愚か者 自分の敵が するように 自分に対して 行うものだ(66)

阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。

チャランティ  バーラー  ドゥンメーダー
Caranti     bālā     dummedhā,
行う      愚かな   浅はかな人々は   

アミッテーネーワー   アッタナー
amitteneva       attanā;
敵のように       自分を

カローンター  パーパカン   カンマン
Karontā     pāpakaṃ    kammaṃ,
為して      悪い     行為を

ヤン     ホーティ    カトゥカッパラン
yaṃ      hoti      kaṭukapphalaṃ.
その     ある      からい果実(結果)が


○直訳
愚かな浅はかな人々は
自分を敵のように行う
悪い行為を為して
そのからい果実(結果)がある


○一口メモ
意訳は次の通りです。「愚か者は、自分の敵が行うように、悪い行為をして、自分が不幸になるようにする」ということです。

この詩により、愚か者に新しい意味が付け加わりました。すなわち、愚か者は、悪行為の結果を理解しない(考えない)ということです。悪行為の結果を考えない者は愚か者なのです。

悪い行為の結果を考えれば、不幸な結果になりますから、悪い行為はできなくなるのです。そのため、悪い行為をしないはずです。

行為とその結果を考えることは、原因と結果を考えることなのです。行為が原因でその結果があるのです。原因と結果の関係は複雑な条件のもとで現れます。すなわち縁起の法則に従っているのです。そのため単純に具体的な結論は出せないのですが、善因善果、悪因悪果の因果法則は間違いはないのです。

例えば、他の生命を殺したらどうなるか? 自分も殺される可能性があるということです。自分の生命を維持する権利がなくなります。生命を維持する権利の喪失は巨大な恐怖です。その恐怖は、死後にも持ち越され、いわゆる地獄に行くという状況になるのです。

与えられてない他人の物を取ったらどうでしょうか? 自分のものが取られるということです。(取り返されるだけでなく、それ以上の罪がかせられます。)それが嫌ならば取ってはいけません。

不倫したらどうですか?不倫をされても文句はいえません。それが嫌ならば不倫をしてはいけません。配偶者との良好な人間関係が崩れ、幸せな家庭ではなくなるのです。

嘘をついたらどうでしょか? あなたも嘘をつかれるおそれがあるのです。あなたは相手の信頼を裏切ったのです。それはただで済むことではありません。不幸になるのに決まっています。

お酒を飲んだらどうでしょうか? あなたの行為から理性が失われます。感情的な行為は、仕事や人間関係を失敗に導きます。また身体と精神を破壊し、経済的にも損失です。明らかに不幸になるのです。

少し、悪行為の結果を考えれば、悪行為はできないはずです。それでも悪行為を行う人は愚か者なのです。


「愚か者 自分の敵が するように 自分に対して 行うものだ」


○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
http://76263383.at.webry.info/200902/article_14.html
http://76263383.at.webry.info/200912/article_18.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。

この記事へのコメント

カエルくん
2012年05月11日 05:34
愚か者とは、自分自身のこと。そう考えると、毎日生きてるだけで悪因を作り続けていることになりますね。
注意深く五戒を守ること。十善の中でも特に言葉に関する戒律を守ることにチャレンジしたいです。
無駄話をやめること。これが一番の壁になりそうです。
でも戒律を守ることが、悪因を減らして自分自身を守るのだ、と考えると、チャレンジしがいがあります。
がんばります。
ぱん
2012年05月11日 06:37
ワンギーサさん

昨日はコメント欄で、またハンドルネームでの質問にもかかわらず、答えられる範囲で質問に答えていただきありがとうございました。とても参考になりました。さて、今朝は、悪因悪果、善因善果の話と、五戒の話だと思います。「戒はファイナルターゲットである涅槃の土台。戒は自分を縛るためではなく、護るためにある。」ということをヤサさんに教わったことがあります。完全には守れなくても、守れるように心がけたいと思います。
あすか
2012年05月11日 08:28
原因と結果について、
やや間があくものについても
こういうわけかな、と
考えるようになってきました。

たとえば人間関係など、
直接相手に何かしたわけでなくても
道徳を守らないなどの悪行為が
積もり積もって帰ってくる、とか。

決まりを守り、雰囲気を大切に、
慈悲の心を持って行動するようにしてみたら
まわりも変わりました。

もっと複雑な因縁はどう関係するのか
頭では到底理解できません。
しかし善い行為には善い結果が、
と信じて責任を持って行動します。
noritarou
2012年05月11日 10:08
私は、最高に幸せだと感じているときは、なぜか、「艱難辛苦を与えて下さい」と同時に無意識にお祈りしているのです。
昨日、私の関係者に事故がありました。
私も事故が起きた結果の「条件」になっています。
この現実は業の結果です。それにしても苦しいです。
記憶や、感情、感覚にサティを入れていると、苦しみが和らいできます。
それにしても、人間の思いとは、何と重いことでしょう。
苦しみ、執着が作られる原因を教えてくれる釈尊の教えに帰依します。
悲しいことに、苦しみがなければ、私のような愚者は人生から何も学べないのでしょう。
私も、善行為の功徳を積みたいです。
こころざし
2015年10月30日 08:29
悪いことをする時に、悪業をためてしまう恐ろしさに気が付ければやめれます。ですが、気が付けないとさっとやってしまう自分がいます。
その今自分がやろうとしている事は悪業をためる事でないのか?確認してからそうであればやめるように→確認しなくても悪業はしない域まで行けるように努めたいです。