人として 生まれて死ぬ べきならば 善いこと多く するべきだろう(53)

阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。

ヤターピ  プッパラースィンハー
Yathāpi   puppharāsimhā,
ように    集められた花から

カイラー  マーラーグネー  バフー
kayirā    mālāguṇe     bahū;
作る     花飾り     多くの

エーワン   ジャーテーナ   マッチェーナ
Evaṃ      jātena        maccena,
このように  生まれて     死ぬべき者(人間)ならば

カッタッバン   クサラン  バフン
kattabbaṃ    kusalaṃ   bahuṃ.
為すべき     善いこと  多く


○直訳
集められた花から
多くの花飾りを作るように
このように生まれて死ぬべき者(人間)ならば
為すべき多くの善いことがある


○一口メモ
「マッチェーナ」のパーリ語辞書に出ている言葉は「マッチャ」ですが、意味は、「死ぬべき;人、人間。」です。死すべき者すなわち人間を意味しているのです。

人間として生きていることは、非常にありがたいことなのです。
何故、人間として生きることが、非常にありがたいかを輪廻という観点から書きます。輪廻を全く受けいれられない方は、以下を読まずに、御自分で「人間と生れてよかった」と思っていると思いますから、そこからこの詩を理解してください。
人間として生まれたてよかったな。それならば、多くの善いことをしようと素直に考えて、実践すればよいのです。

仏教では次のように考えています。生命は六道輪廻、苦の多い順に、地獄、畜生、餓鬼、阿修羅、人間、天の世界に住んでいると考えられています。人間・天は善趣(善い所、苦が少ない所)です。地獄・畜生・餓鬼・阿修羅は悪趣(悪い所、苦が多い所)なのです。

善趣にはなかなかいけません。悪行以上に多くの善行を積んでいなければならないと当然考えられるでしょう。しかも、特に人間は人口制限があるのです。無数と言っていいほどの生命は、地獄でも天界でも無数に存在できますが、人間と畜生(動物)は、住む場所は空間的などの制限がありますから、無数には存在できないのです。特に人間は、人間になりたい生命が多く待っている可能性があります。よほど善行為をして徳を積んでいなければ人間にはなれないのです。また、天界の神々は、楽が多すぎて修行する気になれないため、修行を完成させることが難しいと言われています。

人間として生まれたことは、多くの善行為の結果ですが、非常にまれな、幸運なことなのです。それならば、この幸運を生かして、この幸運を無駄にせずに、修行を完成させる必要があるでしょう。人間としての人生をむなしく過ごして、また人間として生まれることは、考えられないほど輪廻を繰り返さなければならないものなのです。預流果などに悟ったならば、再度人間に生まれる可能性はあります。そのためにも、多くの善行為をすべきなのです。

「人として 生まれて死ぬ べきならば 善いこと多く するべきだろう」

○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
http://76263383.at.webry.info/200902/article_4.html
http://76263383.at.webry.info/200912/article_8.html


このブログ記事は4月28日(土)に掲載しましたが、4月29日(日)に掲載予定のものです。よろしくお願いします。明日4月29日(日)はお休みです。


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。

この記事へのコメント

ピース
2012年04月28日 17:19
私たちは人とのつながりによって生きています。誰かが誰かを信用していて、その繋がりがあって始めて信頼しあうもの同士が繋がり交流もいまやこうして、全国的になんら差別感もなく、同じようにお付き合いできます。そのつながりはたとえ自分が死んでも、続いていきます、会社、家族、仲間、の信頼はあの人の知り合いなら安心できるといって、死んでからも続きます。現にお釈迦様の事を学ばれてるとか、スマナサーラ長老の説法を聞いてると聞けば、それだけで話が広がります。それほどに信頼される人間と言うのは素晴らしいと思います
慈悲と智慧
2012年04月28日 20:48
http://77713696.at.webry.info/201204/article_5.html



あなたがどんな感情のもとで生きているかによって、
世界の色は変ります。



世界がわがままに見えているとすれば、

自分自身がわがままだからです。

今見えている世界は、心の状態がそのまま
現れたものだと知りましょう。




「こころを清らかにする言葉」A・スマナサーラ長老大長老
カエルくん
2012年04月29日 07:03
先生、皆様、おはようございます。
それからウェーサーカ祭おめでとうございす(*^^*)

きのうあるツイッターを見ていたら、「明日死ぬかもしれない、と思って生きている」という言葉に出会いました。もちろん仏教徒の人のツイートです。
分かっているはずのことなのに、はっとしました。実際に覚悟をして生きている人の言葉は重いですね。

明日死ぬかもしれない、と思うと、ふっと様々な執着が手放せます。
せっかくの連休ですし、お掃除したり、瞑想したり、有意義に過ごそうと思います。
あすか
2012年04月29日 12:19

宇宙の中の地球という稀な環境に
生命として中でも人間として誕生し
病気、事故、災害の危機をのりこえ
まだ生きていられること。
今日本のこの場所で暮らせること。
ブッダの言葉に出会い、学ぼう、
実践しようという機会に恵まれたこと。
この確率の低さ、まさに奇蹟ですね。

そしてカエルくんや他の方の言うように
明日や今夜に終わるかもしれない命。
最近は無理やりでもいいから
すごく長生きしたいとは思いません。
今すぐ終わっても後悔しないよう、
貴重な機会を無駄にしないよう、
一日、いや、一秒一秒を大切に
過ごすよう心がけています。

・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・

お仕事の方も、お休みの方も、
どうぞよいゴールデンウィークを
お過ごしください。^^
こころざし
2015年10月26日 07:55
折角人間に生まれてきたので、心が成長出来るような生き方をしたいです。出来る善行為を機会をいかして実行し、そして善業を詰めるような人生になるようにしたいです。
悟りを得られたら良いと思いますが、まずはとにかく実践していきたいと思います。