後悔し 涙を流す ことになる その行為は 善くない行為(67)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。
ナ タン カンマン カタン サードゥ
Na taṃ kammaṃ kataṃ sādhu,
ない その 行為は 為された 善く
ヤン カトゥワー アヌタッパティ
yaṃ katvā anutappati;
それを 為して 後悔する(ならば)
ヤッサ アッスムコー ローダン
Yassa assumukho rodaṃ,
その 涙顔で 泣く人が
ウィパーカン パティセーワティ
vipākaṃ paṭisevati.
報いを 受ける(ならば)
○直訳
それを為して後悔する(ならば)
その泣く人が涙顔で
報いを受ける(ならば)
その為された行為は善くない
○一口メモ
今日と明日の詩には「愚か者」いう言葉はないのです。しかし、「愚か者の章」の中に置かれています。それは愚か者に何が悪行為であり、何が善行為かを教えるための詩だからです。
今回の詩は、何が悪行為か教える詩です。何か行為して、あれはやらない方が良かったと後で後悔するようならば、あるいはその行為で泣き面になるような苦しみにあうようならば、その行為は悪行為なのです。結果をみれば、それが悪行為かどうか判断できるのです。
しかし、結果から悪行為かどうか行為を判断するのでは遅い、「あとの祭り」と言うこともあります。行為する前に悪行為かどうか知って、悪行為であるならばその行為はやらないことが必要です。
そのためには、十悪行為を具体的に知ってその行為をやらないことです。それらは次の十の行為です。①殺生(殺す)・②偸盗(盗む)・③邪淫(邪な行為をする)・④妄語(嘘を言う)・⑤両舌(噂を言う)・⑥綺語(きご:無駄話を言う)・⑦麁悪語(そあくご:悪口を言う)・瞋恚(心で勝手に妄想する怒り)・貪欲(心で勝手に妄想する欲)・邪見(間違った意見を持つ)。
十悪行為を覚えられない方は、自分の心を観察してください。心が欲か怒りか無知に支配されている時の行為は全て悪行為になります。その時は、どんな行為もしてはいけません。なにもしないで、心を静めて下さい。そして、慈悲の瞑想を行って下さい。心をうまくコントロールできない時は、「生きとし生けるものが幸せでありますように」と繰り返し唱えて、心を慈悲の心で満たしてください。
「後悔し 涙を流す ことになる その行為は 善くない行為」
○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
http://76263383.at.webry.info/200902/article_15.html
http://76263383.at.webry.info/200912/article_19.html
○人生の万能薬(慈悲の瞑想)
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように
*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。
ナ タン カンマン カタン サードゥ
Na taṃ kammaṃ kataṃ sādhu,
ない その 行為は 為された 善く
ヤン カトゥワー アヌタッパティ
yaṃ katvā anutappati;
それを 為して 後悔する(ならば)
ヤッサ アッスムコー ローダン
Yassa assumukho rodaṃ,
その 涙顔で 泣く人が
ウィパーカン パティセーワティ
vipākaṃ paṭisevati.
報いを 受ける(ならば)
○直訳
それを為して後悔する(ならば)
その泣く人が涙顔で
報いを受ける(ならば)
その為された行為は善くない
○一口メモ
今日と明日の詩には「愚か者」いう言葉はないのです。しかし、「愚か者の章」の中に置かれています。それは愚か者に何が悪行為であり、何が善行為かを教えるための詩だからです。
今回の詩は、何が悪行為か教える詩です。何か行為して、あれはやらない方が良かったと後で後悔するようならば、あるいはその行為で泣き面になるような苦しみにあうようならば、その行為は悪行為なのです。結果をみれば、それが悪行為かどうか判断できるのです。
しかし、結果から悪行為かどうか行為を判断するのでは遅い、「あとの祭り」と言うこともあります。行為する前に悪行為かどうか知って、悪行為であるならばその行為はやらないことが必要です。
そのためには、十悪行為を具体的に知ってその行為をやらないことです。それらは次の十の行為です。①殺生(殺す)・②偸盗(盗む)・③邪淫(邪な行為をする)・④妄語(嘘を言う)・⑤両舌(噂を言う)・⑥綺語(きご:無駄話を言う)・⑦麁悪語(そあくご:悪口を言う)・瞋恚(心で勝手に妄想する怒り)・貪欲(心で勝手に妄想する欲)・邪見(間違った意見を持つ)。
十悪行為を覚えられない方は、自分の心を観察してください。心が欲か怒りか無知に支配されている時の行為は全て悪行為になります。その時は、どんな行為もしてはいけません。なにもしないで、心を静めて下さい。そして、慈悲の瞑想を行って下さい。心をうまくコントロールできない時は、「生きとし生けるものが幸せでありますように」と繰り返し唱えて、心を慈悲の心で満たしてください。
「後悔し 涙を流す ことになる その行為は 善くない行為」
○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
http://76263383.at.webry.info/200902/article_15.html
http://76263383.at.webry.info/200912/article_19.html
○人生の万能薬(慈悲の瞑想)
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように
*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。
この記事へのコメント
以前、独り暮らしをしていたことがあります。最初家具もなにもないところからスタートしました。
そのとき、父が思いついたようにお盆をくれました。
100円ショップで買ったプラスチックのおぼんでしたが、みかん模様でとてもかわいいものでした。
そのお盆に食事をのせるたびに、さみしい気持ちがなぐさめられたのを覚えています。
父の慈しみの気持ちが伝わってきたからだと思います。
私も人に、慈しみの心を贈れる人になりたいです。
釈尊祝祭日 ウェーサーカ祭 2012年5月12日 日本テーラワーダ仏教協会
http://www.j-theravada.net/wesak2012/
あたりまえのようですが
全てにおいて妥協せず実行するのは
なかなか努力を必要とするものです。
それでも、しっかり考えて
最善をつくしたのであれば
たとえ意にそぐわない結果でも
後悔はしないで済みます。
今の課題は邪見、妄想でしょうか。
余計なことは考えず、
慈悲の心で行動してみます。
慈しみの気持ちをもって、上記の悪行為をしないよう・減らせるように努めます。
https://noritsu.seesaa.net/article/201205article_12.html