瞑想し 常に努力し 最上の 安穏無碍なる 涅槃に触れる(23)

阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。


テー   ジャーイノー  サータティカー
Te     jhāyino      sātatikā,
彼らは  瞑想して    堅忍し

ニッチャン  ダルハパラッカマー
niccaṃ    daḷhaparakkamā;
常に     強く 努力し

プサンティ ディーラー  ニッバーナン
Phusanti   dhīrā     nibbānaṃ,
触れる    賢者達は   涅槃に

ヨーガッケーマン   アヌッタラン
yogakkhemaṃ      anuttaraṃ.
絆から離れた安穏な  最高の


○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
http://76263383.at.webry.info/200901/article_10.html
http://76263383.at.webry.info/200911/article_13.html


○一口メモ
四聖諦というブッダの最高の教えがあります。
① 苦聖諦:世界(生命)は苦しみ、耐え難い、矛盾し、不完全で、不安定で、真の満足のない状態であるという真理。
② 苦集聖諦:苦の生じる原因は渇愛であるという真理。
③ 苦滅聖諦:苦の滅、すなわち渇愛が消滅した状態、これが涅槃であるという真理。
④ 苦滅道聖諦:苦の滅(涅槃)にいたる道、その実践項目は八支聖道であるという真理。

この四聖諦の第一、苦聖諦がよく分からないのです。人生は苦しみだと言っても、楽しい時もあると思いますし、人生は苦しみだとは思いたくないのです。ブッダの教えの出発点が分からないのですから、ブッダの教えを理解しないことになるのです。

この真理の分からない理由は、よく使われる例えとして、海に住む魚は海の存在に気づけないということです。つまり、苦の中に住む私たちは苦が分からないので、苦から抜け出ることができません。しかし、ブッダは人類で初めて、苦について悟り、苦から脱出する道を発見しました。

これを、なぜできたのか、それは「涅槃に触れた」からなのです。
やっとこの詩に結び付きました。涅槃に触れることで、世界(生命)の苦しみが分かったのです。涅槃から見れば、世界(生命)は苦しみ以外の何物でもないのです。

この詩では、涅槃は絆(拘束、束縛)から離れた、安らかで穏やかな最高の状態と表現していますが、触れて見なければ分からない言葉では表現できない世界なのです。

涅槃に触れたブッダは、自分が経験した涅槃に触れる方法を教えているのです。それは瞑想による方法です。それを常に、忍耐強く、努力して実践しなさいと教えています。この詩には不放逸という言葉は出ていませんが、不放逸の章にこの詩を置いています。ブッダの言う瞑想は不放逸による瞑想です。


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。



この記事へのコメント

カエルくん
2012年03月30日 18:30
ワンギーサ先生、こんばんは。
ご指導ありがとうございます。
コツコツと頑張ろうと思います。

今日の詩の中で、堅忍、という言葉に心がひかれました。
涅槃に触れるためにはしっかりした土台作りが必要ということですね。
忘れないようにしようと思います。
ぱん
2012年03月31日 07:42
おはようございます。ブログが再開されてうれしく思います。またいろいろと教えていただければ幸いです。

こだわりが苦であり、こだわらないが楽である。そう思っても、なかなか、こだわりをなくすのは大変です。それを少し専門的に言うと、今回の記事でワンギーサ師が書かれていることであると思います。

苦滅聖諦が涅槃であるという説明は、見たことがないのですが、そう考えると非常にわかりやすくなりました。理解が進みました。涅槃を得たいと思います。

ありがとうございました。
ワンギーサ
2012年03月31日 08:14
カエルくんさん、おはようございます。
今回の説明は、すこし難しすぎたせいか、説明が悪いのか、
あまり評判がよくないようです。
しかし、あなたのコメントで安心しました。
ありがとうございます。
ワンギーサ
2012年03月31日 08:21
ぱんさん、おはようございます。
コメントありがとうございます。
ぱんさんには、私の真意が理解されたようです。
また、コメントしてください。
あすか
2012年05月22日 10:06
具体的な目標であれば
わかりやすいですが、
イメージもわかない
ゴールを目指すのは
楽ではありませんね。

それでも、ブッダの
他の言葉を見れば
絵空事で興味を引こう
という方ではないのは明白。
信じて実践していきます。
むいむい
2013年05月24日 09:21
おはようございます。
最近になってブログの存在を知り、時間がある時に順番に読ませて頂いてます。
いつも気づかされることが多く、とてもためになります。

とくに今回の① 苦聖諦の説明は心にズドンと来ました。
まさにそうなのです。②③④は納得できるのですが、①だけは無理やり納得している感がありました。

苦しみだけと言っても楽しみもあるのではないか。確かに、その楽しみが後で苦しみを生む原因になるとしても、瞬間瞬間変化する心において、その瞬間に楽しいと思ったならそれも真なのではないか、とそう思っていました。

しかし魚の例えから始まり、"苦の中に住む私たちは苦が分からない"という言葉を読んで、はっとしました。そういうレベルの喜びや楽しみの話ではないのだと。今まで楽しいと思っていたことが、まるで自分が、おもちゃを与えられて喜んでいる子供のように思えてしまいました。

"なぜできたのか、それは「涅槃に触れた」から"

苦の存在を知るためにも、これからも修行に励みたいと思います。
こころざし
2015年10月16日 07:53
冥想を実践しますと、自分が如何に渇望から動いているかを実感致します。またその渇望を満たすように生きる事をいくら繰り返しても同じ状態のくりかえしになり、真の幸福は違う印象も感じています。
真の幸福を得られるように、仏道を実践して参りたいです。