最上人 盲信せずに 無為を 知り法に従い 欲捨てにけり(97)

阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。


アッサッドー  アカタンニュー   チャ
Assaddho    akataññū       ca,
信のない    無為を知った    また

サンディッチェードー  チャ   ヨー   ナロー
sandhicchedo       ca    yo     naro;
輪廻の絆を断ち切る  また   所の   人

ハターワカーソー   ワンターソー
Hatāvakāso      vantāso,
機会を捨て      欲を吐いた

サ   ウェー  ウッタマポーリソー
sa    ve     uttamaporiso.
彼は  実に   最上の人


○直訳
信のない、また無為を知った
また輪廻の絆を断ち切った
(善悪の)機会を捨て、欲を吐いた所の人
彼は実に最上の人(である)

○意訳
盲信しないで、涅槃を知った
輪廻の原因になる煩悩をなくし
妄想しないで、欲をなくした人
彼は最上の人、阿羅漢である


○一口メモ
「信のない」は意訳では「盲信しないで」となります。盲信しないように、お釈迦さまが説かれた「カーラーマ経」という経があります。(南伝大蔵経第17巻三集304頁-317頁)そこには次のように述べられています。
1.又聞きを信じるな (自ら確かめよ)
2.伝承を信じるな  (自ら確かめよ)
3.噂を信じるな  (自ら確かめよ)
4.聖典の教えでも信じるな  (自ら確かめよ)
5.論理だけで信じるな  (自ら確かめよ)
6.推論だけで信じるな  (自ら確かめよ)
7.表面の因相の熟慮だけで信じるな  (自ら確かめよ)
8.深慮し納得した見解でも信じるな  (自ら確かめよ)
9.可能性がありそうでも信じるな  (自ら確かめよ)
10.わが師と尊敬していても信じるな  (自ら確かめよ)
自ら知り理解するときは、それに従って、断ずべきときは断じ、実践すべきは実践するようにと教えています。

「輪廻の絆を断ち切った」の「輪廻の絆」とは輪廻の原因となる煩悩で「十結」と言われます。
1.有身見(うしんけん):永遠不滅の真我があると言う誤解
2.疑:迷って確信がないこと
3.戒禁取(かいごんしゅ):無意味な苦行やあらゆる宗教儀式・儀礼
4.貪欲:五欲に執着すること
5.瞋恚(しんに):いらいらして怒ること
6.色貪(しきどん):色界禅定に執着すること
7.無色貪(むしきどん):無色界禅定に執着すること
8.慢:自分と比較すること。自分を重要と思うこと
9.掉挙(じょうこ):落ち着きのないこと
10.無明:真実を知らないこと

「(善悪の)機会を捨て」の解釈は確定できませんが、現在、これは善だとか悪だとかあれこれ妄想するのではなく、自我をなくして、欲のない、怒りのない、害心のない心で法に従って行うことだと解釈しております。

最上人とは阿羅漢のことです。


「最上人 盲信せずに 無為を 知り法に従い 欲捨てにけり」


○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
http://76263383.at.webry.info/200903/article_13.html
http://76263383.at.webry.info/201001/article_16.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


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この記事へのコメント

カエルくん
2012年06月10日 05:44
おはようございます。

自ら確かめたことでなければ信じてはいけない、ということですね。
安易に盲信するのは、信仰の入り口としては簡単ですが、お釈迦様はそれを戒めていらっしゃるのだなあ、と思いました。

高橋優太様
おはようございます。
このブログを読むときは、いつも前回や前々回の記事も読むようにしているので、なんだか知らない人のような気がしません。
これからもよろしくお願いします。
あすか
2012年06月10日 07:49
「とにかく私を信じなさい」
でない所がむしろ信頼できます。
嘘や付け焼刃では
ボロがでてしまうので
こうは言えないでしょう。

食事、課題ですね。
やらないで我慢ならできても、
はじめたことを適量でやめるのは
はるかに難しいです。とはいえ
何も食べないわけにいかず。
うまくいかせば良い訓練の機会
かもしれませんね。

みなさん、
場所は離れ離れでも
こうして同じ道を歩む善友です。
お互い、励まし合いながら
がんばりましょう。^^

皆様が、生きとし生けるものが
今日もしあわせでありますように。
noriarou
2012年06月10日 10:22
ワンギーサ先生、詳しい説明をありがとうございます。
9.について、1つ質問があります。

>5.論理だけで信じるな
>6.推論だけで信じるな
数学、占星術、哲学、シンボリズムなど、概念の論理がいかに危ういかを教えてくれます。
>8.深慮し納得した見解でも信じるな
これは、無常・苦・無我の見解を納得したとしても、もう一度いちから確かめるべきだということだと思います。
>9.可能性がありそうでも信じるな
これは、ブッダの教えは幸福になる教えだという可能性を否定するものではなく、人間が陥りやすい邪見への戒めととってよろしいのでしょうか?
>6.色貪(しきどん):色界禅定に執着すること
>7.無色貪(むしきどん):無色界禅定に執着すること
不貪不瞋不痴の心をもって、慈悲喜捨の瞑想、ヴィパッサナー・サマタ瞑想から禅定に達したいというのが目標ですが、それさえも執着してはいけないという教えなのですね。ブッダが人類全員に語り、そして他ならぬ「私」に語りかけてくれているようで嬉しく思います。
ワンギーサ
2012年06月10日 17:16
noriarouさんの次の質問にお答えします。

質問:9.可能性がありそうでも信じるな
これは、ブッダの教えは幸福になる教えだという可能性を否定するものではなく、人間が陥りやすい邪見への戒めととってよろしいのでしょうか?

回答:よろしくありません。邪見への戒めではありません。「自ら確かめよ」ということです。
カーラーマ経の眼目は「自ら確かめよ」ということです。1から10までの教えは、すべて「自ら確かめよ」ということです。
9番については、可能性がありそうでも、信じるのではなく、自ら確かめよということです。
noritarou
2012年06月10日 18:24
ワンギーサ先生、ご回答して頂きありがとうございます。
>1から10までの教えは、すべて「自ら確かめよ」ということです。

よくわかりました。
すべて「自ら確かめよ」ということですね。
ブッダの教えさえも「自ら確かめよ」なのですね。自分の感覚、認識をもとに、自ら確かめてゆきたいと思います。ありがとうございました。
ささ
2012年06月10日 22:35
すべて 「自ら確かめよ」
これほど信頼にたる言葉に、私は
出会ったことがありません。
なので、つい信頼しきってしまいますが、それさえも自ら確かめよという事ですね。
項目を分かりやすく解説して頂きありがとうございます。ひとつひとつの項目を繰り返し確認しながら、自分の中の確信を増やしていけるよう心がけたいと思います。

皆さまが、生きとしいけるものが幸せでありますように。

こころざし
2015年11月09日 07:34
以前ある人の教えを広めましょうという会に誘われて(巧妙な勧誘マニュアルがある事を後日知りましたが)見事にはまり、一時期加入した事があります。その人の事を盲信するように色々な英雄談的な話が繰り返されました。
その後「その会に人を加入させる事が心の成長になります。誰を何時どのように勧誘したか次から報告しなさい」と言われ、これはおかしいと即退会しました。
ブッダの盲信しないでとの教え、心より共感致します。今後も自ら確かめる姿勢を堅持して参りたいです。