353.私は全知者、全征服者なり

ダンマパダ 第24 渇愛の章 353


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              お知らせ

 この2010年7月9日(金)(今日ではありません。)に、「第24 渇愛の章」の356番から359番の詩の掲載を持ちまして、この章を終了すると同時に、このブログ「困った時はダンマパダ」を終了いたします。その理由は、ブログ開設者であるワンギーサが、今年の雨安居(うあんご)をスリランカの瞑想道場で行うことに致したためでございます。

 思い起こせば、2008年6月21日にこのブログを開設でありました。始まりの詩は、173番のアングリマーラ長老にちなむものでありました。あれから約二年間、ダンマパダには423の詩がありますが、どの詩についても2回か3回解説のようなものを書きました。その目的は、ブッダの智慧の詩集である「ダンマパダ」を日本人に普及するためでありました。その目的の達成までにはまだまだ道のりですが、スリランカでの雨安居を契機に、この目的について再考し、あらたな出発を考えたいと思っております。

 長い間の皆様のご愛読を深く感謝申し上げます。また、新米のブログ作者としては自分が書いたものが、皆様にどう受け止められたのか気になりました。その際、コメントしてくださる方は大変ありがたいものでした。初めて、コメントして下さった方はワタナベさんです。次はホーシノハタラキ(ホーシノヒトリゴト)さんです。はじめは、 ホーシノハタラキさんのコメントに励まされて続けてきました。それから、3ヶ月ほどして新さんが登場です。途中でホーシノヒトリゴトさんは引退されましたが、その後も新さんは、一日も休まずコメントをしてくれました。新さんと真剣勝負のつもりでブログを書いて参りました。ホーシノヒトリゴトさんと新さんには表彰状を差し上げたい気持ちです。大変ありがとうございました。

 7月9日以後はこのブログの更新は致しませんが、ブログ自体は残しておきますので、このブログを活用して、ダンマパダの勉強や仏教の勉強の資料にしていただければ大変ありがたいことです。尚、7月15日までは、コメントを受付ますが、それ以後のコメントの受付は致しませんので御了承下さい。私宛てのメールも読むことができないと思いますので、11月下旬までメールもお休みいたします。


 最後に皆さんに一つお願いがあります。それは、今までに一度でもコメントして下さった方々は最後にもう一度だけ感想のコメントをお願い致します。また、一度もコメントされなかった方、是非最後に一度だけ一言で結構ですから、感想のコメントをお願いいたします。



皆様に三宝の御加護がありますように
皆様が幸せでありますように
皆様の修行が進み涅槃に達せられますように
生きとし生けるものが幸せでありますように

仏暦2554年(西暦2010年)7月6日
ワンギーサ

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ナモー タッサ バガワトー アラハトー サンマーサンブダッサ
Namo   tassa   bhagavato   arahato    sammāsambuddhassa
阿羅漢であり正自覚者であり福運に満ちた世尊に敬礼致します

○片山一良先生訳

私は全知者、全征服者なり
いかなる法にも染まりえず
愛尽解脱者(あいじんげだつしゃ)、全捨断者(ぜんしゃだんしゃ)なり
自ら知るゆえ、誰を指定す



○日常語訳

私はすべてに勝利した者であり、すべてを知る者であり
すべての事柄に執着しない者であり
すべてを捨てた者あり、渇愛の滅尽で解脱した者である
自ら悟ったので、だれを師と言えるだろうか


○子供ためのダンマパダ

お釈迦さまは、すべてに勝ち、すべてを知った人です
どんなものもほしいとは思いません
すべてを捨てて、悟った人です
自分で修行を完成したので、先生はいません





○ひと口メモ

 この詩の言葉はお釈迦さまが次のような状況の下で仰られたものであります。お釈迦さまがブッダガヤの菩提樹の下で最高の悟りを開き、その発見した真理を以前共に修行した5人の仲間に教えるためにバーラーナシヤに向かう途中で邪教修行者のウパカに会いました。

 ウパカはお釈迦さまを見て次のように言いました。「友よ、あなたの感官は清浄です。あなたの皮膚の色は清浄で美しい。あなたは誰のもとで出家したのですか。誰 があなたの師なのですか。あなたはだれの教えを受け入れているのですか。」 それに対してお釈迦さまは上の詩で応えられました。

 ウパカはお釈迦さまのこの言葉があまりに高邁に過ぎて、理解できずに、頭を振り、別の道を去っていきました。 (南伝大蔵経 3巻14,15ページ)

 この詩はお釈迦さまの勝利宣言とも言うべきもので、私にも高邁に過ぎて、私もウパカと同じように、頭を振り、筆が止まるのではありますが、出来るだけの説明をしましょう。

  「私はすべてに勝利した者あり」は、お釈迦さまが城を出て真理探求の修行を始めて以降の戦いを背景しての言葉ですから、この短いスペースでは語り尽くせないので す。最終戦としての悟りを妨害する悪魔の大軍にも勝利します。悪魔の大軍とは貪欲、怒り、渇愛、惛沈、睡眠、恐れ、疑い、慢心、無明の軍勢です。

 「すべてを知る者あり」は、南伝大蔵経15巻(相応部経典4)26ページに「一切」というお経はあります。いろいろ説はありますが、私は今はこのお経により理解しております。

 「比丘たちよ、私はなんじたちに一切について説こう。これをよく聞け。一切とは、眼と色である。耳と声である。鼻と香である。舌と味である。身と触である。意と法である。比丘たちよ。これらを一切という。
 もし、これ以外に、一切を定義しようとするものがいても、それでは問題に対して、答えを出すことが出来ないばかりか、さらに困難にあうだけである。なぜであろうか。それはありもしないものを語っておるからである。」

 私たちが知りえるすべての情報は、六処からであります。そのため一切とは六処にあると考えるのが合理的です。

 以上のように理解すると当然、「すべての事柄に執着しない者あり」は六処それぞれに執着しないことです。六処に情報が触れることから感覚が生じ、渇愛が生まれ、執着が生まれます。これらに執着のない者は汚れのない清浄なものなのです。

 「すべてを捨てた者あり」は、世俗的な価値のあるもの、財産、地位、名誉、家族などへの執着をすべて捨てたとも取れますが、六処を捨てるとも理解できま す。そのような考え方が、上に引用した「一切」というお経の次の「捨棄」というお経に書いてあります。(南伝大蔵経 15巻 26ページ)

 お釈迦さまは渇愛を滅尽して、執着を完全になくしたので、解脱し、涅槃に達しました。そかも、それを誰から教わることなく、自らの力で達成しました。ですから、「自ら悟ったので、だれを(師)と言えるだろうか」、自分には師匠はいないのだと宣言されるのです。

 最高の悟りに達した聖者には、仏陀と独覚と阿羅漢がありますが、仏陀と独覚は師なくして悟った人です。仏陀は他の人を悟りまで指導でできますが、独覚は他の人を指導できません。阿羅漢は仏陀の指導で悟った人です。お釈迦さまは天人の師たる正覚者たる仏陀なのです。


○前回までのこの詩に関するブログ記事

*勝利してすべて知る者捨てた者自ら悟り師匠はいない
http://76263383.at.webry.info/200909/article_1.html

*勝利してすべて知る者捨てた者自ら悟り師匠はいない
http://76263383.at.webry.info/200810/article_25.html
 

○パーリ語原文

353.
サバービブー     サッバヴィドゥーハマスミ
Sabbābhibhū       sabbavidūhamasmi,
一切に打ち勝った者 一切知者 私は です
サッベース ダンメース   アヌーパリットー
sabbesu    dhammesu   anūpalitto;
一切の    法において 執着のない者
サッバンジャホー タンハッカイェー ヴィムットー
Sabbañjaho     taṇhakkhaye     vimutto,
一切を捨てた者 渇愛を滅尽し    解脱した者
サヤン アビンニャーヤ カムッディセッヤン
sayaṃ  abhiññāya     kamuddiseyyaṃ.
自分で 熟知して    誰を 言うことができるか



〇詩のパーリ語について。100番からは正田大観先生を中心に行われました関西のダンマパダ輪読会の時の御自分のノートを参考にして、木岡治美様がわざわざ書き下ろしたものを私に送って下さいました。それを参考にさせて頂いております。


〇慈悲の瞑想

~私は幸せでありますように~
~私の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の願いごとが叶えられますように~
~私に悟りの光が現れますように~
~私は幸せでありますように(三回)~

~私の親しい人々が幸せでありますように~
~私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の親しい人々の願いごとが叶えられますように~
~私の親しい人々にも悟りの光が現れますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように(三回)~

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~

~私の嫌いな人々も幸せでありますように~
~私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の嫌いな人々の願いごとが叶えられますように~
~私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように~

~私を嫌っている人々も幸せでありますように~
~私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私を嫌っている人々の願いごとが叶えられますように~
~私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように~

~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~

(この慈悲の瞑想を唱える人には必ず幸せが訪れます。)


この記事へのコメント

チヨ
2010年07月06日 21:23
ワンギーサさん、そうでしたか、このブログの最終回ですか。(しみじみ。。)毎日とてもありがたく読んでいました。この機会に改めてお礼申し上げます。毎日毎日ありがとうございました。それからアドバイスもありがとうございました。あたたかく心にしみました。お気をつけてスリランカへいらっしゃってください。またいつかどこかで。
もも太郎
2010年07月06日 21:26
大善智識、ありがとうございました。
管理人さんもお元気で。また、お会いしましよう。
鉄人
2010年07月06日 22:42
ワンギーサ様 今晩は。

最後の方でありましたが、「困った時はダンマパダ」と出会うことが出来、非常に好運でした。

小生にとりまして、このブログの存在の大きさは、計り知れないものがありました。

酒を断つことが出来たのも、瞑想を続けることが出来ているのも、ワンギーサ様の励ましとご指導なしでは、叶わなかったか、ずっと先のことになっていたでしょう。

またコメントをされている方々の真摯な言葉にも、何時もこころを動かされておりました。

ブログは更新されなくなりますが、ワンギーサ様がこのブログでお伝えされたことは、これからも小生のみならず多くの方々の生きる指針になることと思います。

今回の偈も、これ以上の偈がこの世にあるだろうかと思うくらいの凄まじい言葉ですね。

またひとつここで学ぶことが出来ました。小生には「師」が必要です。お釈迦様という「仏陀」と、ワンギーサ様という「師」に巡り会えたこと、こころより有難く感じております。


2010年07月07日 04:06
ワンギーサさん、おはようございます。

 この二年間で学んだことは、とてもこのコメント欄では言い尽くせません。

 振り返れば、あの日曜日、ゴータミーにワンギーサさんがいらっしゃっらなかったたら、今の自分はなかったと思います。

 恐る恐る、半信半疑で電話したところ、ワンギーサさんが「今から来ても結構ですよ」とおっしゃって下さいました。幡ヶ谷で電話して、ようやく辿り着くと、ワンギーサさんがいらっしゃっり、何故かスマナサーラ長老がデーンといらっしゃっしゃいました。

 ワンギーサさんが仏教の扉を開けて、道を作って下さったように、このブログで「ダンマパダ」への扉を開いて下さり、その道へと誘って下さいました。

 内容もさることながら、このブログで「勇気」と「根気」を頂いたと実感しております。

   『真剣勝負』
実にいい言葉ですね。その通りだったと思います。紹介された著書や辞書は買いました。引用された経典を探しに夜9時ごろ図書館に調べにいったこともあります。
問題を出された時は、朝から晩まで考え続けました。
コメントする内容がない時もめげずに、身近なことからヒントを探して、何とかコメントを捻り出したことは何度もあります。

 「困った時はダンマパダ」に悔いなしです。やはり、全力投球したものは爽快感が残り、清々しさを感じます。いいですね、実に。

 そうした「真剣勝負」を通じて、ますます、お釈迦様の偉大なる「智慧」の世界の凄みを身に染みて感じることが出来ました。これは大収穫です。

 今後はこの出会いを無駄にせぬよう、ブッダの教えの真髄に近づくべく、益々の「真剣勝負」をしていきたいと思います。

 この二年間、本当に有難うございました。
まさこ
2010年07月07日 05:33

おはようございます。

最近、ブログを読み始めたばかりなのに、最終回との事、
とても、残念です。

昨日、夜、母と散歩していて、「私、食べすぎちゃって」
と話すと、「そんなに食べていないでしょ。前はドカ食いだった」と、振り返ると、よく病気にならなかったなと思うほど食べていました。食べ過ぎることが、悪いことだと思ってませんでした。今、少しずつ、食べる量を減らし、過去を反省しても後悔せず、怒らず怠けず嘘つかず(なかなかできないのですが)、頑張りたいと思います。

ワンギーサさん、アドバイス下さった方々、本当にありがとうございました。

みなさんから、慈しみ頂きました。私も、そうなれるよう
自分と戦います。

もく魚
2010年07月07日 06:47
ワンギーサ先生おはようございます。そして有り難う御座いました。先生の記事でダントツに読まれたのはダンマパダ84(順番外)2008/09/28でカウントは今「1754」でした。

新さまの連続投稿は2008/10/2~2010/7/6で、現在630日目です・・たぶん(^^;;
2010年07月07日 07:33
このブログにあえて良かったです。

このブログを参考にはじめた
「子供と一緒にダンマパダ」では毎日
トラックバックをお願いしていますが
それもコメント同様
できなくなるのでしょうか。

それでもせっかくなので
最後まで続けるつもりです。
2010年07月07日 08:03
>あすかさんへ。
おはようございます。
今までトラックバックありがとうございました。
そうですね、変なトラックバックも多かったので承認制にしましたので、トラックバックもできなくなります。
しかし、「子供と一緒にダンマパダ」は続けて下さい。
帰国したら、まとめて読ませて頂きます。
あっきん
2010年07月07日 08:13
 おはようございます。
ワンギーサ様とは面識があり、今回善い事に巻き込んで頂き大変感謝しております。プログを通して、ワンギーサ様の慈しみと真剣さが感じられました。
全く知らないお坊さまであったら、私の受け止め方も違ったと思います。プログを見て一番の心の変化は、輪廻があると思った事です。輪廻を否定したら、仏教の教えは成り立はしないでしょうね。私的、現在のキーワードは執着です。執着を無くし本物の楽に自由に生きていきたいです。また、自由にプログに書きすぎてしまった点もありますがご勘弁を。当たり前ですが私個人の感想です。生きとし生けるものは幸せでありますように。
ぱん
2010年07月07日 08:15
このブログを知ったのは去年の2月か、3月、パティパダー発送ボランティアの日に、ワンギーサさ

んに教わったことがきっかけです。「ブログ気持ち玉」がどうとか、言われて最初はとまどいました

が、最初はブログ気持ち玉を押すために通い、今では、毎日コメント欄にコメントを書くまで、

になりました。ワンギーサさんは新さんに表彰状を送りたいと書いていますが、私も新さんのコメントをお手本にしてここまでやってきました。一年以上学んできましたが、やっと最近、お釈迦様や阿羅漢たちの世界のことが、身近に感じられてきたときだっただけに、ブログの閉鎖によって、またお釈迦様や阿羅漢たちの世界が遠くなるなという気がいたします。スリランカでの修行、がんばってください。一年3ヶ月、ありがとうございました。
しょうしょう
2010年07月07日 08:33
パーリ語の文と読み仮名、直訳と実生活に根付いた解説、大変勉強になりました。
気になる句はノートに写しており、パーリ語で暗誦出来るようになったのもワンギーサさまのおかげです。
今までありがとうございました。
ワンギーサさまの修行が進み悟りの光が現れますように
すべての祝福がありますように、諸天善神のご加護がありますように
サードゥ!サードゥ!サードゥ!
慈悲と智慧
2010年07月07日 09:51
お別れのご挨拶は後程。

今日は七夕ですね。

願い事は、【生きとし生けるものが幸せでありますように】

高橋優太
2010年07月07日 11:05
ワンギーサ先生、皆様、今までありがとうございました。突然で驚きました。自分がこのブログを知ったのは、ゴーダミー精舎で、ワンギーサ先生に直接このブログを教えていただいてからです。それから本当に本当に多くのことを教えていただいたり、励ましていただいたり、、、。メールでもいつもご相談に乗っていただきありがとうございました。これからしばらくメールできなくなりますが、がんばります。

このブログのおかげで仏教の世界に親しむことができました。本当にありがとうございました。
三枝 輝号
2010年07月07日 14:49
今日はじめてこちらのブログを拝見させていただきました。今回の更新で最後になるのですね。これから徐々に読んでいこうと思います

スリランカでの瞑想修行が成功いたしますようにと心よりお祈り申し上げます^^

~生きとしいけるものが幸せでありますように~
まお
2010年07月07日 15:31
今までありがとうございました。
生きとし生けるものが幸せでありますように。
せいや
2010年07月07日 16:30
実は去年の終わりくらいからひっそりと読ませていただいてました。

今後もこのブログを何か事あるごとに読み返していきたいと思います。ワンギーサ様、本当にありがとうございました。

生きとし生けるものが幸せでありますように。
CyberBaba
2010年07月07日 16:39
いよいよ終了なのですね。これも無常ですね。
ありがとうございました。
スリランカでのご健康と良いご修行をお祈りいたします。
えみ
2010年07月07日 17:23
ワンギ-サ様 こんにちは。
仏教の教えに出会い二年余り、このブログを拝読し8ヶ月でした。これまで、コメントすることはできませんでしたが、ダンマパダのていねいでわかりやすい解説は、
たいへん勉強になりました。まだまだ、理解していない
ところがたくさんありますので、これから何回も熟読し理解を深めていきたいと思います。それから、子供の
ためのダンマパダは二児の母親としては、これはこどもに教えてあげたいなあ..と思う教えの言葉でした。これから多いに役立てていけたらと思います。本当に毎日たくさんのことを教えていただきありがとうございました。山形の田舎在住で、法友もまわりにはいませんが
皆様の仏教にたいしての真摯なコメントは、励みになりました。ありがとうございました。

ワンギ-サ様のスリランカ修行を心よりお祈り申し上げます。

生きとし生けるものが幸せでありますように
2010年07月07日 17:24
ワンギーサ師様、 本当におつかれ様でございました。m( )m
初めてコメントされた方がワタナベさんだったとは意外でした(^^;。
 このブログは本当によく出来ていると思いまして、詩偈の訳文から日常語訳、子供のためのダンマパダ、それにひと口メモにおける因縁物語を含む詳しい解説や
 それとまたパーリ語原文と発音の標記がついているところがすごく僕には役立ち、日本語のニュアンスでわからないところがパーリ原文を見る事によって、すぐそこの場で確認できるのですごく便利で、有り難くいつも思っておりました。

 それとこのダンマパダの詩偈をこの充実した文面で、驚くべき事に特別な日は除いて毎日更新なさっていらしたことに感嘆致すと共に感謝の思いでいっぱいです。
 コメントの反映も早く、ホシノヒトリゴトさん新さんはじめ、皆様のコメントご意見も拝読できて実に参考に、勉強になりましてありがとうございました。

スリランカでのご修行のご成功を切にお祈り致しております。本当にありがとうございました。
1951男
2010年07月07日 18:42
ワンギーサさんがパワーアップして再登場なさるのをお待ちしています。
しばらく前からダンマパダをパーリ語及び直訳で掲載していただけるようになったのがありがたかったです。
異なる言語を直接理解することで余計なひっかかりが消えます。テーラワーダ仏教を知ることで、クリシュナムルティの本を読み直すきっかけになりました。彼が語ったことばは仏陀の教えを知る上で極めて役に立ちます。(英語のまま読むととてもわかりやすいです。)
クリシュナムルティの図書(英語)をはじめ、膨大な資料が公開されています。私は下記サイトを利用しています。是非お試しください。
http://www.jiddu-krishnamurti.net/
こころざし
2015年10月06日 13:01
本文のお知らせを拝見し、現在も続けて下さっているワンギーサ長老の厚意を心より感謝しつつ、目頭が熱くなるものがありました。
僕は熱海でご指導を頂けました事がご縁で、こちらのブログを拝見させて頂くようになりました。
1日2偈で良いですよとの笑顔で頂いたアドバイスに当初??となりながら、それでは初めから現在に追いつくのに時間がかかり過ぎるかもと、当日+3偈を拝読させて頂いています。
少しずつ勉強させて頂きました事で、自分なりに少し深く考える機会になり、大変勉強になりました(※そうでなければ一気に読んで分かったような気になって、結局何も分かっていない状態になっていた事と思います)
現在何処まで行けているか?ですが今の生き様から、当初の自分とはかなり違う印象を自身に感じています。ワンギーサ長老のお陰様です、心よりお礼を申し上げます。
今後も学ばせて頂きたいです。ご指導をどうぞ宜しくお願い申し上げます。

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