花の香は 山を越えぬが 徳の香は 山越え空越え 天までとどく(56)

阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。


アッパマットー   アヤン   ガンドー
Appamatto     ayaṃ   gandho,
少量         この    香り

ヤーヤン   タガラチャンダニー
yāyaṃ      tagaracandanī;
所の この  タガラ ビャクダン

ヨー   チャ   スィーラワタン  ガンドー
Yo       ca     sīlavataṃ     gandho,
所の人は  しかし  戒を守る     香り

ワーティ  デーワース  ウッタモー
vāti     devesu    uttamo.
香る    天まで    最高


○直訳
このタガラ、ビャクダンの
香りは少量(である)
しかし、天まで香る戒を守る人の
香りは最高(である)。


○一口メモ
今回の詩は、香りの量について述べています。
タガラ、ビャクダンの香りは少量だと言うのです。
一方、戒(道徳)を守る人の香りは、天にまで香るのですから、また、すでに述べられているように、全方向に香るのですから、その量は相当なものと考えられます。

道徳を守る人の香りは大量だということは何を意味しているのでしょうか?
道徳を守る人の香りとは慈悲喜捨の心の香りです。
この香りとはエネルギーと考えてもいいのです。
つまり、道徳を守ることによって、慈悲喜捨のエネルギーが世界に宇宙に満ち溢れる(天まで香ることの意味)ということです。

しかし、ブッダはこのように仰っておられますが、
私たちはあまりそのようには感じてはいないと思います。
何故でしょうか?

それは私たちの自我が、それに気づけないようにしているのです。
自分で自分の限界を作る自我が、その事実を見せないのです。
自我は自分と他人を区別して、人々や生命を差別します。
自我は自分を正当化し、自分の誤りをみとめません。
自我は自分の思うようならなければ、怒ったり、落ち込んだりします。
自我は多くの悩み苦しみの原因なのです。
自我は自分の力を小さな殻に閉じ込めていますが、
自我を捨てて、この詩の意味を理解できれば、
自分を自我の殻から解放して、自由にすることができるのです。

道徳を守る人のエネルギーは、大量で、天まで届きますから
神々をも励ますことができるのです。
これが神々に回向できる根拠です。

「花の香は 山を越えぬが 徳の香は 山越え空越え 天までとどく」


○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
http://76263383.at.webry.info/200902/article_6.html
http://76263383.at.webry.info/200912/article_10.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。

この記事へのコメント

カエルくん
2012年05月02日 05:57
おはようございます。
今日の詩は、ずいぶんスケールが大きいですね。
道徳を実践して、心を山越え空越え広げられたらどんにいいだろうかと思いました。
自我がそれをはばむのですね。
もうこれ以上苦しみたくないと思っているのに、一方で自我を手放せずにいる。矛盾ですね。
慈悲喜捨の心を広げて、道徳を実践して、自我を手放せる日がきますように。
カラスさん
2012年05月02日 10:53
今日はワンギーサ先生の詩だけを見てとりあえず投稿させて頂きます。後できっちり法話も読ませていただきます。

近くにいても、離れていても関係なしに、何時でも誰にでもすべての生き物に対して、優しい心で有り続けようと思いました。遠くの人の事だから関係ないとか、何も出来ないからと逃げずに、優しい心であり続けようと思いました。

慈悲喜捨このことは一生もち続けようと思いました
あすか
2012年05月02日 10:53
「自我」手強いですね。
それでも戒を守ることで
暴走は防げそうです。

少しずつでも自我が
薄まっていきますように。
こころざし
2015年10月27日 08:44
私観で恐縮ですが、自我は鎧の様なものと感じました。それを着ていると敵が来た時に安心かもしれませんが、重いし身動きはとりづらいし、何より感性が下がるように思います。
自我を捨てると、分かる事・出来る事があるように思います。自我を捨てて道徳を守る生き方が出来る度合いを増やして参りたいです。