334~337.気づきのない行ないをする人にはつる草のように渇愛が増える

ダンマパダ 第24 渇愛の章 334~337.

ナモー タッサ バガワトー アラハトー サンマーサンブダッサ
Namo   tassa   bhagavato   arahato    sammāsambuddhassa
阿羅漢であり正自覚者であり福運に満ちた世尊に敬礼致します

○片山一良先生訳

人もし放逸に行えば
蔓草の如く渇愛がます
林に果を求める猿の如く
かれはあちこち飛び回る

世に蔓延(はびこ)るこの野卑な
渇愛に征服されるならば
かれに憂いは増す
ビーラナ草が繁る如く

世に超えがたいこの野卑な
渇愛を征服するならば
かれより憂いは消え失せる
蓮より水滴が落ちる如く

そなたらに告ぐ、幸いあれ
ここに集まるそなたらは
渇愛の根をほれ、ビーラナ草を
ウシーラ根のために掘る如く
何度も悪魔に破れるなかれ
葦が流れに破れる如く



○日常語訳

気づきのない行ないをする人には
つる草のように渇愛が増える
彼は森で猿が果実を求めるように
この世あの世を輪廻する

この世に執着する卑しい渇愛が
彼を打ち負かすならば
雨が降った後のビーラナ草のように
彼の憂いは増える

しかし、この世で克服し難い卑しい渇愛に
彼が打ち勝つならば
ハスの葉の水滴のように
彼から憂いが消え失せる

我はここに集まった汝らに説く
汝らよ、幸福であれ
ビーラナ草の根のように
渇愛の根を掘り起こせ
汝らよ、アシが流されるように
繰り返し悪魔に破壊されるな


○子供のためのダンマパダ

ほしい、ほしいと言う子は
ほしい思いが大きくなって
ほしい思いで
お腹がふくれて苦しくなるよ

ほしい、ほしいと言う子は
赤ちゃんのようで格好悪い
ほしい思いに負けるなら
いつまでも赤ちゃんのようだ

ほしい、ほしいと言わない子は
少しで満足できる
不平、不満のない
かしい子供のようだ

皆さんが幸せになるように
皆さんに教えます
ちょっと見ただけで
ほしい、ほしいと思わぬように
持っているもので満足するように
心の強い、かしい子になり
幸せになりますよ





○ひと口メモ

 今回の詩から「渇愛の章」が始まります。渇愛とは、一般にはあまり使われない言葉ですが、重要な仏教用語です。意味は「のどが渇いて水を 求めるような貪りの心」です。釈尊がお悟りになって最初の説法をまとめた「転法輪経」があります。その中で、四聖諦が述べられています。第1が「苦の聖な る真理」、第2が「苦因の聖なる真理」、第3は「苦滅の聖なる真理」、第4は「苦滅に至る聖なる真理」です。この第2の苦の原因が渇愛なのです。この「渇愛 の章」を通じて渇愛が何か具体的に明らかになります。

 さて、この詩では渇愛の核心に触れる事柄が述べられます。すなわち、「気づきのない行いをする」と渇愛が増えると述べられています。渇愛は眼で好ましい と感じると生じます。耳で好ましいと感じると生じます。鼻で好ましいと感じると生じます。舌で好ましいと感じると生じます。身体で好ましいと感じると生じ ます。意で好ましいと感じられると生じます。ですから、気づきのない行いをすると、眼耳鼻舌身意に現れた渇愛に気づけないないので、渇愛が増えることにな るのです。苦の原因の渇愛が増えるので苦が増えることになります。

 以上の説明を踏まえて、この四つの詩のやさしい超訳を試みてみます。

おいしそうなかおりがするな
メロンが乗ったケーキだ、食べたいな
前の店には、夏用ファッション
心には欲しいエネルギーが増えているのに気がつかない
死ぬ間際まで、欲しい、欲しいと思っていると
欲しいエネルギーは身体は死んでも続く

欲しい、欲しいのエネルギーは
生きたい、生きたいのエネルギーと混じり
どんどん増えるが
欲しくてもすべては得られないのが現実
生きたくとも必ず死ぬので
悩み苦しみはどんどん増える

しかし、押さえ難い欲しいエネルギーに
打ち勝つならば
ハスの葉の上の小さな水玉がポロリと落ちるように
悩み苦しみがきれいに消える

お釈迦さまは集まった人々に
次のように教えました
皆さん、幸せになってください
雑草の根を掘り起こすように
欲しい欲しいの思い渇愛を
根から掘り起こしなさい
二度と渇愛が現れないように


 以上ですが、前回、前々回のこの詩に相当するブログ記事は6本になりますが、時間のあると時、是非お読み下さい。


○前回までのこの詩に関するブログ記事

前回

*334.気づきなく果実求める猿のよう渇愛増やせば輪廻続ける
http://76263383.at.webry.info/200908/article_22.html

*335.336.執着の基の卑しき渇愛に打ち負かされて憂いが増える
http://76263383.at.webry.info/200908/article_23.html

*337.草の根を掘り起こして枯らすように渇愛抜いて幸福であれ
http://76263383.at.webry.info/200908/article_24.html

前々回

*334.気付きなく果実求める猿のよう渇愛増やせば輪廻続ける
http://76263383.at.webry.info/200810/article_13.html

*335.336.執着の基の卑しき渇愛に打ち負かされて憂いが増える
http://76263383.at.webry.info/200810/article_14.html

*337.草の根を掘り起こして枯らすように渇愛抜いて幸福であれ
http://76263383.at.webry.info/200810/article_15.html


○パーリ語原文

334.
マヌジャッサ パマッタチャーリノー
Manujassa   pamattacārino,
人間の    放逸な 行いをする
タンハー ワッダティ マールワー ヴィヤ
taṇhā    vaḍḍhati   māluvā    viya;
渇愛は  増大する  つる草   のように
ソー プラワティー フラーフラン
So   plavatī     hurāhuraṃ,
彼は 漂う      この世あの世を
パラミッチャンワ    ワナスミ  ワーナロー
phalamicchaṃva    vanasmi   vānaro.
果実を求めるように  森で    猿が

335.
ヤン エーサー サハテー ジャンミー
Yaṃ  esā     sahate    jammī,
人を この    打ち勝つ  卑しい
タンハー ローケー ヴィサッティカー
taṇhā    loke     visattikā;
渇愛が  世間に   執着して 
ソーカー タッサ パワッディンティ
Sokā    tassa   pavaḍḍhanti,
憂いが   彼らに  増大する
アビワッタンワ      ビーラナン
abhivaṭṭhaṃva      bīraṇaṃ.
雨が降った後のように ビーラナ草

336.
ヨー チェータン  サハテー ジャンミン
Yo   cetaṃ     sahate    jammiṃ,
人が しかしこの  打勝つ  卑しい
タンハン ローケー ドゥラッチャヤン
taṇhaṃ   loke    duraccayaṃ;
渇愛を  この世で 征服しがたい
ソーカー タンハー パパタンティ
Sokā    tamhā    papatanti,
憂い   彼らから  消え失せる
ウダビンドゥワ ポッカラー
udabinduva   pokkharā.
水滴のように ハスの葉の

337.
タン  ヴォー ワダーミ バッダン   ヴォー
Taṃ   vo    vadāmi  bhaddaṃ    vo,
人々に 汝らに 説く   幸福であれ 汝らよ
ヤーワンテッタ   サマーガター
yāvantettha      samāgatā;
それだけ ここに  集まった人々
タンハーヤ ムーラン カナタ
Taṇhāya    mūlaṃ  khaṇatha,
渇愛の    根を   掘り起こせ
ウスィーラットーワ ビーラナン
usīratthova      bīraṇaṃ;
根のように      ビーラナ草の
マー  ヴォー ナランワ  ソートーワ
Mā    vo    naḷaṃva   sotova,
なかれ 汝らよ 葦の    流され ように
マーロー バンジ   プナップナン
māro    bhañji    punappunaṃ.
悪魔が  破壊する 何度も


〇詩のパーリ語について。100番からは正田大観先生を中心に行われました関西のダンマパダ輪読会の時の御自分のノートを参考にして、木岡治美様がわざわざ書き下ろしたものを私に送って下さいました。それを参考にさせて頂いております。


〇慈悲の瞑想

~私は幸せでありますように~
~私の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の願いごとが叶えられますように~
~私に悟りの光が現れますように~
~私は幸せでありますように(三回)~

~私の親しい人々が幸せでありますように~
~私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の親しい人々の願いごとが叶えられますように~
~私の親しい人々にも悟りの光が現れますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように(三回)~

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~

~私の嫌いな人々も幸せでありますように~
~私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の嫌いな人々の願いごとが叶えられますように~
~私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように~

~私を嫌っている人々も幸せでありますように~
~私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私を嫌っている人々の願いごとが叶えられますように~
~私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように~

~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~


(この慈悲の瞑想を唱える人には必ず幸せが訪れます。)

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~~~~~お 知 ら せ~~~~~

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この記事へのコメント

2010年06月28日 22:21
こんばんは、煩悩小話

煩悩の種火はなにかと尋ねたら

生きることへの執着だと、答えた
2010年06月29日 03:54
ワンギーサさん、おはようございます。

 今日の詩は、前回、前々回のころに比べてとても「厳しく」感じます。

 それだけ、頭だけの理解から、実践で、そして心で実感したということだと思います。

 敵は自分自身の「怠け心」です。くれぐれも「あべこべ路線」を歩んで不幸にならぬようにしたいと思います。

 有難うございました。
ぱん
2010年06月29日 07:32
日曜日に長老から教わった実況中継によって、渇愛を、なくすよう努力します。心の草むしりに励みます。
あっきん
2010年06月29日 08:58
 おはようございます。
欲しいではなく、必要かどうか。
一ヶ月位前の事でしたが、「お好み焼きが食べたい」と思い続け今は、別にいいやと変化しました。我ながら食いしん坊だなと感じましたが、どうでもよくなるのが面白いです。感情に振り回されるのでなく、コントーロールして生きつずけたいと思う事を脱出するのが幸せと、なんとなく分かったしだいです。
生きとし生けるものは幸せでありますように。
高橋優太
2010年06月29日 17:16
ワンギーサ先生、皆様、こんばんは。
昨日、コメントした時、エラーがおこりコメントを送ることができませんでした。間違いがあったのかわかりませんが、おそらく何か見落としていたのでしょう。パソコンは苦手でついつい操作するときなど荒く不注意に使ってしまいますが、どんなときでも落ち着いて気づきがある必要を感じました。ありがとうございました。三宝に帰依いたします。一切の過ちを懺悔します。すべての生命が幸せでありますように。
2010年06月29日 20:48
「渇愛」とはよく言ったものです。

五感、いや、六感への刺激から
認知、感情…と発展する前に
キャッチして手放す。
あまりに早くて難しいです。

欲しいではなく必要かを基準に
生活するようにしてから
新発売だのなんだのをみてもきいても、
むやみに欲しくはなくなってきました。
それでも食べ物に対する執着など
まだまだだなと思う点もたくさん。

心も物も不要なものを手放し
より軽やかに生きたいものです。
2010年06月29日 21:18
本当にこの詩偈はその通りだなと思いました。

「人もし放逸に行えば 蔓草の如く渇愛がます」
『「気づきのない行いをする」と渇愛が増える』
全くそのとおりで、六つの感覚器官を防護するしか手がないと思います(根律義)。これが至難の技ですが。。。(^^;
2010年06月29日 22:33
困った時はダンマパダをワンギーサ様がコメント承認中に、開いた場合、コメントが出来なくエラーが出ます

いったんインターネットを閉じて、再度つないだときに
ワンギーサ様がコメント承認中でなければ、コメントできます

生きとし生けるものは幸せでありますように

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