比丘たちは 利得を捨てて 涅槃取り 尊敬望まず 離れて学べ(75)

阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。


アンニャー    ヒ    ラーブーパニサー
Aññā        hi    lābhūpanisā,
他の(一つ)は  実に  利得に導く道

アンニャー     ニッバーナガーミニー
aññā         nibbānagāminī;
他の(一つ)は   涅槃に至る道

エーワメータン   アビンニャーヤ
Evametaṃ      abhiññāya,
このように      よく知って

ビック    ブダッサ     サーワコー
bhikkhu    buddhassa    sāvako;
比丘は    ブッダの    弟子の

サッカーラン  ナービナンデッヤ
Sakkāraṃ     nābhinandeyya,
尊敬を      喜ばずに

ウィウェーカマヌブルーハイェー
vivekamanubrūhaye.
遠離を修するがよい


○直訳
他の一つは利得に導く道
他の一つは涅槃へ至る道
このようによく知って
ブッダの弟子の比丘は
尊敬を喜ばずに
遠離を修するがよい


○一口メモ
これは「愚か者の章」最後の詩です。
章の最後の詩はその章のまとめになる詩が多いのです。
しかも、その詩は次の章へ招待する詩になっているのです。

このことは、あまり知られてないダンマパダの秘密です。
もう一度皆さんも、各章の最後の詩に戻って鑑賞してみて下さい。
それが分かります。ダンマパダを編集した阿羅漢たちは編集の天才なのです。

ブッダの弟子である比丘の前に、二つに分かれた道が続いていました。
一つは利得に導く道です。この道は裕福な信者さんが多く住んでいて、托鉢に行けばおいしいお布施をたくさんもらえます。しかし、信者さんとの付き合いも増えて、修行の時間が無くなります。

もう一つは涅槃に至る道なのです。この道は人里離れた静かな森につながる道です。森には猛獣や、毒蛇、毒虫などもいる危険な場所でもあるのです。しかし、誰にも邪魔されることなく、修行に集中できるのです。

もし、この比丘がこの章で学んだような愚か者であったら、利得に導く道を進むのです。その結果は、欲に基づく行為ですから、修行は完成せず、善い結果にはなりません。苦しみの輪廻を繰り返すことになるのです。もし、この比丘が次の章で学ぶような賢者であったら、涅槃に至る道を進むのです。それは、困難な道に見えますが、最終目標である涅槃に至り、輪廻から解脱するのです。

人生は、上に述べた人生の一大事である大きな岐路もありますが、実際には小さな岐路の連続です。小さな岐路とはいえ、一つは幸福への道、もう一つは不幸への道です。道徳を守る道、五戒を守る道は幸福への道です。道徳、五戒を守らない道は不幸の道です。これを基準に、どんな岐路においても正しい選択をしてください。

それでも選択が難しい時の裏ワザは、慈悲の心で選択することです。自分が幸せになるように、相手が幸せになるように、皆が幸せになるように選択すれば、それは正しい選択になると思います。

さて、それでは明日からは「賢者の章」の詩で智慧のある行為について学びましょう。

「比丘たちは 利得を捨てて 涅槃取り 尊敬望まず 離れて学べ」


○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
http://76263383.at.webry.info/200902/article_21.html
http://76263383.at.webry.info/200912/article_25.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


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この記事へのコメント

カエルくん
2012年05月20日 05:50
おはようございます。

小さな岐路の連続というと、一瞬一瞬、手を抜けなくなりますね。
五戒を守るのは本当に奥が深いです。
初めは何気なく、守ってみようかなあ、くらいの気持ちでチャレンジし始めたのですが、最近ではこれは一生かかる大仕事に思えてきました。
こちらが本業、と心得て、日々の些末なあれこれを乗り越えていきたいと思います。
あすか
2012年05月20日 07:40
最後がまとめというのはわかりますが、
次章への伏線にもなっているとは。
ダンマパダは勉強になるだけでなく、
いろいろな角度から何度でも
一生、興味深く楽しめそうですね。

お釈迦様ももちろんすばらしい方ですが
阿羅漢の皆様もけたはずれ。そして
日本語に訳して下さった方々
解説してくださる方々にも感謝。

そうした方々のおかげで原文も見られ、
日本語でも読め、ありがたいことです。

 + + + + +

大きな岐路だとよく考えるのですが、
小さな岐路だと気づかずにする
悪い心での選択に注意が必要ですね。

どんなに小さなことでも、必ず、
自分と相手とみんなの為になる方を
選ぶようにします。

こうして修行を続けていると
一見、単調な普通の毎日も、
退屈どころか学びがいっぱい。
とても楽しいです。
ありがとうございます。
とも
2012年05月20日 18:01
先生 こんにちは
今日は小さな岐路でことごとく悪い方を選択してしまいました。食欲に負けお菓子を食べ過ぎてしまいました。それで後悔と自己嫌悪からイライラして人に嫌なことを言ってしまいました。ちょっとした選択の誤りから、悪い方へ悪い方へ膨らんでいく感じです。少しストレスがかかると食べ過ぎてしまいます。仏教に出会い、性欲や物欲はかなり減りましたが食欲だけはなかなか減りません。命に維持に直結しているからでしょうか。食欲を抑える方法やコツがあればお教え下さい。よろしくおねがいします。
ワンギーサ
2012年05月20日 20:19
ともさんの質問にお答えします。

イライラすると、それを紛らわそうとして、いろいろ食べてしまう傾向があります。ですから、イライラしないようにすることです。心が落ち着いている時は過剰な食欲はおこりません。
心を落ち着かせることが大切です。
具体的には、何か食べたくなったら、すぐに慈悲の瞑想か、歩く瞑想をすることです。
不思議と食欲がおさまります。
ついでに申しあげますが、眠気や性欲の防止にも、慈悲の瞑想と歩く瞑想は有効です。
是非、お試しになって下さい。


あすか
2012年05月21日 08:17
食欲の件、私も大変参考になりました。
他の欲は刺激(情報)そのものに
なるべく関わらない方法もあるのですが
食欲ばかりは食べないわけにいかないので。

「やらない」ということはなんとかできても
「はじめてしまってから、程々でやめる」
というのは、とても難しいです。
不要な物は食べない。必要なだけ食べたら、
「ごちそうさま」して瞑想をはじめてみます。

心のおけいこをするようになってから
体の要求していると空腹と
イライラ解消や、頭で試してみたいだけの
「食べたい」との違いがわかってきました。
「わかる」から「コントロールできる」
となるのはまだまだですが。^^;
きっと少しずつ進歩すると信じて
がんばります。

ともさん、私もですよ。お互い
心おだやかになれるといいですね。

ともさんも、欲がおさまり、
幸せになりますように。

生きとし生けるものが
幸せになりますように。
こころざし
2015年11月02日 06:27
日常を送っていく中で、分岐点的なものは少なからず生じます。慈しみの気持ちを持って、利得ではなく→涅槃へ至る道の方に行けるように注意したいです。
コメントを拝見し、食欲・性欲・眠気から安易に修行が出来ない状況に陥る自分が浮かびました。恥ずかしながら、以前冥想合宿に参加していながら、参加者の女性に目を奪われた体験もしています。頂けない自分を律し、そして成長出来るように精進して参りたいです。