煩悩の 大河を渡る 人わずか 多くはこちらで 悩み苦しむ(85)

阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。


アッパカー  テー   マヌッセース
Appakā    te     manussesu,
少ない    彼らは  人々において

イェー ジャナー  パーラガーミノー
ye    janā    pāragāmino;
その  人は    彼岸に行く人 (である)

アターヤン  イタラー  パジャー
Athāyaṃ    itarā    pajā,
またこの    他の   人々は

ティーラメーワーヌダーワティ
tīramevānudhāvati.
岸 のみ 走り回る


○直訳
彼岸に行く人である
その彼らは人々においては少ない
またこの他の人々は
(こちらの)岸のみ走り回る

○意訳
人々の中で涅槃に達する人はわずかである
多くの人々は欲望の世界で苦しんでいる

○一口メモ
なぜ、多くの人々は涅槃に達することはできずに、欲望の世界で苦しんでいるのでしょうか?考えてみましょう。

1.多くの人々は善を知らない、欲、怒りにまみれた不善も人が多いのです。

2.不善の人からは、誤った考え方を聞くことになります。(不善の人からは例えば、欲望を肯定し、奨励する考え方、嘘を肯定する考え方や、両親や先生を尊敬しない考え方や、酒や麻薬を奨励する考え方を聞きます。)

3.誤った考え方を聞くと、物事の正しい理解ができなくなります。

4.物事の正しい理解ができないと、正しい考え方ができなくなります。

5.正しい考え方ができないと、心を善なる状態にして、正しく知ることができなくなります。

6.心を善なる状態にして、正しく知ることができないと、目、耳、鼻、舌、身、意において感覚をコントロールできなくなります。

7.目、耳、鼻、舌、身、意において感覚をコントロールできなくなると、身体よる悪行為や言葉による悪行為や心による悪行為(悪い考え)をしてしまいます。

8.身体によう悪行為、言葉による悪行為をしてしまうと、欲や怒りや落ち込み・眠気や興奮・後悔や疑いなどが心に現れます。

9.欲や怒りや落ち込み・眠気や興奮・後悔や疑いなどが心に現れると、煩悩の大元である無明が現れ、人々は悩み苦しむことになるのです。

以上が、多くの人々は涅槃に達することはできずに、欲望の世界で苦しんでいる理由です。
「無明経」(増支部十集61経)の前半を参考にして書きました。


「煩悩の 大河を渡る 人わずか 多くはこちらで 悩み苦しむ」


○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
http://76263383.at.webry.info/200903/article_3.html
http://76263383.at.webry.info/201001/article_7.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


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この記事へのコメント

カエルくん
2012年05月30日 06:03
おはようございます。

悪行為、というのは誤った考えから連鎖しておこるものなのですね。
今日の解説は一度読んだだけでは覚えられないので、繰り返し読もうと思います。
とも
2012年05月30日 07:49
先生 おはようございます
苦しみがどうして起こるのか、とても良くわかります。
しかし、わかっちゃいるけど止められない、の状態にいます。なかなか涅槃に達することは出来そうにないです。
ちょっとずつでも近づいていけるようがんばります。
皆様が幸せでありますように。
あすか
2012年05月30日 09:41
誤った考え、盲信はこわいです。
ブッダはご自分の言葉にさえ
「信じなさい」ではなく
「確かめてごらんなさい」ですね。

せっかくの良い言葉でも
受ける側の準備が整っていないと
アンテナにもひっかかりません。
しっかりキャッチできるよう
日々心をみがいておきます。
noritarou
2012年05月30日 11:04
解脱は、経済活動をしたり、悪行為をしなければならない在家でいる限りは不可能だと思います。
数か月~数年にわたる瞑想生活も必要でしょう。
禅もそうでしょうが、経験科学には、どうしても時間と労力とやる気が必要だと思います。
その中にいても、解脱はさらに狭き門なのでしょう。
輪廻も、「自分」ではないエネルギーが瞬時に再有するのは理解できますが、瞑想で前世を体験しなければ、本当の実感がわかないのかもしれませんね。
誰でも、呼吸をして生きているという条件は同じですが、在家としては、そこにしか希望を見出せません。
その中で、仏道に挑戦します。
完全に幸福に生きるとは、人間を乗り越えるとは、途方もない道です。
こころざし
2015年11月05日 08:17
本文の欲望の世界で苦しんでいる・・1~9を拝見し、その状態がループして続き、涅槃の世界に気が付く事も難しい印象を感じました。
気が付いて、そして努力しないとその輪から抜け出せないと思います。
煩悩の大河を渡れるように精進したいです。