止められぬ 速さで動く この心 制するならば 幸いもたらす(35)

阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。


ドゥンニッガハッサ  ラフノー
Dunniggahassa     lahuno,
抑制し難い       軽く速い

ヤッタカーマニパーティノー
yatthakāmanipātino;
好きな所へ行く

チッタッサ ダマトー      サードゥ
Cittassa   damatho      sādhu,
心を     調御することは  善い(ことである)

チッタン  ダンタン   スカーワハン
cittaṃ    dantaṃ    sukhāvahaṃ.
心は     調御した   幸福をもたらす


抑制し難く、軽く速く、好きな所に行く心を制御することは善いことである。
制御した心は幸福をもたらす。


○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
http://76263383.at.webry.info/200901/article_21.html

http://76263383.at.webry.info/200911/article_24.html


○一口メモ
この詩でも、心はどのようなものか表現されています。

「心は抑制しがたい。」
このことはよく経験していると思います。一度心が欲しいと思うと、手に入れまで欲しいという思いが続き、抑えることが難しいものです。また、心に怒りが現れると、その心を抑えることは難しいことは誰もが経験していることではないでしょうか。

「心の動きは軽く速い。」
物質のスピードで一番早いものは光(電磁波)です。1秒間に地球を七回り半すると言われています。それよりも心の動きは約17倍速いと言います。その説明は次の通りです。光がA地点からB地点まで移動したことを、心は17段階の操作を経て認識するのです。(アビダルマではこのようにの説明します。)ですから、心は光より17倍のスピードで働かなければならないのです。分からなければ、そんなものかと思って下さい。
17倍速いかどうか分からなくとも、心は光より早いことは分かります。糸川という小惑星まで光は約17秒かかりますが、人間のイメージ(心の働き)は瞬時に糸川に届くのです。

「心は好きな所に行く。」
これは小さな子供を見ているとよくわかります。大人になると、自分で描く自画像(自我)が心の動きを素直に表現することを、善くも悪くも妨げるので、行動から直ちに心の動きは分かり難くなります。しかし、幼い子供の場合は心のままに動くのです。本当に心は動き回っているのが分かります。実は大人の心も行動に現れていなくとも、その通り動き回っているのです。それは、自分の心をよく観察すればよくわかることです。

何度も書きますが、幸福になるか不幸になるかは心によって決まります。善い心であれば幸福になり、悪い心であれば不幸になります。ですから、心を制御して、善い心にすれば幸福になるのです。

「止められぬ 速さで動く この心 制するならば 幸いもたらす」


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


この記事へのコメント

そうじ
2012年04月11日 05:37
今回の記事を読ませていただいて、よい心について慈悲の瞑想などで調べるのも大切で、気付きで今の心に気付くことも大切だと思いました。
よい心を作っても集中力がないと続かないし、気付きがないと今の心がわからないから気付いたら悪いことをしてしまっています。

シンプルですが一筋縄ではいかないのだなと思いました。
慈悲と智慧
2012年04月11日 13:43
こころを制御するためには集中力が必要になります。
【慈悲の瞑想は慈しみのこころを育てるだけでなく、集中力を育てる効果】があります。

というか、サマタ瞑想は、そもそも集中力を育てるためという話しも聞いた覚えがあります。


慈悲の瞑想が上手く出来ない人は実況中継が上手く出来るはずはありません。

私は、こころの制御の第一歩は慈悲の瞑想だと思います。


その為には、とにかく真剣に妄想なく量をこなすことだと思います。


長老も、月例講演会の際に、話しを聞くより、慈悲の瞑想をやる方がよっぽど大事である旨を説かれたそうです。


あすか
2012年04月12日 07:30
観察の練習をしていると
思考よりもずっと早くて、
あとから理由付けをしたり
つじつまをあわせたり
しているのではないかな、
と感じることがあります。

善い考え、言葉、行動を
常に努力していたら
心がとびまわる範囲も
善いところへと
変わっていくのでしょうか。
より穏やかな毎日を
過ごせますように。
こころざし
2015年10月20日 05:52
日常で「だって○○なんだもん」とさっと動いてやりたい事をした後の言い訳のように後付けで理由?的な事を言うような状況に接する事があります。心の動きの速さとそれを止める事は困難との印象を感じます。
そんな心を観察し、心を制御する事が出来るように注意したいです。