296.~301.日夜ブッダに向けた気づきを実践する仏弟子は

ダンマパダ 第21 種々の章 296.~301.

ナモー タッサ バガワトー アラハトー サンマーサンブダッサ
Namo   tassa   bhagavato   arahato    sammāsambuddhassa
阿羅漢であり正自覚者であり福運に満ちた世尊に敬礼致します


○スマナサーラ長老 訳

日夜 ブッダに向けた気づきを
常に実践する仏弟子は
見事に目覚めるのです(296)

日夜 真理に向けた気づきを
常に実践する仏弟子は
見事に目覚めるのです(297)

日夜 サンガに向けた気づきを
常に実践する仏弟子は
見事に目覚めるのです(298)

日夜 身体に向けた気づきを
常に実践する仏弟子は
見事に目覚めるのです(299)

日夜 慈しみに喜びを感じる
こころを常に持つ仏弟子は
見事に目覚めるのです(300)

日夜 瞑想に喜びを感じる
こころを常に持つ仏弟子は
見事に目覚めるのです(301)



○片山一良先生 訳

ゴータマの弟子らはつねに  よく目覚め、自覚して
昼も夜もいかなるときも     念が仏に向いている(296)

ゴータマの弟子らはつねに  よく目覚め、自覚して
昼も夜もいかなるときも     念が法に向いている(297)

ゴータマの弟子らはつねに  よく目覚め、自覚して
昼も夜もいかなるときも     念が僧に向いている(298)

ゴータマの弟子らはつねに  よく目覚め、自覚して
昼も夜もいかなるときも     念が身体に向いている(299)

ゴータマの弟子らはつねに  よく目覚め、自覚して
昼も夜もいかなるときも     意が不害を楽しんでいる(300)

ゴータマの弟子らはつねに  よく目覚め、自覚して
昼も夜もいかなるときも     意が修習を楽しんでいる(301)


○子供ためのダンマパダ

お釈迦さまについていつも学んでいると
智慧と慈しみのある人間になります

世の中の法則についていつも学んでいると
智慧と慈しみのある人間になります

智慧のあるお坊さんにいつも学んでいると
智慧と慈しみのある人間になります

身体と感覚についていつも学んでいると
智慧と慈しみのある人間になります

生きとし生けるものは幸せありますようにと
いつも思っていると
智慧と慈しみのある人間になります

感情をコントロールしていつも落ち着いていると
智慧と慈しみのある人間になります





○一口メモ

 今回は296番から301番まで、いっぺんに六つの詩について述べることになりますので、盛り沢山です。これらの詩は「見事に目覚めるのです(スッパブッダン パブッジャンティ Suppabuddhaṃ  pabujjhanti )」という言葉が含まれているのです。片山一良先生の訳では「よく目覚め、自覚して」となっています。前回、前々回、私は「よく覚醒していて」と訳しました。そのように、訳せないわけではありませんが、そのような訳ですと読む人に訴えるものが明確でないのです。

 ところが、スマナサーラ長老御自身の訳がパティパダー(2009年11月号)に掲載されました。それによれば、上記のように「 見事に目覚めるのです」となっています。「ダンマパダの偈は、仏説なのです。解脱を語る教えなのです。スッパブッダン パブッジャンティ Suppabuddhaṃ  pabujjhanti とは、ものの見事に正しく目醒めるという意味です。要するに、無明を破って、覚りに達するという意味になるのです。」(上記パティパダーより) この訳の方が意味がはっきりしますから、今回はスマナサーラ長老の訳を掲載いたしました。(ちなみに、スマナサーラ長老はすべての詩の日本訳をされておりません。)

 さて、これらの296番から301番までの詩で、無明を破って、覚りに達する方法が六つ述べられています。296番は「ブッダに向けた気づきを常に実践する」ことです。仏随念といわれる瞑想法です。297番は「真理に向けた気づきを常に実践する」ことです。法随念といわれる瞑想法です。
298番は「サンガに向けた気づきを常に実践する」ことです。僧随念といわれる瞑想法です。299番は「身体に向けた気づきを常に実践する」ことです。身随念といわれる瞑想法です。300番は「慈しみに喜びを感じるこころを常に持つ」ことです。これは慈悲の瞑想です。301番は「瞑想に喜びを感じるこころを常に持つ」ことです。ヴィパッサナー瞑想などを常に行うことです。これらのそれぞれの瞑想法については、前々回のブログ記事の「この詩から学ぶこと」で解説してあります。

 一昨日、292番と293番の詩の「一口メモ」で「すべきことは何か、すべきでないことは何か」を解るためにはヴィパッサナー実践が必要であるということを書きました。また、「慈悲と智慧」さんが慈悲の瞑想も有効ではないかとコメントしてくれました。今回の詩を読むとその他にも4つ紹介されているのだと思います。自分にあった方法で無明を破り、覚りに達するようにしたいものです。


○スマナサーラ長老のこの詩に関する御説法

*昏睡状態から目覚めて生きる道~清らかなこころは最強のお守りになる~

1.仏教徒には迷信・占いなどはいりません
2.仏道の実践は最強のお守りです。
3.仏教徒の人生は順調です。
4.仏教実践に慣れた人生は解脱に向かいます。

 パティパダー(2009年11月号)の「今月の巻頭法話」に掲載されています。残念ながら、まだ日本テーラワーダ仏教協会HPにはまだアップされてませ ん。ですから、該当するパティパダーをお持ちでない方のために、スマナサーラ長老がまとめたポイントを列挙しておきました。



○前回までのこの詩に関するブログ記事

2回目
*昼も夜仏陀の弟子は覚醒し仏陀の徳を念じているよ(296.297.298.)
http://76263383.at.webry.info/200907/article_28.html

*昼も夜仏陀の弟子は覚醒し身体について念じているよ (299.)
http://76263383.at.webry.info/200907/article_29.html

*昼も夜仏陀の弟子は覚醒し不害の心を楽しんでいる(300.301.)
http://76263383.at.webry.info/200907/article_30.html


1回目
*仏陀の弟子は仏陀の九徳常に念じて定にいる(296)
http://76263383.at.webry.info/200809/article_14.html
 
*仏陀の弟子は法の六徳常に念じて定にいる(297)
http://76263383.at.webry.info/200809/article_15.html
 
*仏陀の弟子はサンガの九徳常に念じて定にいる(298)
http://76263383.at.webry.info/200809/article_16.html

* 仏陀の弟子は身体を念じて漏尽通得て解脱する(299)
http://76263383.at.webry.info/200809/article_17.html

*仏陀の弟子はよく覚めていて不害の心を楽しむよ(300)
http://76263383.at.webry.info/200809/article_18.html
 
*仏陀の弟子はよく覚めていて慈悲の心を楽しむよ(301)
http://76263383.at.webry.info/200809/article_19.html
 
 

○パーリ語原文

296.297.298.299.
スッパブッダン パブッジャンティ
Suppabuddhaṃ  pabujjhanti,
よく目覚めて  目覚めている
サダー ゴータマサーワカー
sadā    gotamasāvakā;
常に   ゴータマの弟子は
イェーサン ディワー チャ ラットー チャ
Yesaṃ     divā    ca   ratto   ca,
彼らは    昼     も   夜   も
ニッチャン ブッダガター(ダンマガター  サンガガター  カーヤガター)      
niccaṃ    buddhagatā ( dhammagatā ,  saṅghagatā ,  kāyagatā  )        
常に     ブッダを    真理を      サンガを    身体を
サティ
sati.
念じている

300.301.
スッパブッダン パブッジャンティ
Suppabuddhaṃ  pabujjhanti,
よく目覚めて  目覚めている
サダー ゴータマサーワカー
sadā   gotamasāvakā;
常に  ゴータマの弟子は
イェーサン ディワー チャ ラットー チャ
Yesaṃ     divā    ca   ratto   ca,
彼らは    昼     も   夜   も
アヒンサーヤ (バーワナーヤ) ラトー マノー
ahiṃsāya    (bhāvanāya)   rato   mano.
不害の     瞑想の      楽しむ 心で


〇詩のパーリ語について。100番からは正田大観先生を中心に行われました関西のダンマパダ輪読会の時の御自分のノートを参考にして、木岡治美様がわざわざ書き下ろしたものを私に送って下さいました。それを参考にさせて頂いております。

〇慈悲の瞑想

~私は幸せでありますように~
~私の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の願いごとが叶えられますように~
~私に悟りの光が現れますように~
~私は幸せでありますように(三回)~

~私の親しい人々が幸せでありますように~
~私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の親しい人々の願いごとが叶えられますように~
~私の親しい人々にも悟りの光が現れますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように(三回)~

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~

~私の嫌いな人々も幸せでありますように~
~私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の嫌いな人々の願いごとが叶えられますように~
~私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように~

~私を嫌っている人々も幸せでありますように~
~私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私を嫌っている人々の願いごとが叶えられますように~
~私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように~

~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~


(この慈悲の瞑想を唱える人には必ず幸せが訪れます。)

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この記事へのコメント

2010年06月07日 04:17
ワンギーサさん、おはようございます。

 仏随念、法随念、僧随念にはあまり興味がありませんでした。


 私は大の宗教嫌いで、これは迷信、呪文、ただの気休めではないか?という気持ちがあったからです。

 しかし、スマナサーラ長老の御説法を読んでみて(以前読んでなかったようです)、「これは宗教的迷信ではない」ということがある程度出来たので、今後取り組んでみよう!という気持ちになりました!

 有難うございました。
チューラパンタカ
2010年06月07日 06:51
御経読むと、こころが、清らかなんですかね

電車によく乗るのですが、お経を、本を読みながら、頭のなかで読んでるのですが、知らぬ間に気持ち良くて、鼻歌みたいに声に出てるんですね

気づくと周りの人は、ほほえましく私の事を見てる時があるのですね

やさしいかおをしてるのかな
ぱん
2010年06月07日 10:03
お忙しいところ申し訳ありませんが、
ワンギーサさんに質問です。

質問
「なぜ、慈悲の瞑想よりも、ヴィパッサナー瞑想の方が、短期間で悟れるのか。」

慈悲の瞑想で悟れることは、『慈経』の由来などでわかります。
雨安居期間の約三ヶ月間、この瞑想に一日中取り組み、
500人が阿羅漢になったと、『慈経』の由来にあります。
スマナサーラ長老も、『慈経~ブッダの「慈しみ」は愛を越える』
のP130~131に「『慈悲の瞑想』は取り組み方次第で、
最終的な解脱まで進める、素晴らしい瞑想なのです。」
と書いているそうです。

ヴィパッサナー瞑想で悟れることは、
片山一良訳の『念処経』や片山一良訳の『大念処経』に、
「これら四の念処をこのようにして、七日間修習するならば、
二の果報のうちいずれかの果報が期待されます。」
と書かれているとワンギーサさんが教えてくださいました。
また、スマナサーラ長老は『現代人のための瞑想法』の、
138ページに、「『ヴィパッサナー瞑想』を、
だいたい一日十二時間から十五時間ぐらい実践すれば、
二週間ほどで悟りの世界がわかるはずです。」と書いています。

どちらも、一日中やればという条件付ですが、
一日中やるのは慈悲の瞑想もヴィパッサナー瞑想も、
同じくらいむずかしいはずなのに、
なぜこれだけ結果が出る早さに違いがあるのか。
気になったので質問させていただきました。
2010年06月07日 12:06
ぱんさんへ。
上記のような質問をする暇があったら、どちらでもよいから実践して下さいと言いたいのです。
実はこの返事もしないままにおきたかったのですが、老婆心で答えました。
2010年06月07日 16:06
今回は本当に盛りだくさんですね。
この時間までかかって
やっぱりまだ消化不良です。^^;

無理してわかったつもりになるより
ステップが進んでから
見直した方がよいのでは。
しばらくしてから読み直します。
慈悲と智慧
2010年06月07日 21:20
切り替えも大事です。
上手くいかなかったというのは厳しく言えば言い訳なんです。
本当は出来たはずなのに出来なかったというのは単なる負け惜しみあり、自我の仕業です。事実は出来なかったのです。それを素直に認めないで執着すると自我が高まるだけなのです。
しかし、執着などしている場合ではなく、今一秒、泣きながらでも切り替えて善処すべきなのでしょう。
ぱん
2010年06月07日 21:26
ワンギーサさんの、叱咤激励のおかげで今日は八時間、ヴィパッサナー瞑想を実践することができました。

ありがとうございました。
こころざし
2015年09月26日 07:47
スマナサーラ長老・ワンギーサ長老から学びの機会を頂戴しながら、慈悲やヴイパッサナー冥想をしていく事の大切さを再認識しました。
現在暇を感じるような機会は思い出せないくらいありません。常にサティしながら目覚めれるように努めたいです。

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