敵のする 酷いことより 酷いこと 邪なる心が 我にもたらす(42)

阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。


ディソー  ディサン  ヤン  タン   カイラー
Diso    disaṃ    yaṃ   taṃ    kayirā,
敵が    敵に    所の  それを  為す

ウェーリーワー     パナ   ウェーリナン
verīvā          pana   verinaṃ;
恨みある者が、或は  他の   恨みある者を

ミッチャーパニヒタン   チッタン
Micchāpaṇihitaṃ      cittaṃ,
不正に向けられた    心は

パーピヨー      ナン  タトー   カレー
pāpiyo        naṃ  tato     kare.
より悪いことが   彼に  それより  為すであろう


○直訳
敵がそれをなす所の敵(自分)に、
恨みある者が他の恨みある者(自分)になすことより悪いことを、
不正に向けられた心は
彼に(自分に)為すであろう。


○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
http://76263383.at.webry.info/200901/article_28.html
http://76263383.at.webry.info/200912/article_1.html


○一口メモ

今回の詩は、パーリ語の原文に関係代名詞があるため、直訳は意味が分かりにくいのですが、平たく言うと、「自分の敵が自分に行う酷いことより、自分の悪い心は自分に酷いことをする」ということです。なぜならば、敵はどんなに自分に酷いことをしても、それにより不幸にはなるとは限らないのです。しかし、自分の悪い心は自分を確実に不幸にするからです。多くの場合、自分の悪い心は自分を地獄に陥れるのです。
しかし、多くの人々は、心の作用はここまでとは理解していないため、軽い気持ちで悪いことをしてしまいます。

明日掲載する予定のダンマパダ43番の詩は、これと反対のことがら、すなわち自分の善い心は、父母親戚よりも善いことを自分にすると述べています。ですから、これらをまとめて少し説明します。

「不正に向けられた心」(42番)と「正しく向けられた心」(43番)はどのような心であるのかを理解することが重要です。
昨日のブログ記事の「慈悲と智慧さん」のコメントに「皆様、宜しければ、長老の著書の『運命がどんどん好転する』の31ページ~32ページをご覧になって下さい。」と親切に紹介されてありました。ありがとうございます。

ちょうど良い機会ですから、「不正に向けられた心」と「正しく向けられた心」の説明をこの本に基づいて書いてみようと思います。
長老のこの本に「人間を幸福にするある心の働きというものがあります。」と書いてあります。これが「正しく向けられた心」です。この本を読めばわかりますが、これは「慈、悲、喜、捨」の心のエネルギーなのです。

慈のエネルギーは、「すべての生命の友情を育てる」心のエネルギーです。
悲のエネルギーは、「すべての生命から悩み苦しみをなくす」心のエネルギーです。
喜のエネルギーは、「すべての生命の喜びを喜びとする」心のエネルギーです。
捨のエネルギーは、「すべての生命から自我を捨てる」智慧のエネルギーです。

「不正に向けられた心」とは、慈悲喜捨と反対の作用をする心のエネルギーです。
この心のエネルギーで生命は確実に不幸になるのです。
慈の反対は激怒のエネルギーです。
悲の反対は暴力のエネルギーです。
喜の反対は嫉妬のエネルギーです。
捨の反対は自我のエネルギーです。

これらのエネルギーは強いので、強力な「慈悲喜捨」心を育てて対抗する必要があります。
しかし、心配する必要はありません。慈悲喜捨の心は皆さんが考えている以上に大きく強いのです。ですから、限界のない大きさと強さを持つという意味で、無量心と名付けられています。激怒、暴力、嫉妬、自我のエネルギーは強そうに見えます。しかし、限界があり、育てられた慈悲喜捨と比べると弱いのです。安心して「慈悲の瞑想」などで、「正しく向けられた心」を育てて下さい。

「敵のする 酷いことより 酷いこと 邪なる心が 我にもたらす」


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。

この記事へのコメント

そうじ
2012年04月18日 05:12
先生、皆様おはようございます。

今回の記事を読ませていただいて、毎日、瞬間瞬間に実践することがどれだけ大事か、自分がどれだけ無知かと気付きました。

無知だから地獄につながるような悪いことをする。
知恵があれば向上し幸福につながるよいことをする。
最大の善行為は瞑想である。

実践します。
慈悲と智慧
2012年04月18日 05:58
ワンギーサ先生ご紹介ありがとうございました。
カエルくん
2012年04月18日 06:53
おはようございます。
私は捨のエネルギーが弱い気がします。
人や物に執着していた気持ちを手放すとき、フワッと心が軽くなる気がします。
捨のエネルギーとはそのときの気持ちのことでしょうか。
ご教示くださいm(__)m
ワンギーサ
2012年04月18日 07:31
皆さん、おはようございます。

カエルくんの質問にお答えします。
その通りだと思います。
その心のエネルギーどんどん育てていくと、すべての執着、すべての煩悩を捨てる解脱のエネルギーに成長すると思います。
あすか
2012年04月18日 13:29
みなさま、こんにちは。

なるほど己の心からは
逃れようがないですものね。


自分に関わりのない
第三者の幸せならば喜べるのに
競争社会、受験等を経験してきた為か
自分も関わることだと、ときに
素直に喜べないことがあります。
慈悲の瞑想を繰り返すうち
誰かが合格したんだよね、
誰かが一位になれたんだね、
と素直に喜べるようになってきました。


身の回りのものを整理しています。
いつか使うかも、はやめて
リサイクルなどに出し
今、使ってくださる方のもとへと
モノたちのお引越しです。

損得とか勝ち負けという
ものさしの代わりに
心が清らかになるかどうか
という基準で考えるようにしてから
気持ちがおだやかになってきました。

サティと慈悲の瞑想に加えて、
ルールや時間を守ること、
道でも、順番でも、ゆずれる物事は
ゆずる、など、できることから
実践するようにしていきます。

生きとし生けるものが
幸せでありますように。
SRKWブッダ
2014年08月01日 18:14
敵対する者、怨み心ある者は、決して覚ることができない。これは、永劫の真理である。

ゆえに、覚りを目指す人は、敵対することを止め、怨み心を捨て去って、ためになる修行に邁進せよ。

邪な者は、自分の邪さに気づくことが難しい。敵対と怨みを離れたとき、すでに心は邪さを離れている。

***
こころざし
2015年10月22日 06:29
本文の不正に向けられた心の4つを拝見し、日常で普通にある状況と感じました。正しく向けられた心を実践していないと容易に不正に向けられた・・の方に行ってしまうと思います。
日常で、正しく向けられた心を実践する事で、不正に向けられた心の状態と思われる言動をする方が→やや中和されるような様子になる事を経験しています。
自分が実践する事でその場の流れが良いものになるのは、とても嬉しく思います。
正しく向けられた心を実践して参りたいです。