悪行為 すぐに結果が でなくとも 悪業として 付いて来るのだ(71)

阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。


ナ   ヒ    パーパン  カタン   カンマン
Na   hi    pāpaṃ    kataṃ   kammaṃ,
ない  実に   悪を     行った  業が    

サッジュ   キーランワ     ムッチャティ
sajju      khīraṃva    muccati;
直ぐに    牛乳が ように   固まら

ダハンタン   バーラマンウェーティ
Ḍahantaṃ    bālamanveti,
燃えながら   愚者に付いて行く

バスマッチャンノーワ    パーワコー
bhasmacchannova      pāvako.
灰に 覆われた ように   火の


○直訳
実に悪を行った業が
牛乳が直ぐに固まらないように
灰におおわれた火のように
燃えながら愚者に付いて行く


○一口メモ
この詩を理解するためには、業について理解しておいた方がよいと思います。

業について次のように語られています。「一切の生命は業に作られ、業を相続し、業から生まれ、業を親族とし、業に依存し、自分がする善悪の行為の結果は自分が受けるのである。」

この意味は業を行為のエネルギーと置き換えてみると分かりやすいと思います。すなわち、「一切の生命は行為のエネルギーによって作られ、行為のエネルギーを受け継ぎ、行為のエネルギーから生まれ、行為のエネルギーから離れることなく、行為のエネルギーを頼りにして、自分の善悪の行為エネルギーは自分が受けるのである。」(行為のエネルギーはまだ現れていない潜在的なエネルギーの場合もあります。)

このように考えますと、私とは業のかたまりのようなものです。
私たちは善い行為も悪い行為もしますので、私たちは善悪の業のかたまりです。
悪い行為をすると悪い業が付け加わることになるのです。
もちろん、善い行為をすると善い業が付け加わります。

愚か者は、行為の結果を考えずに、本能に従って、すなわち欲や怒りに従って行為をしてしまうものなのです。その行為は悪行為になります。

この詩で述べられていることは、悪い行為の結果がすぐに現れない場合であっても、業として、愚か者について、離れないのだと教えているのです。だから決して悪い行為をしないように注意することだと教えているのです。

自分の行為が業として、自分を作っていることを理解できれば、自分の行為をよく観察して、悪行為をしない人間になります。それは解脱の道につながっているのです。

「悪行為 すぐに結果が でなくとも 悪業として 付いて来るのだ」


参考図書:スマナサーラ長老著「常に観察すべき五つの真理」(施本:次のアドレスで読むことができます。)
http://gotami.j-theravada.net/2011/08/pdfabhihapaccavekkhitabbahanas.html


○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
http://76263383.at.webry.info/200902/article_18.html
http://76263383.at.webry.info/200912/article_22.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。

この記事へのコメント

カエルくん
2012年05月16日 06:18
おはようございます。

業は行為のエネルギー、との説明、とても分かりやすかったです。
ありがとうございます。

仏教を知る前に、また知ってからもどれだけ悪行為を重ねたろうか…、と考えると怖くなります。
でも過去にとらわれてはいけないですよね。
意識して善行為を積み重ねることが大切なのだと思いました。
ぱん
2012年05月16日 07:18
悪い行為には悪い結果がついてくる。
悪因悪果であることを、観察し、理解することで、
自分の立ち居振る舞いを気をつけたいと思います。
noritarou
2012年05月16日 09:34
(本気の、あるいは言葉だけでも)慈悲の瞑想などは、
将来の自分に働きかける善行為になると感じます。
現在、そして将来の業に働きかけることにもなると感じます。
日々の心がけが、いかに大切かと痛感します。
あすか
2012年05月16日 09:48
その瞬間、理不尽に思える悪いことも、
何か遠いつながりがあるのだろう、
と考えることで無益な怒に
ふりまわされることはなくなりますね。

よく、コップの水の例えが出てきます。
今の心はまだ汚れた水かもしれません。
毎日、一滴一滴ずつでも「善行為」という
澄んだ水を加えていけば、
これ以上、汚れることもないですし、
いつかはきれいになるでしょう。

今すぐはもちろん、遠い未来であれ、
悪い結果をこうむるような行為は
慎しむようにします。
こころざし
2015年10月31日 18:07
私事ですが、欲や怒りで心が曇ると、気を付けないとその曇り度合いがどんどん深まり→悪業が溜まる様な印象を感じます。
また、善行為的な事をした時にも、良かった♪と舞い上がってしまうと、心が透明にならないように思います。
一つ一つの行動を注意して、悪行為をし悪業を溜める事がないように努めたいです。