347. 貪欲に染まった人たちは流れに落ちる、蜘蛛が自分の作った網に逃げ込むように

ダンマパダ 第24 渇愛の章 347


ナモー タッサ バガワトー アラハトー サンマーサンブダッサ
Namo   tassa   bhagavato   arahato    sammāsambuddhassa
阿羅漢であり正自覚者であり福運に満ちた世尊に敬礼致します


○片山一良先生訳

貪染(とんせん)の者は流に従う
自作の網の蜘蛛に似て
これをも断ち切り、賢者らは行く
一切苦を捨て、愛着がなく



○日常語訳

貪欲に染まった人たちは流れに落ちる
蜘蛛が自分の作った網に逃げ込むように
賢者たちはこれさえも断ち切って
求めることなく一切の苦を捨てて進む


○子供のためのダンマパダ

大切なものが悩みや心配の原因です
クモは自分の巣が大切です
クモが自分の巣を断ち切るように
かしこい人は悩みや心配をなくすため
大切なものを捨てるのです





○ひと口メモ

 昨日、スマナサーラ長老著「日本人が知らないブッダの話~お釈迦さまの生涯の意外な真相」という本が「学研」から発売されました。この本は、ブッダの生涯を語りながら、仏教の大切なポイントを教えている面白く、ためになる大変よい本です。この中に仏弟子たちという章があり、比丘尼の代表、ケーマーとウッパラワンナーについて書かれていました。374番はこのケーマーにちなむ詩なのです。

 マガダ国のケーマー王妃は大変美しく、常に美しいものに憧れ、大切にする女性でした。しかし、ブッダに帰依する夫のビンビサーラ王の勧めにもかかわらず、ブッダに会うことをためらっていました。なぜならば、ブッダは女性の美しさを評価しないと聞いていたからです。

 しかし、ビンビサーラ王がブッダのおられる僧院の美しさ、すばらしさを詩で伝えたために、僧院を訪れることにしました。そのことを知ったブッダは神通力で御自分のそばにケーマー王妃より数倍美しい美少女の幻影を座らせました。ケーマー王妃はそれを見て、「私の美しさなど、あの少女にくらべたら到底およばない。」と思いました。しかし、しばらくすると、少女は少し年をとり、成人に、さらに中年に、そしてしわだらけの老婆に変化し、最後には死体になって、死骸には蛆虫が群がっていました。この一瞬の出来事に王妃はショックを受け、「人間の肉体は永遠に続くものではない。女性の美しさとは、なんとはかないものであるか。」と強く実感したのでした。

 ブッダは王妃の心の動きを察知され、次のような詩をと唱えられました。

ケーマーよ、病み、腐敗した
不浄にして、愚者らが求める
漏れ出し、流れ出している
身の集まりを見るがよい

 この詩が終ると、王妃は預流果(悟りの第一段階)になりました。そこで、ブッダは「ケーマーよ、人々は貪り、怒り、愚かさに汚れ、自己の渇愛の流れを超えることができず、そこに執着いるのです。」と言われ、今回の347番の詩を唱えたということです。そして、この説法の終わりに、ケーマー王妃は阿羅漢果(悟りの第四段階、悟りの完成)を得て、出家して比丘尼になることになりました。

 自分の一番大切に思っているもの、ケーマー王妃の場合には、美しさでしたが、それの無意味さを智慧で知ったとき、それを捨てることができます。その時、悟りが実現するようです。自分の大切なものを無理に捨てることではありません。そんなことをしても、あまり意味がありません。智慧の力で、真実が洞察できたときに、捨てることができるのです。


○前回までのこの詩に関するブログ記事

*貪欲に染まった人は蜘蛛の巣に逃げ込むのだが断ち切り進め
http://76263383.at.webry.info/200908/article_30.html

* 貪欲に染まった人は蜘蛛の巣にからまるが賢者断ちて進む
http://76263383.at.webry.info/200810/article_21.html
 

○パーリ語原文

347.
イェー   ラーガラッターヌパタンティ ソータン
Ye      rāgarattānupatanti        sotaṃ,
人たちは 貪欲に染まった 落ちる    流に
サヤンカタン マッカタコーワ  ジャーラン
sayaṃkataṃ   makkaṭakova   jālaṃ;
自分で作った 蜘蛛の ように  網に
エータンピ チェートゥワーナ ワジャンティ ディーラ
Etampi    chetvāna       vajanti     dhīrā,
これさえも  断ち切り      行く      賢者は  
アナペッキノー サッバドゥッカン パハーヤ
anapekkhino   sabbadukkhaṃ   pahāya.
求めることなく  すべての苦を  捨てて

〇詩のパーリ語について。100番からは正田大観先生を中心に行われました関西のダンマパダ輪読会の時の御自分のノートを参考にして、木岡治美様がわざわざ書き下ろしたものを私に送って下さいました。それを参考にさせて頂いております。


〇慈悲の瞑想

~私は幸せでありますように~
~私の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の願いごとが叶えられますように~
~私に悟りの光が現れますように~
~私は幸せでありますように(三回)~

~私の親しい人々が幸せでありますように~
~私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の親しい人々の願いごとが叶えられますように~
~私の親しい人々にも悟りの光が現れますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように(三回)~

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~

~私の嫌いな人々も幸せでありますように~
~私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の嫌いな人々の願いごとが叶えられますように~
~私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように~

~私を嫌っている人々も幸せでありますように~
~私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私を嫌っている人々の願いごとが叶えられますように~
~私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように~

~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~


(この慈悲の瞑想を唱える人には必ず幸せが訪れます。)

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~~~~~お 知 ら せ~~~~~

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この記事へのコメント

2010年07月03日 05:01
ワンギーサさん、おはようございます。

 スマナサーラ長老の著書の紹介有難うございました。近日中に購入する予定です。


 昨日の「物質と心の法則」に着目すると、何故、このような話しに共感できるのかの謎のひとつが解けた気がします。

 今も昔も人々には「執着」があり、更に執着の対象、例えば肉体への執着なども相変わらずなのだと思いました。

 私達がお釈迦様の生き方や、当時の人々の「悩み、苦しみ」に共感できるのもそのためかもしれません。

 こうして「ダンマパダ」から現在学べることが証拠のひとつだと思いますが、やるべきことは、お釈迦様の発見された「苦を乗り越える道」を現代に生きる私達が実際して、幸福に至ることだと思います。

 「心の法則」が普遍、不変であるならば、方法に従って実践さえすれば、苦しみをなくせるので、それは実に有り難い話しだと思います。

有難うございました。
2010年07月03日 06:08
生きたいと思おうが、生きたくないと思おうが、今は生きている自分がいます。

その生きている、自分がなにをするかを、自分で決めれるようなこころを作りたいです

生きとし生けるものは幸せでありますように
2010年07月03日 07:57
『日本人が知らないブッダの話』
読むのが楽しみです。^^
あっきん
2010年07月03日 10:52
おはようございます。
 私にとって大切な物を考えました。やっぱり執着してました。気が付いてないで、本物の自由はまだのようです・・そしてなによりも智慧の大切さを感じました。
生きとし生けるものは幸せでありますように。
阿部法田
2010年07月03日 12:25
ワンギーサ比丘様
昨日は早速ご返信頂きありがとうございました。
貴重なご教示、感謝いたします。
合掌
慈悲と智慧
2010年07月03日 13:37
紹介されていた学研の本は、書店に並ぶのは各書店にもよりますが、もうちょっと掛かるようです。

繰り返しで恐縮ですが、個人的になぜ人生はうまくいかないのかという長老の本もオススメです。

まお
2010年07月03日 14:39
自分の体に執着してはいけませんね。体は少しづつ死んでいきますし、私からすると腐っていくのではないかと思います。

「パワーアップユアライフ」を読んでいるのですが、なんだかよくわかりません。

生きとし生けるものに悟りの光が現れますように。
こころざし
2015年10月05日 07:38
大切に思うものを守ろうとして、「執着している」事自体に気がつかない事も珍しくない中で、取りつかれている状況は日常的にあると思います。
大切なものに執着するのではなく、捨てれるように智慧を身につけて参りたいです。

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