煩悩の 汚れをなくす 坊さんは きれいな衣が よく似合います (10)

10.煩悩の 汚れをなくす 坊さんは きれいな衣が よく似合います


ヨー   チャ   ワンタカサーワッサ   
Yo     ca    vantakasāv’ assa,
所の人は しかし  汚れを吐いて いる

スィレース  スサマーヒトー      
sīlesu     susamāhito;
戒において  よく集中している
    
ウペートー    ダマサッチェーナ 
Upeto       damasaccena,
具えているので  訓練・真実を

サ  ウェー カーサーワマラハティ    
sa   ve   kāsāvamarahati.   
彼は 実に   衣に相応しい。


○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
http://76263383.at.webry.info/200901/article_5.html
http://76263383.at.webry.info/200911/article_8.html


○一口メモ
今回は9番と逆の事実を述べている。「心の汚れである煩悩を吐きだして、戒律(道徳)を守ることに集中している僧侶は、修行して、真理を求めているので、きれいな衣(袈裟)を着けるのに相応しい」という意味である。
蛇足にはなるが、世の中には良いものもある。それを持ちたい、身に着けたいと思う気持ちは分からないでもない。しかし、そのためには、それに相応しい人格が必要なのではないか。


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)が幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますよう
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に悟りの光があらわれますように
*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。

この記事へのコメント

カエルくん
2012年03月17日 17:04
ワンギーサ先生こんにちは。
感想を書き込もうと思うと、いつもより集中して解説や一口メモを読みます。それだけでも勉強になっている気がします。

今日分からなかったのは「煩悩を吐き出す」とはどういうことか…、です。一読したときは分かった気持ちになったのですが、何度も読むうちに分からなくなってきてしまいました。
貪瞋痴による思考をやめる…というような意味でよろしいでしょうか。
「煩悩」という言葉の意味を知らない自分に気がつきました。
ワンギーサ
2012年03月17日 17:33
カエルくんさん。コメントありがとうございます。
「煩悩を吐きだす」は煩悩を心から出す。つまりなくすという意味です。煩悩とは心の汚れ、貪瞋痴のことです。もっと深い意味が分からないというのであれば、だんだん実践を通じて分かっていくと思います。
カエルくん
2012年03月17日 19:27
ワンギーサ先生、ご指導ありがとうございますm(__)m

実は数年前に膝の関節を傷めて、歩く瞑想も座る瞑想もできずにおります。
でも椅子に座って瞑想することならできるかな、と思います。久々にヴィパッサナー瞑想にチャレンジしてみようと思います。
瞑想もしていない初学者の質問にも答えていただいて、感謝いたします。
未到散人
2012年03月18日 07:00
Twitter向きでしたね。
あっきん
2012年03月18日 10:06
”困った時はダンマパダ”再開してめっちゃうれしいです。困った時こそ智慧を開発し自己成長のキッカケになると思います。知識だけの頭でっかちにならないで、応用できればと思います。宜しくお願いします。
(*^o^*)困った時こそスマイルですね!
   実は私困ってます。あははっ~
ワンギーサ
2012年03月18日 10:08
未到散人さん、久しぶりです。
コメントありがとうございます。
また、ぼち、ぼち始めようと思っております。
タイトルだけでもTwitterに連動できればと思っていますが、
まだできません。
ワンギーサ
2012年03月18日 10:20
あっきんさん、おはようございます。
困った時はダンマパダ
困った時はスマイルで
困った時は、あなたの名前のように明るく
明るくなれば、すべてが好転します。
あすか
2012年05月09日 10:50
外見なんてどうでもいい。
とはおっしゃっていないのですね。
ふさわしい中身が大切なのですね。
仏道実践の為、他とかかわる為に
大切な体ですもの。

外見は周囲が不愉快でないよう、
清潔かつ奇抜でないように、とだけ注意し
できるだけ心の汚れを落とすことに
一日を使うようにしています。
SRKWブッダ
2014年08月14日 17:24
清淨なる身体に達した人は、たとえば泥水に汚されない蓮葉のように、二度と汚されることがない。

清淨なる身体に達した人は、それで糞掃衣をまとっても、もちろん汚されることがない。

このとき、糞掃衣は、清淨なる身体に達したことの象徴ともなる。

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こころざし
2015年10月11日 09:43
お金があり服装等は立派でも心が伴わないと、結局存在的には疎まれる状況になってしまうと、日常から学んでいます。心が成長出来ていれば、どんな服を着ていてもその存在は輝くのではと想像致します。
外見に走るのではなく内面の成長の大切さが分かるように努めたいです。