このことを はっきり知って 賢者たち 気づきの境地を 喜び楽しむ(22)

阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。


エワン  ウィセーサトー  ニャトゥワー
Evaṃ   visesato     ñatvā,
これを  明らかに     知って

アッパマーダンヒ  パンディター
appamādamhi    paṇḍitā;
不放逸において  賢者達は

アッパマーデー  パモーダンティ
Appamāde     pamodanti,
不放逸に      満足し

アリヤーナン  ゴーチャレー  ラター
ariyānaṃ    gocare      ratā.
聖なる     境地を      喜ぶ



○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
http://76263383.at.webry.info/200901/article_10.html
http://76263383.at.webry.info/200911/article_13.html


○一口メモ
この詩は、前回の21番の詩を受けて、つまり「不放逸は涅槃への道であり、放逸は死の道」であることを、賢者たちはよく知って、不放逸を実践して、喜び、満足するという意味になります。

この詩にも16番の詩で説明したパモーダンティという言葉が出てきます。
喜びを意味するモーダティに強調の接頭語のパをつけて、パモーダティです。これは満足という意味になります。

最近、スマナサーラ長老は「喜び」ということをよく話されます。心は脳を通じて機能していますが、脳も心も活発に働くためには喜びが必要なのです。ですから仕事も勉強も修行も喜びが持てるように工夫して、行うと効果があります。喜びがあると楽しくなるからです。

不放逸すなわち気づきの瞑想であるヴィパッサナー瞑想において、心が落ち着いてきて、欲や怒りなどが静まってくると、欲の充足と異なる清らかな喜びがわいてきます。この喜びは涅槃に導くのです。


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。

この記事へのコメント

カエルくん
2012年03月29日 15:54
ワンギーサ先生、こんにちは。
短時間でも瞑想ができたり、日常生活の中でラベリングができたりすると達成感で喜びを感じます。
でもこの詩で説かれている「気づきの境地」を喜び楽しむ、の喜びはきっと全然違うものなのだろうなあ、と想像します。私にとってはわからない世界です。
ワンギーサ
2012年03月29日 18:27
カエルくんさん、こんばんは。
「短時間でも瞑想ができたり、日常生活の中でラベリングができたりすると達成感で喜びを感じます。」賢者が楽しむ「聖なる境地」は全然違うものかもしれませんが、あなたの感じた喜びはその境地へのエネルギーです。これからもそれを大切に瞑想を続けて下さい。
こころざし
2015年10月15日 07:47
「嬉しい・楽しい」と思うときは、心が舞い上がって地に足が付いていない・心不安定な状況になりかねないと思います。
冥想合宿に参加させて頂き帰宅する時は、心が清らかな感じがして静かな喜びが続き、心が安定している印象を感じます。
ヴィパッサナー瞑想を実践し、日常でも心の安定している状態が続くように精進したいです。