不放逸を 楽しむ比丘は 放逸恐れ 道を外れず 涅槃に近い(32)

阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。


アッパマーダラトー   ビック
Appamādarato     bhikkhu,
不放逸を楽しみ     比丘は

パマーデー  バヤダッスィ  ワー
pamāde    bhayadassi   vā;
放逸を    恐れと見る  または

アバッボー    パリハーナーヤ
Abhabbo      parihānāya,
不可能であり   衰退(堕落)は

ニッバーナッセーワ  サンティケー
nibbānasseva       santike.
涅槃こそが       面前に(ある)


不放逸を楽しみ、または放逸を恐れと見る比丘は 
衰退(堕落)は不可能であり、涅槃こそが面前に(ある)。


○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
http://76263383.at.webry.info/200901/article_18.html
http://76263383.at.webry.info/200911/article_21.html


○一口メモ
この詩は31番の詩の前半2行と同じです。
すなわち「不放逸を楽しみ、または放逸を恐れと見る比丘は」が同じなのです。

そのような比丘ならば、修行の道から外れることがなく、もうすでに涅槃の近くに居るというのがこの詩の趣旨です。

よく私にメールをくれる方がいます。その人があるとき病気になり、瞑想を思うようにできなくなりました。私は病気の時は、瞑想を休んで病気を治して下さいとメールしました。しかし、その人は瞑想を休むと自分が堕落するのではないかと心配していました。

不放逸を楽しみ、放逸を恐れる人は堕落することなく、涅槃の近くにいるので、安心して瞑想は休んで治療に専念すればよいのです。不放逸を楽しむ人は、どんな状況でも、正しい気づきを実践することができるはずです。

繰り返しますが、不放逸を楽しみ、放逸を恐れる人の心の状態とはすごいことですね。それだけで、「堕落することはなく、涅槃の近くに居る」とブッダが言われるのですから。
この詩で第2 不放逸の章が終わります。

不放逸を 楽しむ比丘は 放逸恐れ 道から外れず 涅槃に近い


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。

この記事へのコメント

そうじ
2012年04月08日 06:41
いつもブログを拝見させていただいています。

不放逸が大事であるということですが難しいことですね。わたしなどは仕事終わりには何を食べようかがぐるぐるまわりますし、月末には給料のやりくりに悩みます。

生きていくのはいろいろな感覚やそれにたいする反応、考えかたの癖などに振り回されることなのではないかと参ることが多いです。

そんななかで、その生き方は放逸で生命として的を得た生き方ではなく、べつの不放逸の生き方があるということを学べる機会を得られるのは大変励みになります。
ワンギーサ(ブログ管理者)
2012年04月08日 09:10
皆さん、おはようございます。
原因はわかりませんが、現在みなさんのコメントが表示できなくなっています。
いずれ、復旧すると思いますが、しばらくお待ちください。
こころざし
2015年10月19日 07:38
本文の「不放逸を楽しみ、放逸を恐れる人の心の状態とはすごいことですね」を拝見し、不放逸の大切さを分かっても日常でどれだけ出来ているか・・と反省致しました。
忙しい時もそうでない時も、その時々の不放逸が出来るように精進したいです。