蜜蜂が 花を訪れ 去るように 聖者は村を 訪れ去りぬ(49)

阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。


ヤターピ   バマロー  プッパン
Yathāpi     bhamaro  pupphaṃ,
ように も   蜜蜂    花の

ワンナガンダマヘータヤン
vaṇṇagandhamaheṭhayaṃ;
色  香りを   害さない

パレーティ  ラサマーダーヤ
Paleti     rasamādāya,
去る     液を 取って

エーワン   ガーメー  ムニー   チャレー
evaṃ     gāme    munī    care.
そのように  村を    聖者は   行く


○直訳
蜜蜂も花の
色、香りを害さないで
液(蜜)を取って、去る(ように)
そのように聖者は村を行く


○一口メモ
この詩は読むと、いつも心を和ませてくれます。
423あるダンマパダの詩の中で、幾つかある好きな詩の一つです。
あまり解説はいらないでしょうが、
「そのように聖者は村を行く」は聖者が村に托鉢に行って帰るということ。
聖者にお布施をした村人の心には静かな喜びが生まれているのだと思います。

何回か読んで、目を閉じて、詩のイメージを作って下さい。
蜜蜂のように、聖者のように、この村人のように生きたいものです。

明るく、静かに、
相手にも、自分にも、役にたつように、
人々を害しないように、
行って、去る。

「蜜蜂が 花を訪れ 去るように 聖者は村を 訪れ去りぬ」


○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
http://76263383.at.webry.info/200902/article_1.html
http://76263383.at.webry.info/200912/article_5.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。

この記事へのコメント

カエルくん
2012年04月25日 06:16
おはようございます。
明るく、かつ静かに托鉢に回って村から去っていく聖者の姿が思い浮かびました。
余計な会話はなく、相互に善いことだけあり、誰にも迷惑をかけない。人間関係の理想だと思いました。
カメムシ
2012年04月25日 08:02
仏教を学ぶもの私たち一人1人が、

どこにいても皆の手本になるような

気持ちでいよう。
あすか
2012年04月25日 12:11
布施をする方が感謝ということに
以前は合点がいきませんでした。
何か役に立てるのは喜ばしいこと、
とお布施させていただく幸せも
わかるようになってきました。

どうやら「漫」と「物惜しみ」が、
生まれつき人一倍強いようです。
慈悲の瞑想とともにお布施もまた
特効薬のように思われます。

今日は、まだ十分使えるけれど
今の生活の仕方には不要なものを
リサイクルにまわすべく整理します。
では今日も心おだやかに。
ささ
2012年04月25日 21:02
ワンギーサさん。先日の講演会の後、駅のホームでお声がけ頂きありがとうございました。
おかげであの日からまだ30分ずつですが、ようやく歩く瞑想を始める事が出来ました。
なるたけ人に負担をかけないように気をつける。
なるたけ人の役に立てるようにする。
この二つはとても大切に思いますが、実はこの詩で一番心地よく感じるのが三つめの、用が終わったら黙って去るというところです。
それぞれの存在を尊重していて、しかし縛られていない自由を感じるというか。

人との関係として理想に思います。
そのような気持ちのよい関係を築けるようひとまず自分に出来ることは、日々の実践につきますね。

ありがとうございました。
2012年04月26日 13:44
僕もこの詩偈は昔から好きでした。
普通の散文経典でもそうですが、釈尊の御言葉の特徴の一つとして「絶妙なたとえ」があると思います。

難しい話を難しく話すのではなく、
難しい話をわかりやすい比喩を使って、表現する。

これが出来るのは、本当に本物で智恵、才能がある証拠だと僕は感じます。


青砂木
2014年03月08日 07:48
おはようございます。
今朝は、一口メモのお話にあるように、何回か偈を読んで、目を閉じて、偈をイメージして楽しんでみました。
そこから感じたのは、今、まさに昇り始めた朝日を浴びながらダンマパダを学ぶこの時間そのものでした。
そして、生まれ育ったこの町、この世界が、まさにこの村そのものでした。
これまで大人たちが守ってくれていたように自分も次の世代のものたちを、そして、この町、この世界を守り続けたいと思いました。

生きとし生けるものが幸せでありますように。
こころざし
2015年10月24日 07:57
本文の「明るく、静かに、 相手にも、自分にも、役にたつように、人々を害しないように、 行って、去る」を拝見し、日常でこのような生き方をしたいなと思いました。
私事ですが、以前震災約1年後に短期間福島県にボランティアに行った時「もっと長く(何時までも?)ここに居てね」と言われる事がありました。長くボラがいるとそれに依存され・地元の方の自立を妨げる事になりかねない、と知りました。
偈の「去りぬ」の言葉からその時の事を思い出しました。一か所に留まらないのは、そのような配慮もあるのかもと想像致します。