百年も 真理知らずに 生きるより 真理知って 一日生きよ(115)

阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。


ヨー  チャ  ワッササタン  ジーウェー
Yo    ca   vassasataṃ   jīve,
彼が   又   百年間     生きるとして

アパッサン  ダンマムッタマン
apassaṃ    dhammamuttamaṃ;
見ないで   法を   最上の

エーカーハン  ジーウィタン   セッヨー
Ekāhaṃ     jīvitaṃ     seyyo,
一日の     命が      より優る

パッサトー  ダンマムッタマン
passato    dhammamuttamaṃ.
見る者の    法を   最上の


○直訳
彼が最上の法を見ないで
百年いきるとして
最上の法を見る者の
一日の命がより優れている


○一口メモ
今回の詩のキーワードは「最上の法」です。この詩の要約短歌ではこの言葉を「真理」と訳しました。最上の法を2010年のこの詩の解説では「四聖諦」として考えてみました。2009年の解説では注釈書に従って、九出世間法として述べました。

今回は九出世間法について説明します。九出世間法とは涅槃までの悟りの道程です。登山では1合目から10合目までありますが、悟りの道程は九合目が頂上です。これが最高の法です。涅槃までの案内地図ですから。

①悟りの1合目は預流道(預流向とも言います)。預流果のための実践。有身見、疑、戒禁取の三結(三つの煩悩)を捨断することが目標です。

②悟りの2合目は預流果。涅槃に至る登山道に入りました。一先まず安心です。有身見、疑、戒禁取の三結を断じました。預流果の者は地獄、餓鬼、畜生、修羅に落ちることはなく、7回以上は輪廻しません。彼は罪を犯すことはありませんが、小さな過失はあります。しかし、決してそれを隠すことはなく、その都度それを認めて、改めます。

③悟りの3合目は一来道(向)。一来果のための実践。三結を断じて、貪、瞋、痴を少なくします。

④悟りの4合目は一来果。貪、瞋、痴は少なくなりました。1回以上輪廻しません。

⑤悟りの5合目は不還道(向)。預流果で三結を断じていますから、さらに貪欲と瞋恚の二結を捨断することを目標とします。

⑥悟りの6合目は不還果。貪欲と瞋恚の二結も捨断しました。すなわち五下分結を捨断し終わりました。阿羅漢道に達しない場合でも梵天界には必ず生まれ変われます。

⑦悟りの7合目は阿羅漢道(向)。阿羅漢果に向かう過程。五上分結を捨断することを目標とします。五上分結とは、色貪(色界禅定への執着)、無色貪(無色界禅定への執着)、慢(心)、掉挙(浮つき)、無明の五つです。

⑧悟りの8合目は阿羅漢果。十結すべてを捨断しました。もう輪廻はしません。
十結とは有身見、疑、戒禁取、貪欲、瞋恚、色貪、無色貪、慢、掉挙、無明です。これをよく調べると、「無明=有身見+疑+戒禁取+貪欲+瞋恚+色貪+無色貪+慢+掉挙」なのです。ですから、無明が捨断されれば、すべての結=煩悩が捨断されることになります。智慧が生まれれば、無明が捨断されますから、智慧がポイントです。言うまでもなく、智慧を開発する方法はヴィパッサナー瞑想なのです。

⑨悟りの9合目は涅槃、最終段階。阿羅漢の体験している境地です。

以上、悟りという山登の道程はわかりました。ただ登山者は一歩、一歩、自分の煩悩に気づきながら、煩悩を捨てながら、登ればいいのです。そうすれば、前進、向上するのです。

昨日、悟りは「何人出場しても一位の人、一人だけしかもらえない金メダルと異なりますね。」と言うあすかさんのコメントがありましたが、その通りです。むしろ、誰かが悟るとその影響力で他の多くの人が悟れるということがあると思います。ですから、ブッダの時代は、同時に多くの人が悟ったのだと思います。一人一人が自分の足で登らなければ、登れませんが、善友がお互いに励まし合ってこそ、何人もの人が頂上に登れるものだと思います。


百年も 真理知らずに 生きるより 真理知って 一日生きよ


○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
http://76263383.at.webry.info/200903/article_21.html
http://76263383.at.webry.info/201001/article_28.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


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この記事へのコメント

カエルくん
2012年06月28日 05:45
おはようございます。

有身見がなくなるだけでも、楽になるだろうなあと思います。身体に執着しているので…。
ゆっくりと自分のペースで、涅槃への山登りを続けようと思います。
こうして地図を示していただけること、本当にありがたいです。
あすか
2012年06月28日 08:52
悟り、ロウソクの炎のようですね。
人に分けると、その分、減るのではなく、
その人も明るくなって、
分ければ分けるほど明るくなっていく。

先は長いですが皆様とたすけあいながら
一歩一歩、今日も歩んでいきます。

>慈悲と智慧さん、
おひさしぶりです。長くなりましたので
昨日のところに別にコメントしました。
noritarou
2012年06月28日 09:43
九出世間法によれば、真理とは、誰もが知っているようで、ある人以外誰も知らない。
今も、誰もが真理とともに生きているというのに。。
真理をわからなくても、生きることが出来てしまうからでしょう。
自動車のシステムを知らなくても運転することが出来るように。
輪廻の恐ろしさを知らないので、何度も転生してしまうように。
涅槃の道程を見ると、今生だけではとても足りないと思いました。
ささ
2012年06月28日 21:57
こんばんは。

頂上は全くも見えませんが、方向を示してくださる先生がいる事が心強いです。
そして、皆さまがよきアドバイスをしてくださいます。存在が既に励まされています。いつもありがとうございます。

置いていかれない様に、原始脳に負けない様に、二の矢に打たれない様にと、がんばります。
こころざし
2015年11月15日 13:02
悟りの道を是非登りたいです。本文の「一人一人が自分の足で登らなければ、登れませんが、善友がお互いに励まし合ってこそ、何人もの人が頂上に登れるものだと思います」を拝見し、自分自身がしっかり登れる事と、そして善友を励ませるくらいの余裕が持てる大切さを感じました。まずは自分自身がしっかり登れるように努めたいです。