き下ろしたものを私に送って下さいました。それを参考にさせて頂いております。


〇慈悲の瞑想

~私は幸せでありますように~
~私の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の願いごとが叶えられますように~
~私に悟りの光が現れますように~
~私は幸せでありますように(三回)~

~私の親しい人々が幸せでありますように~
~私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の親しい人々の願いごとが叶えられますように~
~私の親しい人々にも悟りの光が現れますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように(三回)~

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~

~私の嫌いな人々も幸せでありますように~
~私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の嫌いな人々の願いごとが叶えられますように~
~私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように~

~私を嫌っている人々も幸せでありますように~
~私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私を嫌っている人々の願いごとが叶えられますように~
~私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように~

~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~


(この慈悲の瞑想を唱える人には必ず幸せが訪れます。)

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この記事へのコメント

慈悲と智慧
2010年06月27日 22:49
私がかつて愛読していた自己啓発の本に、なるべくシンプルで短い言葉で夢など書いたカードを常に持ち歩いて、常に目に触れなさいと書いてありました。
今回の話で長老の幸福の暗証番号は慈悲であるという趣旨のお話。
私達は常に幸福の暗証番号をメモしてあるカードなどを持ち歩いた方が良いかも知れません。
【生きとし生けるものが幸せでありますように】という暗証番号は、長老のファンにはあまりにもお馴染みですが、直ぐに忘れてあれこれ妄想してしまいます。まだまだ足りないのだと思います。
正しい表現かは分かりませんが、慈悲の瞑想は野球で言えば素振りのようなもので、イチロー選手や王監督のように猛烈な量が必要なのだと思います。
慈悲の瞑想はスポーツですね。
2010年06月28日 03:47
ワンギーサさん、おはようございます。

 昨日のスマナサーラ長老の御説法のご紹介有難うございさした(幸い火曜日の経典解説には参加でき、御説法の終了後、個人的な質問などできたのですが、あいにく昨日は参加出来ませんでした)。

 親孝行かどうかわかりませんが、親の代わりに(頼まれて)銀行にいくことがあります。しかし、業に関するパスワードでは、あくまで「本人」しかアクセスできない。「本人」以外は不可能。という趣旨のことを、丸善での「パワーアップユアライフ」の講演会の際、スマナサーラ長老から伺った記憶があります。

だから、この項目を実践するしないも、幸福になる不幸になるも、それは自己責任になるのだと思います。

 「自分のため、相手のため、皆のため」という公式の具体的なお手本に、また、業にアクセスする暗証番号のお手本にしたいと思います。

 自分が幸福になることが、すなわち皆の幸福に繋がるのなら、それこそ「よかったな~」と心底思えるのだと思います。

 残された人生を無駄にしないためにも、「日々是好日」で生きたいですね。

 有難うございました。
まさこ
2010年06月28日 05:47

おはようございます。

まおさんへ

高校卒業して、まだ、3年。お若いのですね。若いときは、失敗しても許されます。今、色々なものにチャレンジするチャンスです。(年齢を重ねると、こんなこともできないのという目でみられ辛いです。)しかし、私もそうでしたが、自分の気持ちが乗らない時はダメですよね。

私も、昨日は、あまりいい1日を遅れませんでした。
今日は、頑張ります。人生7転び8起きで、お互い頑張りましょうね。
ぱん
2010年06月28日 07:18

ワンギーサさん、昨日は、私のような孤独な修行者に、声をかけていただき、ありがとうございました。「業について」の質問、ゴータミー精舎1Fで聞いてました。確か、その質問中、長老が数字を間違えていたのを、ワンギーサさんが指摘してました。すごいどうでもいい指摘だと思いましたが、長老が間違え、ワンギーサさんが指摘し、そしてブログにもそのことを書いているのも、何かの縁なのかなと、思ったりしました。生きとし生けるものが幸せでありますように。
あっきん
2010年06月28日 08:15
 おはようございます。
周りが、敵だらけだと精神的に苦しいでしょうね。
行為の結果、なかにはそういう人もいるかもしれません。(人を観察するのが好きなんだよね)人のことはさておき、自己責任において人生>時間を安全運転していければと思いました。
慈悲の瞑想はいろいろ意味のある言葉だと考えさせられます。生きとし生けるものは幸せでありますように。
ホーシノヒトリゴト
2010年06月28日 09:20
昨日は木魚様の件をお知らせいただきありがとうございました。今朝、調べていますが期日が分かりません。教えていただければありがたいのですが、よろしくお願い申し上げます。さて、しばらくぶりにブログにアクセスさせていただきました。昨日の法話と冥想指導の「業論の説教」は凡人の私にも納得のいくものでした。1年以上前からウ・コーサッラ長老のご厚意でアビダンマッタサンガハについての基礎講座を受講してきました。アビダルマを勉強したことでスマナサーラ長老の説教や今日のブログのことも理解できるようになったと思います。
この世のことはすべて因果法則によって一時的に起こる現象と言うこと、煩悩はこころのはたらき(心と心所の関係)の産物以外の何ものでもないと言うことなどが分かりました。帰りのバスの中で悪い業を引き出すパスワードは何かと考えてみました。それは14の不善心所でしょうから「貪・瞋・痴」という3ケタでしょう。「慈・悲・喜・捨」という4つのパスワードは浄心所19・離心所3・無量心所2・慧根1という心所にはたらきかけて善業預金を積極的に引き出し、楽しく、幸福に人生を過ごすための智慧だと私は理解できました。
われわれは主観で生きていますので心にはその悪癖が錆のごとくこびりついています。その悪癖(感覚作用)をヴィパッサナー冥想によって気がつき、少しずつ治し(直し)、特に中捨という心所を強くして、理性的に、客観的に、世間の概念に振り回されないで生きることが幸せな生き方だと思います。従って知識を増やすことも大切なことですが私のように身勝手で、何でも主観で理解して増やした知識は猛毒になります。私には人一倍、毒づくりの才能(妄想力)がありましたのでしばらくブログにアクセスすることを遠慮していました。以上です。
まお
2010年06月28日 12:41
まさこさん、ありがとうございます。

生きとし生けるものが幸せでありますように。
2010年06月28日 18:01
>まおさん
>まさこさん

私も勉強ばかりの学生生活を送っていました。
こうしていい言葉、いい仲間に出会えて
本当にラッキーです。
お互い幸せの道を歩んでまいりましょう。

みんなが幸せでありますように。^^
moku
2010年06月28日 20:29
ホーシノヒトリゴトさま今晩は。
ワンギーサ先生わざわざ有り難う御座いました。まさかコメントが返ってくるとは・・。無常です。

>今朝、調べていますが期日が分かりません。

ホーシノヒトリゴトさまの最初のコメントは「ホーシノハタラキ」名で2008/07/15から始まり

2008/08/21に「ホーシノヒトリゴト」名に改名され、

最後のコメントは2008/12/20 06:52
http://76263383.at.webry.info/200812/article_20.htmlです。う~んコメント解説できるかも^^?

もく魚がホーシノヒトリゴトさまのことが気になりましたのは、2010/06/25 の先生の記事のコメント欄に記したとおりです。が、人一倍の妄想力があるためブログにアクセスすることを遠慮していたとは思いませんでした。

たしかにコメントが気になるときあります(^^;;

取り急ぎお返事まで。。。
こころざし
2015年10月03日 07:58
幸福という言葉の意味を改めて確認出来ました。
尊敬出来る先生に学びの機会を頂戴しながら心が成長出来るように励み、道徳を守りながら生きとしいけるものを大切にし、智慧がつくように精進して参りたいです。

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