345.346.鉄製、木製、麻製のかせを強固な拘束と賢者は言わない

ダンマパダ 第24 渇愛の章 345,346

ナモー タッサ バガワトー アラハトー サンマーサンブダッサ
Namo   tassa   bhagavato   arahato    sammāsambuddhassa
阿羅漢であり正自覚者であり福運に満ちた世尊に敬礼致します


○片山一良先生訳

「鉄、木、パッバジャ草の縛りは
堅固ならず」と賢者らは言う
しかし「宝石・耳輪への執着
妻子に対する執着こそが

重い、徐々の、解きがたい
堅固な縛り」と賢者らは言う
これをも断ち切り、愛着がなく
欲楽を捨て、かれらは出家す



○日常語訳

鉄製、木製、麻製のかせを
強固な拘束と賢者は言わない
宝石や耳飾への執着と
子供や妻への愛情は

引力のある、ゆるやかだが
強固な拘束だと賢者は言う
これさえも断ち切って賢者は遊行する
求めることなく、愛欲と快楽を捨てて


○子供のためのダンマパダ

野生の動物は
おりに入れられると
何とか逃げ出そうとして
逃げてしまうことがあります

けれども、人間が野生動物の
子供を捕まえていると
おりがなくとも
逃げて行けないのです





○ひと口メモ

 物質の法則と心の法則とは似ているものとまったく、違っているものがあります。幾つかを取り上げて、検討してみましょう。

 物理法則に、作用反作用の法則、慣性の法則がありますが、これらなどは心の法則と似ています。作用反作用の法則はある物体にある力を加えると、同じ大きさの力が反対の方向に返ってくるというものです。心の法則では、ある人に怒りをぶつけると、反対にその人から怒りが返ってきます。ある人に慈しみの心を向けると、その人から慈しみの心が返ってきます。もちろん、心は自由意志がありますから、いつでもそのようには行かないのですが、そのような傾向があるということです。

 慣性の法則とは、ある物体に新たな力が加わらない限り、その物体は同じ運動を続けるというものです。心にも似たような法則があります。良い習慣をつけると、善い習慣を続けられ、悪い習慣が続くのです。心の場合は、善い習慣はつきにくく、悪い習慣はつきやすいという特徴があります。

 分配の法則(これは私が勝ってに命名したものです)については、物質と心ではまったく逆の現象が現れます。物質は分配するとその量が減少しますが、心を分配するとその量が増えます。
これは善い心の場合でも、悪い心の場合でも同様です。例えば、ある人がお布施をして善かったなと喜び、他の人もそれは善かったですねと喜べば、喜びは倍になり増加するのです、さらに他の人がそのことを知って喜べば、喜びはさらに増加するのです。物質は分配するとその量は減少するが、喜びは分配すると増加します。

 悪い心も分配すると増加します。ある人が怒りを持ち、その怒りを他の人にぶつけると他の人も怒りを持ちます。また他の人がまた他の他の人に怒りをぶつけると、その人も怒りを持ちます。怒りは分配されるとどんどん増加するのです。気をつけなけれなりません。

 さて、前置きが長くなりすぎましたが、今回の詩の場合は、「不自由の法則(これも私の命名です)が適応されます。この法則は次の通りです。「人間は物質的不自由は取り除こうとするが、心的不自由は、取り除こうとしないばかりか、それに執着する。」というものです。

 人間を拘束するものとして、物質的なものと、心的のものがあります。物質的な不自由として、鉄、木、パッバジャ草の縛りの例があげられていますが、人間はこれらからの不自由からは逃れようしますから、何とか逃れることができるのです。しかし、心的な不自由、宝石・耳輪や妻子などについては、宝石・耳輪も心的な不自由です。人間はそれに執着しているのですから。そこから逃れようとしてないのです。ですから、その不自由から逃れるわけには行かないのです。
(はじめに掲載後に少し修正しました。)

 少し分かりにくいかもしれませんが、人間は物質的な拘束からは逃れようとするが、心的な拘束には逃れようとしないばかりか、それに執着するのだと言いたいのです。ですから堅固な縛りなのです。
 

○前回までのブログ記事

*財産や子供と妻が強い枷賢者は捨てて諸国をめぐる
http://76263383.at.webry.info/200908/article_29.html

*財産や子や妻への執着捨てて賢者遊行する
http://76263383.at.webry.info/200810/article_20.html
 

○パーリ語原文

345.
ナ   タン  ダルハン バンダナマーフ ディーラー
Na   taṃ   daḷhaṃ   bandhanamāhu   dhīrā,
ない それを 強固な   拘束と  言う  賢者は
ヤダーヤサン ダールジャン バッバジャン チャ
yadāyasaṃ    dārujam    babbajañ    ca ;
その 鉄製の  木製の     麻の      しかし 
サーラッタラッター マニクンダレース
Sārattarattā       maṇikuṇḍalesu,
執着         宝石や耳飾りに対する
プッテース   ダーレース チャ ヤー アペッカー
puttesu      dāresu     ca   yā   apekkhā.
子供に対する 妻に対する 又  およそ 愛情が
346.
エータン ダルハン バンダナマーフ ディーラー
Etaṃ    daḷhaṃ   bandhanamāhu  dhīrā,
それを   強固な  拘束と  言う  賢者は   
オーハーリナン スィティラン ドゥッパムンチャン
ohārinaṃ      sithilaṃ    duppamuñcaṃ;
重く        緩やかな   解脱し難い
エータンピ チェトゥワーナ パリッバジャンティ
Etampi    chetvāna     paribbajanti,
これさえも  断ち切り    遊行する
アナペッキノー カーマスカン パハーヤ
anapekkhino   kāmasukhaṃ  pahāya.
求めることなく  愛欲と楽を  捨てて


〇詩のパーリ語について。100番からは正田大観先生を中心に行われました関西のダンマパダ輪読会の時の御自分のノートを参考にして、木岡治美様がわざわざ書き下ろしたものを私に送って下さいました。それを参考にさせて頂いております。


〇慈悲の瞑想

~私は幸せでありますように~
~私の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の願いごとが叶えられますように~
~私に悟りの光が現れますように~
~私は幸せでありますように(三回)~

~私の親しい人々が幸せでありますように~
~私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の親しい人々の願いごとが叶えられますように~
~私の親しい人々にも悟りの光が現れますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように(三回)~

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~

~私の嫌いな人々も幸せでありますように~
~私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の嫌いな人々の願いごとが叶えられますように~
~私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように~

~私を嫌っている人々も幸せでありますように~
~私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私を嫌っている人々の願いごとが叶えられますように~
~私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように~

~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~


(この慈悲の瞑想を唱える人には必ず幸せが訪れます。)

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~~~~~お 知 ら せ~~~~~

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この記事へのコメント

2010年07月01日 21:02
仕事、家庭、は確かに依存しています

どんなにごまかそうとしても、依存はしてます

好き勝手に暮していても、困った時は、親、兄弟、お医者様等に頼ります

2010年07月01日 21:12
この詩偈と確か似たようなお話が、増支部か相応部にもあったと思いますが、本当にそのとおりだと思われます。
在家がなかなか出家出来ないのも、これが一因だとも思いました。m( )m
2010年07月02日 04:06
ワンギーサさん、おはようございます。

 後半部分ですが、テーラワーダの教えに出会う前は、「人間には自由意思がある」と思い込んでました。例えば、恋愛対象も自分の意思でどうにでもなると思ってました。しかし、実際には、勝手に好きになったり嫌いになったりしてました。

 だから、まず「心の不自由に対しての自覚」がなかった、薄かったと言えます。

 仏教を学んで「怒らない」ようにしようとしても、「ついつい怒って」しまったりします。これは、不自由のひとつでしょうか。

 今朝、「性的な夢」をみてしまいましたが、これも「意のレベル」での不自由のひとつでしょうか。性的な関係は事実上、現在ないからです。そして、ないことに関しては意思でそうしているにもかかわらず。だからです。

有難うございました。
まさこ
2010年07月02日 06:24

おはようございます。

今まで、めいっぱい食べていたのに、いきなり、腹6分は無理ですね。腹8分から始めます。

それで、できなくて、後悔しちゃうと悪業になってしまうから、後悔はしない。アドバイスありがとうございました。何か食べたいと思ったときに、ほんの少し、我慢できれば、食べたい気持ちが消えて行くのですね。

今日のお話、人っていろいろなものに拘束されているのですね。何も考えず、毎日、生きてるのですが、がんじがらめなのですね。
ぱん
2010年07月02日 06:50
「しかし気を付けないといけない。恋は罪悪なんだから。私の所では満足が得られない代りに危険もないが、――君、黒い長い髪で縛られた時の心持を知っていますか」と夏目漱石は『こころ』という小説に書いています。ブッダや文豪が、その怖さを説いた心的な拘束に対して、注意深くありたいと思いました。
2010年07月02日 12:09
心はあかり

1本のろうそくの火。
隣の人にもつけてあげると
明るさは半分になるのではなく
2倍になる。

心はこの火のようなもの。
幸せを分けてあげると
幸せが半分になるのではなく
2倍になる。

心のキャンドルサービスを
いたしましょう。^^
阿部法田
2010年07月02日 18:04
パティパダー2004、8月号に貴師の出家理由が掲載され特に理由三は大いに同感し拝読いたしました。そこで理由四ですが親子夫婦はそれぞれ自立しお互いに依存関係がなくなれば比丘出家は可能でしょうが、
ただ夫婦の場合まったく夫婦関係を戒律にもとずき解消しても離婚届けをだすのは社会的に相手に対してそうとうの不利益が有るとも考えられますが貴師はいかがされましたか?私は五十四歳になる高知県宿毛市の山奥の小寺の住職です。諸師につき長く真言宗教理と密教修法、大乗諸学の研鑽に努めて来ましたが、スマナサーラ長老に出会い、それら全てが成り立たないものと解り、清々しい気持ちさえしております。山口誓教寺へは毎回家内と二人で参加し長老のご指導を頂いております。お忙しいところ恐縮ですがご教導いただければ幸いです。合掌
慈悲と智慧
2010年07月02日 18:52
以前にワンギーサさんが紹介されたスマナサーラ長老の法話です。
悟れないのはなぜ?
 ~こころに「怠け」という病がある~
 Why procrastinate?
http://www.j-theravada.net/howa/howa164.html

スマナサーラ長老の本のレビュー
僕もなぜ人生は、うまくいかないのか?はお薦めしたいですね。
http://d.hatena.ne.jp/ajita/20100702/p1
ワンギーサ
2010年07月02日 19:38
阿部法田様、コメントありがとうございます。
要点のみをお答えいたします。スマナサーラ長老とも相談の上、私は戒律に基づいて夫婦の関係を解消して出家いたしました。
法律上の離婚届けは、あなたの御心配のように相手に対して社会的な不利がありますので出しておりません。
スリランカでは妻帯者の出家には、法律上も離婚届けを出して出家する場合と、離婚届けを出さずに出家する場合があるそうです。
高橋優太
2010年07月02日 21:15
ワンギーサ先生、皆様、こんばんは。
今日、スマナサーラ長老ご解説の沙門果経を購入しました。

心の分配法則は興味深いです。自他を区別する気持ち、わがままを克服して、慈悲の気持ちで生活するようになりたいです。
ありがとうございました。幸せでありますように。
こころざし
2015年10月05日 07:26
物質的な不自由はお金+手間暇かけて、段々とでも必要なものを揃えていくように思います。
心の不自由は、それ自体に気がつかない・内を見ようとはせずに外に外に・・と言ってしまう方も多いように感じます。
自分の心の観察をし、そして心の不自由を取り除けるように努めたいです。

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