愚か者 考えるならば 害ばかり 幸運と頭脳を 壊すこととなり(72)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。
ヤーワデーワ アナッターヤ
Yāvadeva anatthāya,
ても 利益にならない
ニャッタン バーラッサ ジャーヤティ
ñattaṃ bālassa jāyati;
考えが 愚者に 生じ
ハンティ バーラッサ スッカンサン
Hanti bālassa sukkaṃsaṃ,
害し 愚者の 幸運と
ムッダマッサ ウィパータヤン
muddhamassa vipātayaṃ.
頭を 彼の 破壊している
○直訳
愚者に考えが生じても
利益にならない
愚者の幸運を害し
彼の頭を破壊している
○一口メモ
この詩の解説は、すでに愚か者の特質を理解している読者には必要ないと思います。愚か者は原因と結果についてまじめに考えようとしない人ですが、たまには考えることもあります。
その際、考えることは欲と怒りと無知に基づいていますから、その考えは悪行為なのです。その考えは自分のためにも他の人々のためにならないのです。その考えは、せっかく人間として生まれた幸運をぶち壊し、頭を混乱させ、自己破壊に導くことになるのです。あわれといか言えませんが、自業自得です。
このようなことにならないためには、愚か者を卒業しなければなりません。
そのためには、自分は真理を知らない愚か者である自覚が必要です。
また、自分の行為の結果をよく考えて、自分が不幸にならないようにしなければなりません。悪行為はしないように、善い行為をするように努力しなければなりません。
話しは変わりますが、仏教では行為を①身体による行為、②言葉による行為、③心(頭)による行為と三つに分類して考えます。(身口意の三業) 行為は③から始まり、②、①と続きます。③で終わる場合や②まで行く場合、③まで行く場合があります。行為の回数としては、③が一番多く、次は②で、その次は①です。エネルギーとしてみると①の場合が一番大きいのです。(行為=業として読んで下さい。)
例を挙げて考えましょう。ある人が「殺してやる」と考えます。これは③の行為です。これは何回も考えることができます。回数は多いのです。悪行為であればそれを数多く繰り返すことになり危険です。妄想の危険性はここにあります。
次に「殺してやる」と②言葉にだします。これは③より大きなエネルギーが必要です。しかし、回数は③より多くないのです。
実際に殺します。①の行為です。これは回数は1回です。しかし②③より非常に大きなエネルギーが必要です。ですから、7代先の生まれ変わりまで、このエネルギーは消えないと言われています。
この詩は③についてのものですが、③は②①にも影響を及ぼす重要な事柄なのです。また昨日述べた愚か者が犯す悪業がどのような結果を述べた詩でもあるのです。
「愚か者 考えるならば 害ばかり 幸運と頭脳を 壊すこととなり」
○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
http://76263383.at.webry.info/200902/article_19.html
http://76263383.at.webry.info/200912/article_23.html
○人生の万能薬(慈悲の瞑想)
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように
*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。
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記事内容の改善の参考にしたいと思っています。
ヤーワデーワ アナッターヤ
Yāvadeva anatthāya,
ても 利益にならない
ニャッタン バーラッサ ジャーヤティ
ñattaṃ bālassa jāyati;
考えが 愚者に 生じ
ハンティ バーラッサ スッカンサン
Hanti bālassa sukkaṃsaṃ,
害し 愚者の 幸運と
ムッダマッサ ウィパータヤン
muddhamassa vipātayaṃ.
頭を 彼の 破壊している
○直訳
愚者に考えが生じても
利益にならない
愚者の幸運を害し
彼の頭を破壊している
○一口メモ
この詩の解説は、すでに愚か者の特質を理解している読者には必要ないと思います。愚か者は原因と結果についてまじめに考えようとしない人ですが、たまには考えることもあります。
その際、考えることは欲と怒りと無知に基づいていますから、その考えは悪行為なのです。その考えは自分のためにも他の人々のためにならないのです。その考えは、せっかく人間として生まれた幸運をぶち壊し、頭を混乱させ、自己破壊に導くことになるのです。あわれといか言えませんが、自業自得です。
このようなことにならないためには、愚か者を卒業しなければなりません。
そのためには、自分は真理を知らない愚か者である自覚が必要です。
また、自分の行為の結果をよく考えて、自分が不幸にならないようにしなければなりません。悪行為はしないように、善い行為をするように努力しなければなりません。
話しは変わりますが、仏教では行為を①身体による行為、②言葉による行為、③心(頭)による行為と三つに分類して考えます。(身口意の三業) 行為は③から始まり、②、①と続きます。③で終わる場合や②まで行く場合、③まで行く場合があります。行為の回数としては、③が一番多く、次は②で、その次は①です。エネルギーとしてみると①の場合が一番大きいのです。(行為=業として読んで下さい。)
例を挙げて考えましょう。ある人が「殺してやる」と考えます。これは③の行為です。これは何回も考えることができます。回数は多いのです。悪行為であればそれを数多く繰り返すことになり危険です。妄想の危険性はここにあります。
次に「殺してやる」と②言葉にだします。これは③より大きなエネルギーが必要です。しかし、回数は③より多くないのです。
実際に殺します。①の行為です。これは回数は1回です。しかし②③より非常に大きなエネルギーが必要です。ですから、7代先の生まれ変わりまで、このエネルギーは消えないと言われています。
この詩は③についてのものですが、③は②①にも影響を及ぼす重要な事柄なのです。また昨日述べた愚か者が犯す悪業がどのような結果を述べた詩でもあるのです。
「愚か者 考えるならば 害ばかり 幸運と頭脳を 壊すこととなり」
○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
http://76263383.at.webry.info/200902/article_19.html
http://76263383.at.webry.info/200912/article_23.html
○人生の万能薬(慈悲の瞑想)
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように
*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。
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この記事へのコメント
職場の先輩にいじめられ気味なことを、別の先輩に告げ口してしまいました!
その瞬間は楽になったのですが、後で自己嫌悪でいっぱいになりました。
いじめはやみましたが、後悔でいっぱいです。
告げ口は悪口に相当するのでしょうか。
とにかく、行為をした後でいやな気持ちになる、というのは悪行為の証拠だと思います。
愚か者を卒業するのは難しいですね。
同僚との穏やかな関係を目指して、精進しようと思います。それにはやはり慈悲の瞑想が大事なのかなと思います。
まわりにはわかりませんが
悪い心から生まれる妄想が
どれほど害を与えているか
よく観察するとわかることですね。
後悔や不安から心の病気になる。
恨み妬みで勝手に苦しむ。
欲しい嫌だ退屈が暴走をはじめる。
慈悲の心で今できることをやる。
実はシンプルな解決方法。
実際、毎日が楽になってきました。
━ ─ ━ ─ ━ ─ ━
職場などでの人とのかかわり方、悩みますね。
仕事中、どうでもいい個人的な質問をされたり。
いわゆる三面記事のような話をされたり。
無駄話はしないことにいているのですが
相手を傷つけず、雰囲気も気まずくならないよう、
どうかわせばいいのか毎日悩んでいます。
と、未来のことを考えるのは、妄想ですね。
過去を思い悩まず、また未来を思い悩まず、
今に集中、今に集中。
職場や家庭の、人付き合い、難問です。
こんばんは。毎日コメントありがとうございます。
皆さんの今の問題は今のあなた方に必要な問題なのだと思います。
問題がなければ、自分自身の問題に気づけないのです。
問題があるから前進できるのです。
ですから、難問に戸惑うことなく、悩むことなく、挑戦してください。
問題により智慧が開発され、問題に感謝することになるでしょう。
アドバイスありがとうございます。
たしかに、どこに逃げても
なぜか同じような問題、課題にぶつかり、
意を決して立ち向かい乗り越えたら
もう現れなくなったという経験があります。
(そのときは「せっかく出来るようになったのに」
と、またまた欲や怒がでたりしましたが^^;)
今の状況からもたくさん学ぶことが
待っているのですね。成長できると
考えるとこれからが楽しみです。
やりがいのある課題なのだと考え
いろいろやってみることにします。
自分は真理を知らない愚か者であるとの自覚を持ち、そして愚か者を脱する事が出来るように努めたいです。
https://noritsu.seesaa.net/article/201205article_17.html